女は男に比べてマルチタスクが得意だと世間は言う。そんなことが男か女かで決まってたまるかよと腹も立つが、女である私は確かに、複数の案件をジャグリングすることが苦にならない。球数が増えるほど、回転速度が上がるほど、妙な高揚感も生まれてくる。
介護未満の父の生活を一日も早く立て直さねばと、私は鼻息荒く動き回っていた。支援サービスを調べ、導入計画を練り、父専用のノートまで作ってTo Doリストを書き連ねた。父が快く一任してくれたので、勢いに任せ片っ端から手を付け高揚感に浸る。裏腹に、どこかで父の生活を蹂躙しているような後ろめたさが頭をもたげた。
金を出さないときは口も出さないのが父の美徳ではあるが、ふと「なぜこんなことを私がひとりやらねばならぬのか」と孤独にもなった。なんでもかんでも任せっきりの父に腹も立つ。孤軍奮闘は効率がいいが、その分ぽっかり心に穴が開くのだ。つまり、情緒不安定。
不安には理由があった。手を付けたばかりとは言え、とにかく先が見えない。後ろ向きの感情に飲み込まれるとロクなことにならないのは、過去のすべての経験から私は学んだ。こういうときは、まるで仕事のように処理するのが吉。親子関係の対極にあるのはビジネスだ。ならば、ビジネスの問題解決法に倣おうではないか。
煽りと惹句がそのままタイトルになったようなビジネス書を何冊か購入し、端からパラパラめくる。フレームワーク図鑑の本には、「7万部突破! 思考がどんどんカタチになる!」と書かれた帯がついていた。このご時世に7万部か。なんともうらやましい。
目次には「問題・課題を発見する」「課題解決のアイディアを練る」「戦略を立案する」「業務を改善する」などの項目が並んでいた。これだよ、これ。早速、父の諸問題をビジネスタスクに見立てA4コピー紙に図解として落とし込む。課題と書かれた四角には「毎日の食事」と記し、解決案の四角には「宅配弁当・冷凍食品を使った簡単な炊事を覚えてもらう」と記すといった具合。
思い付くままに書いていくと、壮大な計画書ができあがった。達成できたら奇跡。サリバン先生も真っ青だ。図が仕上がった満足感はあるが、心にしっくりこない。解決しなければいけない問題には違いないが、なにか大事なことを忘れているような。
そうだ、私は父に「ウォーター!」と言わせたいわけではないのだ。だってもう82歳だもの。覚えて欲しいことは山ほどあるし、父に学ぶ能力もある。しかし、父が安全で快適な生活を送れれば、それでいいではないか。
この期に及んで、私は自分の安心を優先していたのかもしれない。つまり、「私に一切の心配をかけず、父がひとりでキチンと暮らす」ためにはどうしたらいいのかを考えていた。そのためには、たくさんのことを覚えてもらわねばと。
壮大な計画書をクシャッと丸めてゴミ箱めがけて投げ、再び考える。ビジネスっぽく取り組むのは間違っていないはず。問題を可視化するのも、情緒を排除するのに役立つ。ならばほかの案を探してみようとネットをうろうろしていたら、Forbesの英語記事に興味深いものを見つけた。曰く、“Stop Thinking In Tasks And To-Dos. Start Thinking In Outcomes.”。要は、タスクとTo Doを考えるのをやめ、成果から必要なことを逆算せよということ。図解はなかったが、先ほどの本を参考に、オリジナルで作ってみよう。
手に入れたい成果は、私のではなく「父の」安心だ。ロルバーンの横長ノートを開き、一番上に「父が精神的・肉体的に健やかな独り暮らしを一日でも長く続ける」と記す。これがゴールだ。文章を四角で囲み、その下に枝を伸ばす。組織図のようなものをイメージして欲しい。ゴールを達成するために必要なことを、どんどん下に伸ばして書いていく。
精神的・肉体的に健やかな独り暮らしを一日でも長く続けるために必要な、最初の枝となる線は三本。一つ目は「快適な居住空間の維持」。二つ目が「健康的な食事」。三つ目が「体力づくり」。それぞれを四角で囲む。体力づくりには健康的な食事が欠かせないので、この二つも線で繋ぐ。
一つ目の「快適な居住空間の維持」にまず必要なのは、半汚部屋の大掃除。半分は私がやり、その先は業者を頼もう。次に数社のお試しハウスキーピングを発注し、相性のよいところを探そう。収納や、気まぐれに捨ててしまったソファも買いなおす。このパートはなんでも金で解決だ。
洗濯はできるが外に干すのが父にとっては億劫なようで、リビングにはいつも洗濯物がぶら下がっている。これでは快適な居住空間とは言えない。だが、乾燥までの洗濯機の使い方を覚えてもらえば解決できる話だ。と言うか、ドラム式洗濯乾燥機を買ってあげたのに、いままで洗濯にしか使ってこなかったんかい。
二つ目の「健康的な食事」に必要なのは、食育、自炊、宅配弁当、の三つ。父には出されたものを漫然と食べる家畜のようなところがあり、なにがタンパク質で、なにが炭水化物かすら知らない可能性がある。自炊はできる範囲でよし。ガスコンロの使い方が怪しいようなら、IHに換えてしまおう。冷凍食品への偏見は強い世代だが、いまのものを食べたら認識が変わるかも。問題は宅配弁当だ。冷めたものには手をつけないし、すべて同じ温度に温まったものも食べない。これはいくつかトライしてみるしか手がない。
三つ目の「体力づくり」に欠かせないのは運動だが、コロナ禍では外出もままならない。若い頃に結核をやって肺が片方ない父が罹患したら、一発でアウト。とりあえず簡単なスクワットを覚えてもらいつつ、シニア層からの評価が高い、シックスパッドフットフィット(ふくらはぎなどを鍛えるEMSマシン)を父の日のプレゼントに。父を説得するには「これをあげるからこれもやって」と交換条件を提示するのが効く。体温計を与え、毎朝測ってもらい、しばらくはLINEで報告してもらうのもよいかもしれない。
枝をどんどん下に伸ばしていくと、不思議なことに終わりが見えてきた。下から順にやっていけば、成果に辿り着ける図解。気付いたことから手をつけていくのとは大違い。A4半分の大きさにまとまったし、悪くない。おぼろげながら、ようやく全体像が見えた。まあ、サリバン先生っぽいと言えばサリバン先生っぽいけど。
さっそく父のもとを訪れ、こういう目的で、こういうことをしたいと、紙を見せながらプレゼンした。まずは、食育の一環で栄養知識チェックから始めよう。
「お父さん、ざっくり説明します。私たちの体に必要なのは、筋肉や骨や皮膚を作るタンパク質、エネルギーの源になる炭水化物、そしてホルモンの原料や細胞の膜を作ったりする脂質です。これを三大栄養素と言います。ほかにビタミンやミネラルもありますが、とりあえずこの三つをバランスよく食べて欲しい」
父がコクリと頷く。
「では問題です。唐揚げの主な栄養素はなんでしょう」
「……炭水化物!」
「ブッブー。鶏肉なのでタンパク質です」
「へぇ」
「ごはんは?」
「タンパク質!」
「ブッブー。これは糖質。つまり炭水化物です」
「糖質?」
「炭水化物は糖質と食物繊維のことなんだけど、まぁ炭水化物イコール糖質だと思ってていいよ」
「はい」
「ごめん、最初にどんな食べものがあるか教えるわ。タンパク質は肉、魚、卵、大豆など。炭水化物はごはん、パン、うどん、パスタ、おイモなど。脂質は油ね」
「うん」
「お父さんがお墓参りのときに『ごはん食べてきたのにフラフラする』って言うのは、パンやお米を食べてこないから。飴食べると治るでしょう?」
「飴も炭水化物……」
「そうそう、甘いのは大体炭水化物」
思った通り、いや想像以上になにもわかっていない。この時代の男たちの多くは、外で稼いでさえいればよかったからだ。身体に意識を向ける暇もなく栄養ドリンクを飲み干し、24時間働いていたジャパニーズ・ビジネスマンの末路がこれ。
終わりは見えたが先は長い。ため息を吐く私に、父は娘お手製の図解を指差しながら笑顔で言った。
「ねえ、刑務所みたい!」
父の生活が少し楽になればいい。マイ・フェア・ダディはゆるくていい。そう思い直したはずなのに、やはり鼻息が荒過ぎたか。しかし、こんなことではめげない。
「刑務所、入ったことないでしょう? とにかく、毎日食べたものをここに書いて。まずはそれから」
小さいノートを手渡すと、父は「はいはい」と安請け合いをした。これがのちのち功を奏することになるとは、このときは想像もしていなかったのだが。
(つづく)
(「波」2020年11月号より転載)
-
ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
この記事をシェアする
「マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ジェーン・スー
-
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
連載一覧
対談・インタビュー一覧
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら