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亀のみぞ知る―海外文学定期便―

2020年7月31日 亀のみぞ知る―海外文学定期便―

(25)青と白の出版社

Camilla Grudova, The Doll's Alphabet (2017, Fitzcarraldo Editions)
Claire-Louise Bennett, Pond (2015, Fitzcarraldo Editions)

著者: 柴田元幸

 フィッツカラルド・エディションズは2014年に設立されたイギリスの小さな出版社である。まだ全部で60数冊しか刊行していないにもかかわらず、すでにノーベル賞作家を二人輩出させている(2014年に出版したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが2015年に、2018年に出版したオルガ・トカルチュクが2018年分を2019年に受賞)ことでも知られる、実に個性的な出版社である。何しろ装幀が二種類しかない。フィクションはすべて青地に白字で、書名と著者名と出版社名のみ(+社のロゴのさりげないエンボス加工)、ノンフィクションは白地に青字、と色を逆転させて形は同じ。

柴田元幸「亀のみぞ知る 海外文学定期便」

 加えて、本文フォントは一貫して自社製の「フィッツカラルド」。
 気になってはいたものの、いままで読まずに来てしまったのだが、今回、刊行当時話題になったフィッツカラルド本を2冊読んでみて、これは好みの出版社だと思った。

 まず、2017年に出た、カミーラ・グルドーヴァの短篇集『人形のアルファベット』(The Doll’s Alphabet)。
 巻頭に入っている、3ページの超短篇「ほどく」(‘Unstitching’)は、「ある日の午後、リビングルームでコーヒーを飲んだあと、グレタは自分のほどき方を発見した」(‘One afternoon, after finishing a cup of coffee in her living room, Greta discovered how to unstitch herself’)という一文で始まる。果物の皮が剝けるみたいに、ほどけた中から彼女の「本当の体」が出てくる。「彼女はミシンに似ていたというよりは、ミシンの元となっている理想的な形だった。自然界で一番似ているのは蟻だった」(‘She did not so much resemble a sewing machine as she was the ideal form on which a sewing machine was based. The closest thing she resembled in nature was an ant’)。こうして女たちが次々に真の自分を発見していくなか、男たちもやってみるがうまく行かない。「男たちの中には『真の、秘密の』自己がなく、教えられたもの、知られたものがあるだけだった」(‘They had no “true, secret” selves inside, only what was taught and known’)。
 これだけ言うと、フェミニスト的傾向のある幻想譚集か、と思われそうだが、これはおおよそ半分しか当たっていない。
 「フェミニスト的傾向」は、なくはない。たとえば中心的な作品のひとつ「ワクシー」(‘Waxy’)は、女はもっぱら工場で働き、もっぱら「試験」(‘Exam’)を受ける男を養うディストピア世界を描いている。が、それが短編集全体の底流をなしているとまでは言いがたく、作中に何度か出てくるモチーフのひとつ、くらいに考えた方がいい。そしてこの作品集で何度か出てくるものはほかにもある。たとえば、ミシン、イワシ、人形、汚れてシミのついた服、物陰に潜むゴキブリ等の虫。
 一方、「幻想譚」というのはほとんどの作品がそうである。たとえば「蠟燭受けの悲しい話」(‘The Sad Tale of the Sconce’)は、女性をかたどった船首像が蛸と交わって産んだ蠟燭受けの話である。「エドワード、死者を甘やかすな」(‘Edward, Do Not Pamper the Dead‘)では妻が家に帰ったら夫が床に倒れていて「俺は死んだ」と宣言し、しかるべく埋葬もされるのだが、死後もなお妻は、茹で卵やらお茶やらを墓に届けてやらねばならない。
 荒唐無稽な展開が涼しい顔で語られ、不思議に納得させられてしまう。どれがベストかは迷うが、有力候補は、同級生の女の子がミシンを改造して作った、幻影を呼び出す機械をめぐる奇譚「アガタの機械」(‘Agata’s Machine’)か。

Agata pushed over her armchair and sat in front of the sewing machine. She started to pump the treadle. The large balance wheel started to turn, like a cinema reel. The jar started to move.
   ‘Turn off the lights,’ she said. I did, finding the switch near the door. The mason jar glowed. A wobbly bubble of light travelled across the room, then again, but this time there was some sort of shape inside it that was not fully formed, parts of it blacker than shadow, that morphed, flickering, into a Pierrot. He danced across the room. His face, white with black lips and eyebrows, was so beautiful I blushed. I blushed for him to see us, in Agata’s filthy attic, our breath and armpits smelly from a day at school. His outfit was billowing white, with large black buttons, his feet small and pointed. I leaned against Agata’s chair, watching the Pierrot circle us, again and again.
 アガタは肱掛け椅子を押しのけて、ミシンの前に座った。そしてペダルを踏みはじめた。大きなはずみ車が、映画のリールみたいに回り出した。瓶が動き出した。
 「電気、消して」アガタは言った。ドアのそばにあったスイッチを私は切った。広口瓶の中から光が出てきた。ぐらぐら揺れる光の泡が部屋を横切っていき、それがもう一度くり返されたが、今度はその中に何かの姿が入っていて、その形は完全には出来上がっていなくて、影より黒いところもあったけれど、やがてそれが、チカチカ点滅しながら、ピエロに変わった。ピエロは部屋じゅう踊って回った。顔は白く、唇と眉は黒く、すごく美しくて、私は思わず赤くなった。この人に私たちを見られていると思って、赤くなったのだ―アガタの家の不潔な屋根裏で、私たちの息も腋の下も一日学校にいたせいで臭っている。ピエロの衣裳は波打つ白で、大きな黒いボタンがあって、足は小さくて尖っていた。私はアガタの椅子に寄りかかって、ピエロが何度も私たちの周りを回るのを見守った。

 息や腋の下が臭う、きちんとした場所では歓迎されそうもない登場人物を、グルドーヴァはくり返し描く。とはいえ、負け犬的人物に対するセンチメンタルな思い入れのようなものは匂ってこない。そこが快い。また、テクノロジーといってもたいていはミシン止まりで、インターネットなどはほとんど出てこないが、そこでもやはり、古い時代に対するノスタルジーは感じられない。あくまで自然体に、世の中からずれた人間、時代遅れの事物に想像力が向かう人のように思える。個人的に、相当好み。
 作者カミーラ・グルドーヴァはモントリオールのマッギル大で美術史とドイツ文学を学び、現在はエジンバラ在住。雑誌『グランタ』に載った“Waxy”はここで読むことができる。

 クレア゠ルイーズ・ベネットの『』(Pond)は、どうやら大学院での研究を放棄か中断かしたらしい女性が、山の中に家を借りて、毎日何をするともなく暮らしている話。固有名詞はほとんど出てこないが、一度だけ、想像の中で書く手紙で「私はヨーロッパ最西の点、大西洋に面したところに住んでいます」(‘I live on the most westerly point of Europe, right next to the Atlantic Ocean’)と言っていて、シャノン川への言及もあるので、どうやら舞台はアイルランドらしい。青地に白字だからいちおう小説に分類されていて、20の「短篇」が収められているのだが、読んでいるときの感触は圧倒的にエッセイ。都会を離れて一人で暮らしている日常が綴られるという設定と、Pondというタイトルからして、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン』(1854)を明らかに想起させる(「ウォールデン」もWalden Pondという小さな湖の名前である)。
 とはいえ、これほど『ウォールデン』に似ていない本も少ない。『ウォールデン』を書いたソローは、物質的豊かさに対する精神的豊かさの優位、都会に対する自然の優位を謳い上げるそのまっすぐさで読む者の心を打つが、クレア゠ルイーズ・ベネットはもっとずっと懐疑的である。ソローは古今東西の賢者の叡智を引用し、自分の叡智をそこに加えるが、ベネットはほとんど何も引用しないし(ある書評によればオーストリアの作家マルレーン・ハウスホーファーの小説『壁』と思われるSF小説を引いて、生と死の本質にまで思いを広げているが、タイトルも作者名も挙げていない)、時代や場所の取っかかりもほとんどない中で左に右にうねる自分の思索を叡智や教訓にまとめはしない。ソローは自給自足を旨として土地としっかり向きあうが、ベネットの(あるいはベネットが描く登場人物の)土地との付き合い方はなんとも中途半端である。

Clearing a decent area of ground and making it ready for planting potatoes was hard and monotonous work added to which early spring tends to be rather humid here and indeed it was so that particular year. I do not know fully what drove me to deracinate thick and fuzzy weeds like that every day in the premature heat. I often stopped and stood quite still, wondering what hopes my mind had just then been taken up with, but I could seldom recall. However, in spite of my own bemusement, for the first time in my adult life other people knew exactly what I was doing. It was as plain as day to them. I’d come back with the tools and lean them against the house wall and go inside to wash my hands and it would be quite clear to anyone who saw me what I had been doing that day. I believe during that period people were, notwithstanding two or three specific incidents, conspicuously more agreeable towards me.

(‘Morning, Noon & Night’)

 まともな土地の一画を耕し、ジャガイモを植えられるようにするのは辛く単調な仕事だったし、加えてここの早春は雨がちで、その年はとりわけそうだった。暑さだけは季節はずれにしっかりあるなか、何ゆえ私がそんなふうに毎日太く毛羽立った雑草を根こそぎにする作業をする気になったのか、よくわからない。私は何度も仕事の手を休め、立ちつくして、自分の心がいかなる希望に囚われていたんだったか思案したが、思い出せることはめったになかった。けれども、自分ではそんな風に何だかよくわからなかったものの、私が大人になってから初めて、ほかの人たちには私が何をやっているかがはっきりわかったのである。彼らの目にはこの上なく明白であった。私は農耕具を持って帰ってきて、家の壁に立てかけ、手を洗いに中に入る。誰が見ても、その日一日私が何をしていたかは明らかだ。この時期、二つ三つの出来事はあったにせよ、人々は私に対し、目に見えて好意的にふるまったと思う。

(「朝、昼、夜」)

 隣人たちは彼女に、ズッキーニを植えるといいよ、カボチャもいいしナタウリも、とあれこれ勧めるが、彼女は手のかからないジャガイモ、ホウレンソウ、ソラマメ、それしか作らない。何とも頼りないファーマーぶりである。この人の中には、土とのふれあいが人を癒やす、とかいった発想はない。それだけでなく、これに寄りかかっていれば人間は大丈夫だと言えるような信念はいっさいない。
 そして、上の引用からも明らかだろうが、何ごともわかりやすい物語に落とし込んで済ませようとする姿勢に対しては、かなりはっきり敵意を見せる。たとえばタイトルにもなっている「池」のほとりに、彼女の大家が「池」と書いた看板を立てると、ベネットはほとんど異様なくらい反感を示す。そして彼女自身は、この本全体を通じて、あれこれの些末な事柄(たとえば、3つツマミのあるレンジのうち2つのツマミが壊れて、1つのツマミを3か所で使うことの危険)をああでもないこうでもない、と、これまたほとんど異様なくらい仔細に論じる。といって、ニコルソン・ベイカーの名著『中二階』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)のように、細部に固執するひたむきさ自体が一種あたたかいユーモアにつながっているということでもない。もうちょっとクール。この世にわかりやすい物語などないという真理を、時に滑稽に、時に辛辣に―というかたいていその両方―ベネットは実演してみせる。そのわかりやすくなさの中から、ごく日常的な物事の静かな神秘が浮かび上がってくる。いわば、「超越なき神秘」。もっと英語がよく読めたらもっと味わえるのになあ、と思わずにいられない。
 『池』は2015年4月にまずアイルランドで小出版社ザ・スティンギング・フライ(刺す蠅)から、10月にイギリスでフィッツカラルドから刊行され、多くの作家にその文章の妙を絶賛された。

Camilla Grudova, The Doll’s Alphabet (2017, Fitzcarraldo Editions)

Claire-Louse Bennett, Pond (2015, Fitzcarraldo Editions)

最新情報

〈刊行〉

『波』8月号、バリー・ユアグロー「オヤジギャグの華」第16回「寅さんミニミニマラソン」掲載(第14回までは原文と一緒にウェブ上でも公開)。

〈ラジオ、オンラインイベント〉

8月9日(日)午後2時~3時、手紙社主催『紙博』 の一環として第4回ZOOM朗読会「いま、これ訳してます Part 4」。

8月15日(土)24時からJ-WAVE「RADIO SWITCH」でトークと朗読。

6月15日刊行のMONKEY21号刊行記念オンライントーク、公開中。

MONKEY21号特集「猿もうたえば」にちなむ音楽のプレイリスト、公開中。

〈その他〉

バリー・ユアグロー超短篇「旅のなごり」手書き拙訳稿を包装紙にしたサンドイッチを、三軒茶屋のカフェnicolasで販売中。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

柴田元幸
柴田元幸

1954年生まれ。翻訳家。文芸誌『MONKEY』編集長。『生半可な學者』で講談社 エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。

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