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たいせつな本 ―とっておきの10冊―

2019年12月3日 たいせつな本 ―とっておきの10冊―

(8)作家・宮下奈都の10冊

息子たちが帰省してきたときにさりげなく本棚に差しておいて、おおっ!と唸らせる10冊

著者: 宮下奈都

大江健三郎『万延元年のフットボール
遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
佐々木幹郎『瓦礫の下から唄が聴こえる 山小屋便り
山本麗子『101の幸福なレシピ
鴨長明/浅見和彦訳『方丈記
渡辺京二『逝きし世の面影
前田英樹『セザンヌ 画家のメチエ
鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二『戦争が遺したもの
アントニオ・タブッキ/須賀敦子訳『インド夜想曲

 息子たちはよく本を読む。今はふたりとも東京にいるけれど、幼い頃から、目を離すと黙って本を読んでいた。今でも、家族旅行の際にも旅行鞄に本が入っているのを見るし、帰省してくるときは何冊か本を携えてくる。それがいつもおもしろそうな本ばかりなのだ。つい、対抗心を燃やしてしまった。「息子たちが帰省してきたときにさりげなく本棚に差しておいて、おおっ!と唸らせる10冊」。
 自分で設定したお題なのに、これがむずかしかった。どうしてこんなに悩むんだろうかと何度も首を捻った。本棚を探し、段ボール(本が詰まっている)をゴソゴソ漁り、新たに何冊も読んだ。それでもなかなか選書できなくて、実は少し締切を延ばしてもらった。
 おおっ!と唸らせたい欲望。この(よこしま)な心が間違っていたのだと思う。見栄が入るとどうもいけない。普段、私は子供たちにも夫にもぜんぜんいいところを見せてこなくて、母や妻として一切期待させない戦略を取ってきた(そしてそれは成功を収めている)。謙遜ではなく、強がりでもなく、いい母や妻ではない自分に胸を張って生きていきたいと思ったのだ。それは、私自身を楽にするばかりか、家族にとってもよろしいことだと信じている。彼らもそれぞれいい息子や娘、いい夫でなくてもいいよ、ということだ。いい母やいい子でなかったとしても、好きな音楽を聴き、好きな勉強をし、好きな人と暮らし、好きな本を読んで生きていけたらしあわせだ。
 それなのに、今回、たまには息子たちにいいところを見せたいなぁなどと思ってしまったのが運の尽きだった。どんな本なら彼らを唸らせることができるのか、選書にずいぶん苦労をして、気がついた。息子たちを唸らせる。もしかしたら、私にとって一番身近で一番跳び越えにくいハードルなのかもしれない。でも、楽しかった。私はいい母ではなかったけれど、彼らはたぶん私のいい息子たちだったのだ。

 『万延元年のフットボール』は、四半世紀も前に読んで腰を抜かした小説だ。以来、怖くてなかなか読み返せない。初版が刊行されたのは、1967年。私が生まれた年だ。まさに自分の生まれ年に書かれた本を読みたいという動機で手に取った中の一冊だった。小説とは何か、とか、新しい物語とは、とか、理屈で考えるよりこの本を読め、といいたい。いわないけど。べつに読まなくてもいいんだけど。ただ、読んだらやっぱり腰を抜かすよね。おおっ!と唸りたくもなるよね。

 昔、私が今の長男と同じ歳だった頃に、アグネス論争というのが起こった。長く日本の芸能界で活躍してきたアグネス・チャンが子連れでテレビ局に出勤したことへの批判が発端だ。さらにその批判に対する批判が起きた。今もフェミニズムは一部の人たちから疎まれがちだけれど、30年前はもっとだ。理論というより感情論で叩かれている、と感じた。その際に、胸のすくような意見を述べていたのが上野千鶴子だった。上野千鶴子は希望の星だと、まだ結婚も出産もまったく考えていなかった私でさえ思った。『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の初版は2000年に出版されている。2000年というのは次男が生まれた年だ。私は授乳したり、おむつを替えたりしながら、夢中でこの本を読んだ。東大の上野ゼミに3年間参加することをゆるされた著者が、知性を武器に(ときには凶器に)研磨していくようすは圧巻だ。あれから19年が経つけれど、この本を読み返すと、何も成長していない自分がなさけなくなる。鈍っていくばかりのものを、研いでいかなくてはならない。ただ、希望の星を見上げることなら私にもできる。息子たちに、もちろん娘にも、この本を読んでもらいたい。そうしたら彼らにも星の輝きが見えるだろう。できれば、星に手を伸ばそうとしてほしい。

 私は、今の日本はダメダメだと思う。政治家たちは、よりよい社会を目指そうとは考えていないんじゃないか。私自身も、それにどう声を上げていいのかわからないでいる。暗澹たる気持ちになるけれど、この本を読むと、この絶望感は日本だけではないことに気づかされる。イギリスも、絶望だ。ダメダメだ。だけど、ほんの少し、希望もある。育っていく若い力がある。ダメダメな社会に生きながら、少しでもダメじゃないほうへ、毎日ささやかに闘いながら生きていく。そういう家族や、学校、コミュニティの話だ。ブルーな少年に幸多かれと心から願う。それはそのまま日本と、日本で暮らすたくさんのブルーな少年たちとその家族にも向けられる願いだ。日本にも、きっと希望はある。

 詩や詩人という言葉に、偏見があるように思う。誰かの発言や文章がポエムと揶揄されるように、なにか浮世離れした、現実味のないものとして捉えられることが多い気がするのだ。でも、私の知っているすぐれた詩たちは、ふわふわしていない。言葉で世界の核心を突き、堂々とそれを開示してみせる。詩人とは仙人ではなく、地に足のついた暮らしをまっとうする生活者だ。このエッセイ集を読むと、こんなふうに歩いて、こんなふうに見て、こんなふうに考えることができたら、と憧れる。そして、こんなふうに書けたなら。

『101の幸福なレシピ』(講談社)

山本麗子

1994/12/12発売

 うちには料理本が山ほどある。19歳でひとり暮らしを始めた頃から、妙に料理と料理本に惹かれた。食べたことのない料理、旅したことのない街、聴いたことのない音楽。それらがどんなに輝いて見えたことか。街や音楽に思い入れがあるのと同じように、料理にもある。よい料理本には、それが閉じ込められている。この本は中でも一番活躍した一冊だ。麻婆豆腐、グリーンカレー、中華風炊きおこわ、かつおのたたき、きぬかつぎのにんにくじょうゆ。私の料理などたいした料理ではないが、これらを食べて育った子供たちにしてみれば、種明かしの一冊かもしれない。久しぶりに開いてみたら、暗記するほど読んだはずのレシピが記憶と違っていて、では私はいったい何をつくってきたのだったかと心もとなくなった。

 ところで、苦心しながらこのエッセイを書いているときに、連載第2回、政治学者・宇野重規さんの「人生に迷ったときに背筋を伸ばすための10冊」を読んで、愕然とした。ここにあった。全部あった。ここに挙げられた10冊のうち半数以上は今も家の本棚にあり、とても大事に思っている本ばかりだった(読んでいなかったものはさっそく買った)。私が好きなのはこういう本たちで、息子たちを唸らせたいのもこういう本たちによってで、つまり私は宇野さんのこのエッセイを息子たちに見せればよかったのだった……。

 以下の5冊は、息子たちを、というより、昔の私を唸らせてくれたたいせつな本たちだ。いつか彼らも出会って唸ってくれたらうれしいのだ。

『方丈記』(ちくま学芸文庫)

鴨長明/浅見和彦 訳

2011/11/9発売

『戦争が遺したもの』(新曜社)

鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二

2004/3/11発売

『インド夜想曲』(白水Uブックス)

アントニオ・タブッキ/須賀敦子訳

1993/10/1発売

 

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

宮下奈都
宮下奈都

みやしたなつ 1967年福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選。著書に『スコーレNo.4』『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『誰かが足りない』など。『羊と鋼の森』で2016年本屋大賞を受賞。


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