問題は鳥小屋だった。確かに、俺は面接でこう言った。「2畳分のスペースさえいただければ、十分研究できます」と。これは言葉の綾ってやつだ。まさか本当に2畳分しかもらえないなんてことはないだろう。しかし面接した側はそうは考えなかった。2畳分のスペース(180センチメートル四方)で実験ができる男として、俺は採用されたのであった。最初の数か月、留学中の教員の居室を間借りしていたことは前回書いたとおりだ。そしていよいよ、俺の居室が空いた。国立大学教員の居室は基本0.5スパンと言われる。0.5スパンというのは、3メートル×6メートルの18平米だ。何もない居室はずいぶん広い。ワンルームマンションじゃないので、風呂やトイレは入らない。小さな洗面台ならついている。教師は白墨で板書するので、手洗いが必要なのだ。
俺はその狭いながらもようやく手に入れた王国で、事務作業をこなし学生を指導し実験をやり鳥を飼うのである。俺を採用した教員たちは「ほら岡ノ谷、この部屋2畳より広いだろ。十分研究できるよな」と言わんばかりだ。実際にはそんなことは言われなかったが、そもそも自分の居室がもらえるかどうかさえわからなかった俺にとって、これは破格の扱いである。よし、やってやろうじゃないか。
ここは千葉大学文学部棟の5階である。幸い一番端っこだ。ここで鳥を飼うぞ。俺は2畳サイズの「イナバの物置」を居室の中に組み立てた。誰かに許可を取ることなど考えもしなかった。1994年、まだ20世紀。良い時代だった。今そんなことをすると、施設係に撤去されてしまうだろう。内寸2畳の物置を置くと、居室の半分は埋まってしまったように見える。この物置の中に棚を組み、小さな鳥かごを20ほど入れることができた。ジュウシマツならこれで十分飼える。
俺は着任早々ゼミの学生をつけてもらった。学部3年生が4人だ。考えてみれば彼らは勇敢であった。18平米の居室の中にある2畳分の飼育スペースで、果たして何ができるのか。何者かよくわからぬ若手教員に卒論の運命を任せるとは、君たちは素晴らしい。こうして千葉大学文学部岡ノ谷研究室が発足した。
居室の中には180センチ×90センチの巨大な机、ファイルキャビネット、椅子があった。これらは新任教員である俺に、講座の先生方が買ってくれたものだ。ありがたや。ファイルキャビネットの下段に、俺は脳標本を作るための実験装置を入れた。机の上には顕微鏡とパソコンを置いた。適宜ものを入れ替えれば、事務も勉強も教育もできる。鳥たちは鳥かごの中でピーチャラさえずっている。鳴き声は廊下にまで漏れ聴こえ、隣の哲学の研究室まで到達したが、ありがたいことに誰も苦情を言って来なかった。
俺はゼミ生諸君と交代で鳥の世話をした。平日は学生が担当し、休日・祝日は俺が担当した。学生は休みには遊びに行きたいだろうと思ったのだ。4名の学生は各自個性的であった。1名は打ち込み音楽が好きで、鳥の歌を分析したいという。彼には当時50万円もしたハードディスクレコーダーを買い与え、歌を録音してチャンク構造を調べる研究を提案した。1名は脳の解剖がしたいと言う。彼には顕微鏡を使わせ、脳の聴覚入力を損傷することで、聴覚皮質の活性が落ちるかどうかを示す研究を提案した。1名は、鳥が好きだと言うので、鳥の地鳴き(さえずりではない単音節のあいさつ声)の自発頻度を餌を報酬とした条件づけで増加させることができるかを調べたらどうだろうと提案した。1名はなんでもよいと言うので、地鳴きの発達過程を分析してみてはと提案した。なんてこった、これらすべて誰もやっていないオリジナル研究ではないか。俺は教員1年目からオリジナル志向だったのだ。研究するからには、新しいことをやりたい。学生だってそのほうが楽しいはずだ。しかし学生たちは楽しかったのだろうか。俺は楽しかったのだが。
彼らは学部3年生なので、2年間じっくり時間をかけて卒論のための研究をする。彼らには研究の道筋を示し、必要な技術を伝達すると、後は自分のやりやすいように進めてもらった。俺はたいてい午後に出勤し、終電までもぞもぞと研究や指導やパソコン作りやプログラミングや講義の準備をしていた。学生たちは18平米の居室を活用してそれぞれに研究を進めていた。うまく行った研究もあり、うまく行かなかった研究もあった。それは仕方のないことだったが、全員それなりに卒論を書いてくれた。
そのころの俺は、研究者から教育者へと変わりつつあった。とにかく学生と研究をするのが楽しかった。講義をするのが楽しかった。だから、学生たちの卒論を英文原著論文として投稿することもしなかったし、学生の都合で立ち消えた研究を他の学生に回すこともしなかった。研究者としての効率性については考えていなかったのだ。学生にはそれぞれ独自の研究をそれぞれの創造力で進めてほしかった。
大学教員という職を自分の天職だと俺は思い始めていた。ポスドクのころはノーベル賞を本気で取るつもりでいた。しかし今は、学生に研究という経験を与え、世界の誰も知らないことを自分だけが知っているという喜びを与え、そして彼らがその経験を持って、社会の中で誇りを持って生きていってくれれば幸せだなあと思うようになっていた。
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岡ノ谷一夫
帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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