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たいせつな本 ―とっておきの10冊―

2019年11月12日 たいせつな本 ―とっておきの10冊―

(7)精神科医・斎藤環の10冊

「対話」によって人間関係と自分自身を変えるための10冊

著者: 斎藤環

ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル/高木俊介ほか訳『オープンダイアローグ
ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル/斎藤環監訳『開かれた対話と未来
トム・アンデルセン/鈴木浩二訳『リフレクティング・プロセス
矢原隆行『リフレクティング
ミハイル・バフチン/望月哲男ほか訳『ドストエフスキーの詩学
グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明訳『精神の生態学
H.S.サリヴァン/中井久夫ほか訳『精神医学は対人関係論である
中井久夫『治療文化論
神田橋條治『技を育む
國分功一郎『中動態の世界

 私は現在、医療を含む学際的な領域で「オープンダイアローグ(以下OD)」の普及啓発に勤しんでいる。ODはフィンランドで開発された精神病のケア技法であり、同時にケア提供システムであり思想でもあるのだが、単なる治療法と誤解されてしまうのはあまりにも惜しい。対話で人間が変わるという、掛け値なしに奇跡的な現象の解明に、オープンダイアローグ研究は大いに寄与すると考えている。
 以下、対話を考える上で、私が大切に考えている本を紹介していきたい。どの本も、さきに述べた「奇跡的な現象」を理解する上で、多くのヒントを与えてくれるだろう。私自身が関わった本がどうしても入ってしまうことはテーマの性質上、ご寛恕願いたい。

(1) 『オープンダイアローグ』(日本評論社)

ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル/高木俊介ほか訳

2016/3/23発売

(2) 『開かれた対話と未来』(医学書院)

ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル/斎藤環監訳

2019/8/26発売

 この二冊は、現時点で入手可能なオープンダイアローグの原典の翻訳である。(1)の原本は(2)の十年ほど前に出版されており、入門書的な内容となっている。(2)はODの手法よりも背景にある思想や、対話実践をいかに普及させるかという内容に比重がある。キーワードは「他者の他者性」であり、ODの手法全体が徹底して「他者性の尊重」に照準されていることがよくわかる。ODの有効性は、治療者側が、クライアントという他者とともに変化し「他者になる」ことによるのではないか。いずれも滋味に溢れた名著であるが、必ずしもわかりやすい本ではない。とりあえずODを手軽に理解したいという方には、拙著『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)をお勧めしておく。

(3) 『リフレクティング・プロセス』(金剛出版)

トム・アンデルセン/鈴木浩二訳

2015/11/10発売

 ODにおいて、手法のみならず思想上の重要な支柱の一つが「リフレクティング」である。リフレクティングは家族療法から派生した技法のひとつで、ノルウェーの家族療法家、トム・アンデルセンとその同僚が開発した。患者や家族の訴えを聞き、当事者の目の前で専門家同士が意見交換をし、それに対して患者や家族が感想を述べる。ごく簡単に言えば、この過程を繰り返すことがODにおけるリフレクティングだ。具体的には、 当事者の目の前で当事者のうわさ話をしているようなイメージである。参加者の内的対話が活性化され、評価や提案が受け入れやすくなり、意思決定がしやすくなるなど、さまざまな効用が実証されている。会議や教育現場などでも手軽に応用でき、その効果を実感できるだろう。(3)はアンデルセンによる原典であるが、日本におけるリフレクティングの第一人者、矢原隆行による(4)も、単なる入門書を越えた奥行きを持つ本である。

(5) 『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)

ミハイル・バフチン/望月哲男ほか訳

1995/3/1発売

 ODの開発に際して、セイックラは思想家バフチンの視点を大々的に導入した。バフチンのポリフォニー論の中核にあるのは、独自の他者論である。私と他者との間には決定的な断絶があり、他者には他者だけの固有の視点、固有の主観があるとされる。だからこそ対話が可能となる、とバフチンは考える。このとき対話とは、他者の他者性、すなわち「私」との異質性を尊重し、歓迎することに終始する。「違い」を無理に同一化や調和として収束させず、多声的な「違い」の並立を尊重すること。この姿勢が対話に余白をもたらし、その余白において主体的な変化が生ずる。「会話」がシンフォニーを志向するなら、「対話」はポリフォニーを重視するのである。

(6) 『精神の生態学』(新思索社)

グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明訳

2000/2発売

 ODのルーツの一つがシステム論的家族療法であることは良く知られている。家族全体を一つのシステムと捉え、たとえば患者(IP)の症状はそのシステムの安定に寄与している、とするような考え方である。それゆえ、システムの作動に介入することで、患者の症状も変化することが期待できる。
 こうした発想の起源の一つが、ベイトソンのダブルバインド理論である。「愛している」と言いながら脚を踏んづけるような行為は、矛盾するメッセージとメタメッセージの間に患者を釘付けにする。ODが患者本人のみならずその家族や知人にも介入する意義は、こうしたダブルバインドをはじめとする関係性のねじれやゆがみを修復するところにもある。ベイトソンのアイディアとしては、ほかに学習Ⅰ〜Ⅲの分類など、ODの発展に寄与しそうなものが少なくない。

(7) 『精神医学は対人関係論である』(みすず書房)

H.S.サリヴァン/中井久夫ほか訳

1990/4/11発売

 サリヴァンは、学派としては新フロイト派に属するアメリカの精神科医である。セイックラは言及していないが、サリヴァンの業績はかなりの程度、ODと重なるところがある。向精神薬が普及する以前にあって、統合失調症の心理療法に成果を挙げたことで知られるが、その理論は徹底して対人関係を重視するものだった。また精神疾患を予防する上で社会科学の重要性を提唱した点も特筆すべきである。後述する中井久夫とともに、統合失調症が人間的過程であることを重視し、言葉を重視した治療を行った点、良く知られている「参与しながらの観察」という発想など、ODにも通ずる視点は多い。今後対話実践が普及するなかで、サリヴァンの再評価が進むことは確実だろう。

(8) 『治療文化論』(岩波書店)

中井久夫

2001/5/16発売

 統合失調症の寛解過程論や風景構成法の創案で知られる中井だが、彼は統合失調症を「孤高の他者」と祭り上げてきた精神病理学の中にあって、この疾患への脆弱性を多くの人が共有している可能性や、彼らがいかに「困難な状況の渦中にあるまともな人」であるかを一貫して説いてきた。本書は「個人症候群」と「治療文化」という独創的な視点からなされる、壮大な比較文化論の試みでもあるが、妖精と暮らす少女の話、海外生活における独り言の効用など、印象的なエピソードがいくつもちりばめられている。クライマックスは著者自身を素材にしたとおぼしい症例報告で、ある個人を取り巻く親密圏のダイナミズムが活写される。おそらくここに示されるものが「ネットワーク」の価値であろう。

(9) 『技を育む』(中山書店)

神田橋條治

2001/5/13発売

 神田橋は統合失調症の治療における「自閉の利用」で知られる精神療法のカリスマである。ある学会で彼にODの感想を求めたところ「それは効くだろうね、(急性期は)いちばん開いている時だから」と即答されて唖然とした。フィンランドのスタッフが言う「急性期は窓が開いている」という本質を瞬時に言い当てられたのだ。本書には彼の名人芸と言うべき対話技法のヒントが凝縮されている。「邪気」とか「Oリングテスト」とかのオカルト風味は話半分に聴くにしても、本書には良き対話のヒントがいくつもちりばめられている。

(10)  『中動態の世界』(医学書院)

國分功一郎

2017/3/27発売

 本書は、思想界のみならず、多くの臨床家や対人援助職に感銘を与えた。冒頭にある依存症者との会話を読めば、その理由が分かる。「依存症は自己責任」とする批判は、依存が「能動」であるとみなすことからはじまっている。しかし依存症は「能動」や「受動」で語れない。飲酒は意志的な選択によるものでも、ただ病気によって強いられるものでもない。本人の意志とは無関係に、その過程に取り込まれて起こる現象なのだから。言語にはもともと、受動でも能動でもない中動態が存在した。本書では中動態の例として、「できあがる」「欲する」「惚れ込む」「希望する」などが挙げられているが、これは、主語がその過程の中にあるような動詞であるためだ(能動態の動詞は主語の外で完結する)。この意味では、対話も中動態的である。うかつに使えば免責の論理に転用されるリスクもあるが、対話や支援を考える場合に、中動態の哲学は間違いなく重要な補助線となるだろう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。

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