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考える四季

 国立国会図書館で今、起きていること、それはちょっとした革命だ。「デジタル化」と呼ばれる作業のことであるが、これは私にはあまりピンと来ない言い方で、昔の本や雑誌を次々と全ページ撮影し、コンピュータの画面ですべて読めるようにする―というだけでなく、そこに収録・掲載されている各篇の題、筆者の名などをトコトン拾い上げ、その単語なり人名なりを打ち込めばすぐそのページにたどり着ける―という仕組こそすごい。いや、世人の多くは「デジタル化」と言えばそういうことだと理解しているのかもしれないが……。

 国会図書館は昔から『雑誌記事索引』というものを作っていて、大判で分厚いその本を昔は必死でめくっていた。やがてその内容はコンピュータで検索できるようになったけれども、もともとこれはさして網羅的な代物ではなく、たとえば昭和二十年代に創刊された雑誌なのにそれを昭和四十年代から拾うという調子で、索引化の対象とする雑誌を徐々に増やしてはいたようだが、過去の分に遡ることはなく、結局その分は現物をめくらなければならなかった。書物にしても、いろんなものが載っている場合、各篇の題や筆者の名がマメに索引化されているとは限らず、えてして不揃いで、「あの本はあそこまで載っていたのに、どうしてこの本はここまでしか拾っていないんだ!」とコンピュータの画面に向かって毒づくことがよくあった―いや、すでに知っている本のことを検索したのなら取りこぼしに気づくということもありうるが、知らなければ単にその本にたどり着けないだけだろう。

 それが今度はことごとく拾われることになり、クリック一つでそれが一覧でき、クリック一つでそのページが読めてしまう。眠っていた資料が一斉に叫び出したようなものだ。しかもクリック何度かで複写も容易にできてしまう。昔は本が出るのを待つのが大変、複写を申込むのも大変で、館内を右往左往させられていい運動になったものだが、今は国会図書館に行ってもコンピュータの前にじっとしている時間が長くなり、足がカチカチになっているのを感じてハッとすることがある。私が見る資料はたいてい「国立国会図書館限定」と表示され、つまり自宅にコンピュータを設置しているような人間が送信によって安直に読むことは許されず、ここに足を運んだ者のみが享受しうる幸せがあり、退館すれば心も軽く、カチカチになった足をほぐしたいとも思い、国会図書館から銀座まで、あるいは新宿まで歩く、これがまた心地よい。

 最近は丸谷才一の書誌と年譜を作るのに利用した。『丸谷才一全集』(文藝春秋)の最終巻に入れるためのものだったが、網羅的な年譜などを載せる紙幅はなく、書誌ももっと書き足したかったがやはり紙幅がなく、国会図書館でいろんなことがわかってもごく一部しか使えなかった。調べたことをほとんど捨て、当初書いた原稿もバサバサ削り、校正刷でもどんどん削り、骨と皮が残った。それでも山形県の鶴岡市銃後奉公会が昭和十五年に出した冊子に鶴岡中学校三年・丸谷才一の文章(高見順ばり!)が載っている、と年譜に書けたのはデジタル化の恩恵である。徒手空拳ではこんな資料に行き着けるわけがない。国会図書館に行ってまず「丸谷才一」と打ち込むという日々がしばらく続いたが、それで出て来る件数が、行くたびに増えるのだ。今日もまた丸谷才一がどこかで目を覚ましたらしい……国会図書館の地下で毎日せっせとデジタル化の作業にいそしんでいる人が何十人かいるのだろう……と熱く想像した。

 この銃後奉公会の冊子は兵隊にあてた慰問文を集めたものだが、中に含まれる「朝暘第二小学校六年」とか「鶴岡高女四年」とか「大日本国防婦人会鶴岡支部長」といった肩書の筆者の名を打ち込んでみても、ちゃんとこの冊子が出て来る。丸谷才一が特別扱いされているわけではない。絨緞爆撃と言おうか、底引き網と言おうか、有名無名を問わず何でもかんでも索引化しているのがありがたい。

 ときどきほかの文人の名を打ち込んでみた。おやこんなところにこんなものを書いていたのかと思い、改めてその人の書誌なり年譜なりを覗いてみると、載っていない……ということがしばしばあった。そういうことにもなるだろう。底引き網にはかなわない。今後もしまた書誌や年譜を作る話に襲われることがあっても、国会図書館のデジタル化が進んでからにしたいものだ……かかる時間が十倍も百倍も違う。

 デジタル化で困るのはときどき不鮮明なこと。本ののどを無理に開いて撮影したりしないから、そのへんの字は歪んでいることがあり、紙が古ければ全体が黒っぽく、字は読みにくい。複写ではなく写真撮影だから限界がある。資料を保護するためという理屈なのだろう。それに、デジタル化された資料はもう現物を見せてもらえなくなる。デジタル化すなわち現物とのお別れだ。それとも、画面で読みにくければ現物と対面させてもらえるのだろうか。そう言えば二十年くらい前、ある大人物のすこぶる立派な書誌・年譜を作った人から「忙しかったので、国会図書館の書庫の中にはいる許可をもらったのです」……という苦労話のような自慢話のようなものを聞いたことがあり(その人は、その大人物の令嬢であった)、そんなことができるのかと驚いたが(いったい誰に頼むのだ?)、あんな広い書庫(私も一度見学したことがある)の中を動き回れたとしても、かえって時間がかかりはしないか? ……と思ったものだ。とかく世の中には抜け道や裏道がありがちだから、デジタル化すなわち現物とのお別れ―でもないかもしれないが……。

(「考える人」2015年冬号掲載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

武藤康史
武藤康史

評論家。1958年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒。著書に『文学鶴亀』(国書刊行会)、編書に『林芙美子随筆集』(岩波文庫)、訳書に『明かりが消えて映画がはじまる ポーリン・ケイル映画評論集』(共訳・草思社)など。(雑誌掲載時のプロフィールです)


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