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たいせつな本 ―とっておきの10冊―

2020年6月24日 たいせつな本 ―とっておきの10冊―

(10)医療人類学者・磯野真穂の10冊

コロナ禍を理解し、生きることの手ざわりを味わうための10冊

著者: 磯野真穂

水谷緑『カモと犬、生きてる
小川洋子『ことり
上橋菜穂子『獣の奏者
稲垣栄洋『植物はなぜ動かないのか――弱くて強い植物のはなし
木村元『音楽が本になるとき
原ひろ子『子どもの文化人類学
岡映里『境界の町で
イアン・ハッキング『偶然を飼いならす
ミシェル・フーコー『監獄の誕生
金森修『病魔という悪の物語――チフスのメアリー

 世界にあなたしか存在しなかったら――人どころか、モノも植物も動物もおらず、純粋にあなただけだったら――あなたは生きていることを感じるだろうか。おそらく今感じているあなたの輪郭や内実の大半は消えるだろう。自分であることの実感、言い換えると、あなたが生きていることの手ざわりは自分ではない生き物・事物・現象との交わりの中で初めて生まれるからである。

 『カモと犬、生きてる』は、作者・水谷緑がカモと犬と暮らした日々を振り返る、“何も起きない”漫画である。いや、正確にいうと多少は起こる。カモが脱走するとか、犬と家中を追いかけっこするとか……。

 何も起きない。しかし筆者がカモと犬に注ぐ暖かで丁寧な眼差しが、時間という不思議な流れを、異なる価値観を持つ生き物たちと私たちが分け合っていることを教えてくれる。人間の作り出す音やテキストを脇によけ、鳥の声に耳を澄ませてみたくなる。

水谷緑『カモと犬、生きてる』磯野真穂

カモと犬、生きてる』(新紀元社)

水谷緑 

2018/1/29発売

 ささやく鳥たちと交わることができるのは『ことり』の主人公の“小父さん”である。人間関係はすこぶる苦手。というか、たいていは失敗し、彼は黙って酷く傷つく。しかし相手が鳥になると、小父さんは途端に羽を伸ばす。彼は、心安らぐ住処を小鳥たちにこしらえる才覚を持ち、歌声品評会に出されるメジロの悲痛な叫びを感じとる。フックのある言葉で多くの人を“釣る”能力が称えられる現代であるが、そんな能力では誰も釣れない世界がある。小父さんはそんな世界の住人だ。

小川洋子『ことり』磯野真穂

ことり』(朝日新聞出版)

小川洋子

2016/1/7発売

獣の奏者』の主人公エリンは、リョザ神王国の国民が王獣と呼ぶ黄金の鳥の使い手である。彼女が他の使い手と異なる点は、王獣の管理に恐怖を用いないことである。彼女は、対話により王獣を乗りこなす。上橋の物語の魅力は、その筋書きもさることながら、生き物の躍動感である。王獣のみならず、王獣と戦う力を持つ(とう)()は、あたかも目の前で生きているかのよう。エリンと蜂飼ジョウンの生活の一幕では、蜂の羽音まで聞こえてくるかの如くである。上橋は登場”人物”のみならず、登場”生物”の視点に入り込む作家であり、それはきっと彼女のバックグラウンドである文化人類学によるところが大きいはずである。

上橋菜穂子『獣の奏者』磯野真穂

獣の奏者 1 闘蛇編』(講談社)

上橋菜穂子

2009/8/12発売

 生き物ではなく植物の生に光を当てるのが『植物はなぜ動かないのか――弱くて強い植物のはなし』である。小さい頃よく摘んで遊んでいたオオバコは、実は、踏まれやすい場所を生息地にあえて選ぶ凄いやつであった。踏まれても大丈夫なようにしなやかな葉と強い筋をもち、タネには粘着性があって人の足やタイヤに絡みついて移動ができる。オオバコと戯れていた5歳の私も、かれらの生存戦略にきっと使われていたに違いない。

 サボテンは植物の大敵である乾燥地域で生きることを選んだファンキーな植物だ。でもどうやって? サボテンが乾燥に耐えられるのは、二酸化炭素を一気に体内に取り込み、異なる化合物に変換させてから効率よく光合成を行うC4回路のおかげである。加えて、サボテンのトゲは外界から身を守るためだけではなく、トゲのような葉を持つことで水分の蒸発を最低限にすることにも役立っている。この本を読んでから、うちにもう8年もいるサボ太を羨望の眼差しで見るようになった。動けない植物の精一杯の動きに生きる力をもらえる一冊である。

稲垣栄洋『植物はなぜ動かないのか――弱くて強い植物のはなし』磯野真穂

植物はなぜ動かないのか――弱くて強い植物のはなし』(筑摩書房)

稲垣栄洋

2016/4/5発売

 少しは人間についての話もしよう。小学校の頃から体育の成績は5を下ったことのない私であるが、音楽の成績は3から4と話題になりにくいゾーンをウロウロしていた。そんな私にとって音楽はとっつきにくい存在である。「ここの旋律が…」などと言われても何がいいのかさっぱりだし、クラシックと聞けばその高尚な響きだけで退散したくなる。しかし『音楽が本になるとき』は"聴く"ことができた。全ての章にQRコードがついており著者の木村元がお勧めする楽曲とともに本を読み進めることができる。一章ごとにおすすめの曲を聴きながらページを繰るとどうだろう。テキストには色がついたような立体感が生まれ、カバーのざらつきがなんとも心地いい。音楽には世界との交わり方を変える力がある。そして、苦手なことは得意な人に頼れ。

木村元『音楽が本になる時』磯野真穂

音楽が本になるとき』(木立の文庫)

木村元

2020/5/20発売

 「この人たちは世界とともに生きている」。そんな実感を与えてくれるのが文化人類学者・原ひろ子の残した北米に住むヘヤーインディアンのエスノグラフィ『子どもの文化人類学』である。ヘヤーの子どもたちは幼い頃から斧を振り上げ薪を作り、自分だけの守護霊を見つけるため1人で静寂に包まれる。手や顔が凍傷になりそうな極寒の中、ソリで引きずられ移動する。幼いうちから仲間のインディアンの死に立ち会う。ヘヤーに赤ちゃん言葉は存在しない。弱くて無知な存在だからと守られ、教育される子どもたちはそこにない。かれらは自分で学んで世界を生きる。

原ひろ子『子どもの文化人類学』磯野真穂

子どもの文化人類学』(晶文社)

原ひろ子

1979/2/1発売

 『境界の町で』の登場人物は、皆どこか突き抜けている。筆者の岡映里は線量の多い地域に被曝覚悟で取材にはいり続け、その後、躁鬱病で寝込んでしまう。岡を助ける元ヤクザの男性は彼女が抱える寂しさを見抜き「どうしても死にたくなったら俺が殺してやる」と言い放つ。その男性の父親は、誰が見ても落選確実にもかかわらず衆議院選挙に立候補し、やはり落選する。加えて、10%の得票率にも届かず、何百万もの供託金を没収された。岡にウニ飯を炊いてくれる(なお)()さんは、地域の住民が皆避難したにもかかわらず、畳の上で死にたいという母の願いをかなえるため、夫とともに警戒区域で暮らし続けることを選んだ。『境界の町で』の登場人物たちは、誰ひとり、科学的根拠に基づいた行動を選ばない。「お利口でない向こうみずな生き方」を貫き通すのがかれらである。

岡映里『境界の町で』磯野真穂

境界の町で』(リトル・モア)

岡映里

2014/4/19発売

 昨今、うんざりするほど専門家から聞かされる「科学的根拠に基づいた正しい〇〇」。しかしここで言われる「科学的根拠」はなぜこれほどまでの市民権を得るようになったのだろう。『偶然を飼いならす』の作者イアン・ハッキングは、19世紀の前半にヨーロッパで起こった「数字の洪水」に「科学的根拠」の起源を求める。それまで天文学で使われていた「平均」の概念が、人間集団にも適用され「平均人」なる抽象的人間が生まれた。次第に「平均」に「正常」「良きもの」といった価値付けがなされてゆく。科学的根拠というと価値中立的な響きがするが、実際は中立どころではない。むしろそれは、使われる時代、地域の価値観にまみれる存在だ。

イアン・ハッキング『偶然を飼いならす』磯野真穂

偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命』(木鐸社)

イアン・ハッキング、石原英樹・重田 園江訳

1999/6/1発売

 イアン・ハッキングが知的探索の手掛かりにしたのがミシェル・フーコーの哲学である。著作の一つである『監獄の誕生』においてフーコーは、処罰の仕方が18世紀後半から19世紀の前半にかけて大転換を遂げたと指摘する。その転換とは、公衆の面前で八つ裂きにするといった残酷な身体刑の消滅と、それと入れ替わるかのように現れる、矯正施設とそのためのプログラムである。医学は犯罪者に並々ならぬ関心を寄せ、それは行政と手を取り合いながら、理想的な形に犯罪者を矯正しようと試みる。通常道徳に満ちた行為として捉えられる更生は、「優しさ」を手にした人類進化の証ではない。単に権力の介入の方法が変わっただけなのだ。権力は暴力を使ってそれに反抗する者を罰しはしない。身体を罰しない権力は、心の奥底にじわじわと入り込み、自らに従順な個人を作り出す。ほら、マスクを着けないで外出をすると、なんだか悪いことをしている気がする私たちのように。

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』磯野真穂

監獄の誕生〈新装版〉  監視と処罰』(新潮社)

ミシェル・フーコー、田村 俶訳

2020/4/24発売

 1907年ニューヨーク市。アイルランド系移民で、家政婦を務めるメアリー・マローンが、同市の衛生局に力づくで拘束された。彼女はその後、脳卒中で亡くなるまでの25年近く隔離された生活を送ることになる。なぜ彼女はそのように長い期間、隔離生活を余儀なくされたのか。それは彼女に腸チフスの「健康保菌者」の疑いがかけられていたからである。健康保菌者? 新型コロナウイルスに感染しているのに気づかず元気に出歩く若者のことを思い出せば良い。

 現在は抗生剤が開発されさほど恐れる必要のない腸チフスであるが、当時は有効な治療はなく、感染した患者は40度近い高熱で1ヶ月も苦しんだ。南アフリカのボーア戦争(1899−1902)では、イギリス軍の間でそれが蔓延し、死者は1万人近くに上ったという。

 腸チフスの感染拡大をいかに防ぐべきか。この時代に活躍した公衆衛生学者のチャールズ・シェイピンが重視したのが、「歩き回る危険」としての健康保菌者の撃破である。危険なのは病床に伏せる感染者ではない。いっけん何の危険もなさそうに出歩く感染者の尻尾を捕まえろ。メアリーの拘束劇はこのような公衆衛生学の視点の中にあり、だからこそ彼女の隔離は社会的に容認された。『病魔という悪の物語――チフスのメアリー』の筆者・金森修は次のように記す。

メアリーの拘束劇に立ち会ってみてつくづく印象づけられたのは、公衆衛生局という部署がもつ権力の巨大さだ。公衆の健康のためには、公衆衛生局は、個人の権利や所有権にまで踏み込むことができる。公衆衛生局にできないことなど、ほとんどない。その委員会は、司法権、立法権、行政権をすべて同時にかかえもっているのだ。

金森修『病魔という悪の物語――チフスのメアリー』

病魔という悪の物語――チフスのメアリー』(筑摩書房)

金森修

2006/3/6発売

 「科学的根拠に基づいた正しい〇〇」は、往々にして人々から生きることの味わいを奪い取る。なぜならそこには常に脅しがあるからだ。横並びで食べましょう、おしゃべりは控えめに、帰ったらすぐにシャワーを浴びて着替えましょう。こんな善意に満ちた呼びかけの裏には「それをしないと感染リスクが上がりますよ」という脅しがある。

 生きることの味わいは脅しからではなく、向かい合う生き物、事物、現象に対する根拠なき信頼と、それを足場にした交わりによって初めて生まれる。他方、科学的根拠に基づき掲げられる良い・悪いは、生きることの味わいを容易に奪い去る。その先の安心・安全・健康な未来に比すれば、生きることの味わいなど取るに足らないものであると私たちに思わせる。

境界の町で』に登場する元ヤクザの父は「また津波がきたらどうするんですか」と尋ねる岡にこのように答えた。

ほんなすごい波は、1000年に一回しかこねえから、大丈夫だ!

 知識人が聞いたら鼻で笑うような一言だろう。「こういう人がいるから、科学教育が必要なんだ」。そんなことを言い出す専門家や政治家もいそうである。

 でも自分たちが生きる世界に対するこのような科学的根拠なき信頼こそが、世界との交わりを可能にする。なぜならその信頼には、その結果起こったことは引き受けようという前向きな諦めがあり、その諦めが、信頼の結果生まれた世界と共に歩もうという覚悟を作り出す。生きることの味わいは、そんな世界との交わりがあって初めて生まれるのではなかろうか。

 少なくとも私は私個人の人生の中にそう言い切れる“根拠”をいくつか持っている。

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

磯野真穂

いその・まほ 独立人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。(オフィシャルサイト:www.mahoisono.com)


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