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随筆 小林秀雄

 小林秀雄は、私たちが忘れてしまっている、というより、私たちにはいつのまにか見えなくなってしまっている「あたりまえのこと」をその文章で示し、人間にとって「あたりまえのこと」とはどういうことか、それを知って「あたりまえ」に還れ、人生いかに生きるべきかの第一歩はそこだと教えた人だと前回書いた。
 二つちがいの妹、高見澤潤子さんの『兄 小林秀雄』に、こういうくだりがある。元気で毎日、「本居宣長」の原稿を書き、毎週木曜日はゴルフに行っていた七十歳の頃だ、高見澤さんはある日、兄の色紙を一枚ももっていないことに気づき、書いてほしいと頼んだ。すると、「頭寒足熱 秀雄」と書いてくれた。前にもこれと同じ言葉を書かれた知人がいて、高見澤さんたちにはこの言葉が何となく滑稽に感じられ、なぜいつも「頭寒足熱」と書くの? と訊いた。兄はすこし怒ったような口調で言った、「頭寒足熱、一番あたりまえのことで、一番大切なことじゃないか」…。
 私自身も、何かのときに聞かされたことがある。「頭寒足熱」とは頭部を冷やかにし、足部を暖かにすることで、安眠できて健康にもよいといわれると『広辞苑』にあるが、こういう、世間一般に通用している「あたりまえのこと」を重く視る小林秀雄の生活信条、生活態度は、ちょっとした風邪をひいたときにも顕著に現れた。喜代美夫人に聞いたことだが、小林秀雄は風邪かと思ったときはすぐさま寝室にひきこもり、部屋をあたため蒲団をかぶり、二日でも三日でも蒲団のなかで過ごした。「僕の身体が治ろうとしているんだ、僕が協力すれば治るんだ」と言い、西洋医学の薬はいっさい服まなかった。
 小林秀雄は、世にいうインテリが嫌いだった。インテリという種族は、なんでもわかっているような顔でふるまい、世間の人たちが日々の経験を通して得ている生活の知恵などは俗っぽいと決めつけて洟(はな)もひっかけない。高見澤さんの問いに、小林秀雄がすこし怒ったような口調で答えたのは、高見澤さんの口ぶりにインテリ族のそれが感じられたためであったらしいのだが、小林秀雄は、そういうインテリ族とはまったく逆だった。インテリ族が軽くあしらう民間伝承や俗信にこそ耳を澄まし、目を凝らした。そして、何百年、何千年にもわたって夥しい数の人たちが語り継ぎ、保持し続けてきた民間伝承や習俗には、何百年、何千年経とうと、人間であるかぎり誰もが思い当る身体や心の本来の仕組み、すなわち人間にとって「あたりまえのこと」が端的に語られている、と言い、「頭寒足熱」も人間の身体にとって「あたりまえの大事なこと」が簡明に言われていると見てこれを生活信条としていたのだが、風邪をひくやすぐさま寝室にこもって言った「僕の身体が治ろうとしているんだ、僕が協力すれば治るんだ」はさらに徹底していた。
 インテリ族も、風邪をひいたときは外気を避け、部屋を暖かくして寝ていれば治る、とは言うのである。しかし彼らは、これに続けて、「あたりまえだ、人間の身体には治癒力というものが備わっているからな」と、「あたりまえ」という言葉を他人から仕入れた科学の知識と対で使ってそれで終わりなのである。だが、小林秀雄は、ここでもちがった。風邪と戦い、「僕の身体が治ろうとしている」仕組みと努力、その自分の身体に備わっている「あたりまえのこと」に全幅の信をおき、「あたりまえのこと」を全身全霊で感じ取ろうとした。僕の身体はどういうふうに造られていて、その身体に僕がどういうふうにつきあえば僕は僕が生きていくために必要な知恵を手にすることができるか、そこをしっかり体得しようとした。

 人生いかに生きるべきかは、小林秀雄にあってはこういうふうに、自分という人間はどういう具合に造られているか、折にふれて自分の身体と心に質問することから始まっていた。私たち一人ひとりが、日々の生活経験を通して、自分はこういうふうに造られているらしい、こうは造られていないらしいと、自己認識の直観と仮説を積み重ねていき、生活の場数を踏むことでその仮説をより精密に深めていき、人間というものの造られ方、自分というものの造られ方に沿った生き方を模索し実行する、それが人生いかに生きるべきかを考えるということだと小林秀雄は言うのである。
 ここでは、「頭寒足熱」を糸口として、身体の面から話を始めたが、小林秀雄が言う意味で人間の造られ方を知るというのは、目が二つ、口が一つ、手が二本…と、解剖学的に知るのではない。小林秀雄が言う人間の造られ方とは、主に心の造られ方である。
 男の子は、昔も今も、男たるもの凛々(りり)しくあれ、毅然たる態度でいよ、むやみに泣くものではない、と言って育てられる。ところが、人間の心は、男であってもそうは造られていない、男も女も、幼く弱く、愚かなものに造られている、と本居宣長は言う。彼の「源氏物語」の注釈書「紫文要領」(しぶんようりょう)に書かれているところを口語訳で示せば、―人間のほんとうの心というものは、小さな女の子のように思いきりがわるく愚かなものである。男らしく、きりっとして、立派そうに見えるのは、ほんとうの心からではない。それはうわべをつくろい、飾ったものである。ほんとうの心の底を探ってみれば、どんなに賢い人でも皆、小さな女の子と変るところがない。
 これが、人間の心というものの、小林秀雄が言う意味での「あたりまえ」、すなわち人間誰にも見られ、例外はほとんどない心のありようである。この宣長の言葉は、前回、人間にとっての「あたりまえ」の再発見と再認識の書であったと書いた小林秀雄の「本居宣長」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集所収)から引いたのだが、さらに宣長は、人間の心は動いてやまぬものだと言い、「事しあれば うれしかなしと 時々に 動く心ぞ 人のまごころ」と歌に詠み、そういう心は自分のものでありながら誰にも思いのままに制御することはできない、心に対して人間は常に受け身でいるしかないのだと言う。ここで歌われている「まごころ」は、他人のために尽そうとする気持ちとか誠意とかという、今日言われている意味での「まごころ」ではない。人間誰もが等しく、先天的に授かったままの心、したがって、個人的な、後天的な飾りや繕いといったはたらきがかぶさる前の心である。
 これを承けて、小林秀雄は、なぜ心も「あたりまえ」に還れと言うかを書いている。
 ―人のあるがままの心は、まことに脆弱(ぜいじゃく)なものであるという、疑いようのない事実の、しっかりした容認のないところに、正しい生活も正しい学問も成り立たぬという、彼(本居宣長)の固い信念、そこに大事がある。「動く心ぞ 人のまごころ」と歌われているところは、動かなければ、心は心である事を止める、動かぬ心は「死物」であるという、きっぱりとした意味合なので、世に聖人と言われている人が、いかに巧みに「不動心」を説いてみせても、当人の「自慢の作り事」を出られないのは、死物を以て生物を解こうとする、あるいは解けるとする無理から来る。… 
 本居宣長が説いた、人間の心の「あたりまえ」のありようは、彼が「古事記」以来の古歌や「源氏物語」を、何度も読みこんで確信したところであった。小林秀雄が、何百年何千年にもわたって語り継がれた伝承や俗信に耳を澄まし、目を凝らしたのも同じであった。

(第七回 了)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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