父の文鳥は一日おきにひとつ、ふたつと無精卵を産み続けている。体に負荷が掛かるだけで、いいことはひとつもない。父も心配で仕方がないらしく、ペットショップに相談し、動物病院にも連れていった。しかし、決定的な解決策はないようで、餌を減らしたり、巣の位置を変えたりで様子を見るように言われただけだった。
毎日世話をし、愛でる対象となる文鳥を飼い始めてからの父は、それまでより喜怒哀楽がハッキリしたように思う。部屋のなかに放てば必ず父の肩や太ももにとまり、真っ赤なくちばしで父をつつく。痛い痛いとぼやきながら、父は嬉しさを隠せない。文鳥は父を好いており、そのおかげで、父の生活にハリが出た。種は異なれど、家のなかに命がふたつあると、生命力は相互に循環する。できるだけ長生きしてほしい。父にも、文鳥にも。
ペットショップや獣医に言われたことをすべて試しても、文鳥の産卵は止まらなかった。朝晩、父から食事の写真とともに卵の写真が送られてくるたび、私の胸も痛んだ。消沈した父が電話を掛けてきて、「心配で心配で、仕事が手に付かないよ」と私にこぼす。あなた、とっくのとうに無職でしょうが。そう笑うと、父は電話の向こう側であきらかにむくれている。彼にとっては、自分と文鳥を生かしておくための毎日の生活が、もはや仕事のような責務なのだろう。心無いことをしたと、私は少し反省した。
非常事態宣言が発出されるほど新型コロナウイルスの感染者が増加したこともあり、元日の墓参り以来、父とは会っていなかった。私はすこぶる元気だが、無症状の感染者ではないという保証はない。まさかこんな事態になるとは思っていなかったが、父の家に通わずとも暮らせる仕組みを作っておいてよかったと胸を撫でおろす。
半年前、父の居住空間はひどいものだった。老人の独り暮らしには十分な広さがあったが、とにかくものだらけで汚部屋寸前。傘立てには10本以上の傘がささり、玄関から居室に続く短い廊下には、賞味期限がとっくに切れたいただきものが堆く積まれていた。
玄関を入って左手の小さな部屋には、使っていないテーブルとイス、引っ越してから一度も目を通していないであろう書類、着なくなった衣類、100枚以上はある紙袋、履かなくなった靴、よくわからない電化製品などが放り込まれている。ダイニングに入ると、ハサミやらメモ帳やらペンやらの文房具、数種類の健康食品、お菓子、これまた謎の書類などが4人掛けのダイニングテーブルを占拠し、肝心のごはんを食べるスペースがない。リビングであるはずの場所からは、ソファが消えていた。父が気まぐれに捨てたのだ。床に毛布を重ねて敷き、そこに横たわって一日中テレビを見ているらしい。
立派なコーヒーテーブルのほかに小さな簡易机がふたつみっつ置かれ、読んだ形跡のない本、使っていないノートパソコン、洗濯済みの衣類、薬、新聞、なにが入っているのか誰もわからない小さな紙袋の数々が雑然と載せられていた。ゴミとそうでないものが、モザイク状に生息している。ご丁寧に、そのすべてにタオルが掛けられており、父曰くほこり除けのためらしいが、それはまるでご遺体の顔に掛けられた布のようで、リビング全体がぎゅうぎゅうの霊安室のようだった。キッチンは言わずもがな。どこも荷物が多すぎて、掃除が行き届いているとは言えない。床はところどころベタベタしているし、風呂場やトイレなどの水回りも、腰を据えて掃除をしたほうが良い状態だ。そんなありさまに、父も心底疲れている。
できるところまでの整理整頓は私がやろうと頑張って、すぐに報われない気持ちになったのは第一回に記した通り。私は同情や後ろめたさをエンジンにすることを止め、問題解決に頭を切り替えた。
父のこと専用のロルバーン横長ノートを開き、「必要なケアをアウトカム(結果)から可視化せよ」と書かれたページをにらむ。一番上に記した「父が精神的・肉体的に健やかな独り暮らしを一日でも長く続ける」がゴールであることを忘れてはならない。
家事代行業者を頼めばどうにかなると思い、数社から資料を取り寄せていたが、この状態は家事代行の範囲を大きく超えている。もう一度、最初から考え直す必要があった。
【ゴール】
家事代行サービスを頼めば、父の生活が健やかに回る状態までに居室を整えること。
【現状の問題】
炊事・洗濯・掃除といった家事を、代行業者がつつがなく行える素地が整っていない。素地を整えるのに、私ひとりではどうにもならない。
【解決案】
家事代行サービスへのスムーズな移行を考え、大規模な整理整頓と清掃も担える業者を探す。ない場合は、別々の業者に頼む。
次に、取り寄せた家事代行サービスの資料を開いて一覧表を作る。
・整理整頓と清掃のサービスの有無
・トライアルがあるか否か
・毎回の家事代行サービスのあと私に簡単な日報を出すことができるか
・一時間の料金
・キャスト(担当者)は固定できるか
男性もいるからだろうか? 「家政婦」という言葉を使っている業者はひとつもなかった。今は「キャスト」というらしい。まるでディズニーランドだ。
合計6社の比較一覧表を作り、資料だけではわからない場合は電話で問い合わせた。ファミリーではなく、独居老人の家であることも伝える。1時間の料金は、どこも大体3000円台後半。整理整頓については、クローゼットオーガナイザーという衣類整理の民間資格を有するスタッフを派遣するサービスを持つところもあれば、「お宅を拝見してみないとわかりません」というところもあった。時間もないので、見切り発車で片っ端からトライアルを頼む。父との相性もあるだろう。
父の負担を考え、トライアルはマックスで週に二度に抑えた。子の心親知らずで、父はめんどくさそうにしていたけれど、最後まで付き合ってくれた。
ほとんどの業者が、社員である地区担当者と、実際にサービスを行うパートのキャストさんの二人一組でやってきた。その時点では部屋は半分も片付いておらず、来訪者は皆、にこやかに面喰っていたように思う。
サービスはさまざまだった。軽い症状なら要介護の住人がいる家も請け負う業者は、定型の報告書が非常にきめ細やか。家事代行をしているあいだ、住人がどれくらいの水分を何度摂取したかを記す欄まである。家事のほかに、お話相手もできることを謳う業者、近くの買い物や病院への同行ができることを謳う業者もあった。サービス内容が各社異なるのに反し、キャストさんはどこも似たり寄ったりだ。個人的な感想だが、研修を受けているとはいえ、基本的にはキャストさんが家でやっているやり方で家事をやるので、意外と神経質な父との擦り合わせが大変だろうと、私は頭を抱えた。
トライアルで出会ったキャストさんで、記憶に残っているのは2人。丁寧なサービスを謳う高級業者から派遣されたキャストさんは、若くて飛びぬけて美人だったが、技術があるとは言えず、ひらひらしたエプロン姿で四角い父の家をのんびりと丸く掃いて帰っていった。「高級なサービス」ではなく、「高級っぽいムード」に払う金はないので、ここはナシ。
もうひとりは、飛びぬけてデキる60代の女性だった。自己紹介が終わるなり、胸元に自分の名前がひらがなでプリントされた割烹着に着替え、さっさと掃除を済ませ、余った時間で簡単な料理を数品作ってくれた。とにかく、手際が良い。掃除も丁寧で、料理はどれも味が良かった。気さくで人当たりも良く、聞けば、すでに20以上の世帯を担当しているという。やはり、デキる人には仕事が集まる。プロのキャストさんだ。
私はぜひこの方にお願いしたかったのだが、父は浮かない顔をしている。わかる、わかりすぎる。この男は、ドミナント(支配的)な女が苦手なのだ。支配的な私が娘だというのに。
敏腕キャストさんは、自分がデキる仕事人だということを自分でわかっていた。それが、彼女の所作の端々から漏れていたのは否めない。娘からすると頼もしいことこの上ないが、父はそれが気に入らなかったらしい。「料理の味が気に入らない」とかなんとか言っていたけれど、それが本当の理由ではないだろう。加えて、この業者にはプチ汚部屋の整理整頓を請け負うサービスがなかったので、仕方なくあきらめた。
最終的にお願いすることになったのは、家事代行サービス以外にも、マンションの居室のクリーニングなども手広く行う業者だった。不用品の廃棄含め、大掃除も請け負ってくれるという。
地区担当者である営業の人は非常に気持ちが良く、父の話をよく聞く「男性」だった。認めたくはないが、これがデカい。仕事に関し、父は女より男を信用しているのだ。
キャストさんには目もくれず、この営業担当者を気に入ったのが父の態度にハッキリ現れている。私から見ても信用のおける人ではあったが、日ごろからフェミニズムを標ぼうする私としては、納得がいかない。しかし、背に腹は代えられないのだ。忘れてはならない。すべては、父のために。さあ、役者は揃った。世紀の大掃除を始めようではないか。
(つづく)
(「波」2021年2月号より転載)
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ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ジェーン・スー
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1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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