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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 私に相談なく、父が文鳥を飼い始めたのは2年前だ。鳥好きなのは知っていたが、まさかこの年から小鳥の飼育を始めるとは思いもしなかった。あわてて文鳥の平均寿命を調べると、8年から10年とある。当時80歳だった父のほうが、先にあの世へ飛び立つ可能性がないとは言えないギリギリのライン。後先を考えない人間のやりそうなことだと、私は妙に感心した。
 文鳥は恐ろしく人懐っこい。ペットショップで爺に衝動買いされたことを悲観するでもなく、家に放たれて、ものの30分で父に懐いてしまったらしい。父が送ってきた動画を観ると、全身灰色の小さな小さな鳥が、父の首元に止まって寝ていた。小鳥は「ピーコ」と名付けられた。子どもの頃、父が拾ってきた山鳩のヒナもピーコ。父にネーミングセンスはない。
 最初に鳥かごを組み立ててあげた以外、ピーコが私の手を煩わせることはなく、父も熱心に世話をしていた。ひとつだけ、父がピーコに餌をあげすぎていないかだけが気がかりだった。というのも、食べさせることで愛情を表現する悪癖が父にはあり、それで私もペットの犬もどんどん体が大きくなってしまったから。つまり、父は前科二犯だ。誰よりも食べて太らなければならないのは自分なのに、「ピーコはよく食べる」と父は嬉しそうに電話で話す。このままだと前科三犯まっしぐらじゃないか。
 つい先日のこと。いつものように、父から毎日送られてくる食事の画像を開くと、小さな卵が写っていた。ピーコが産んだという。「ピーコ」とは名付けたものの、本当に女の子だったとは知らなんだ。ほかの文鳥とは一切接触したことがないから、無精卵なことは間違いない。
 父も私も呑気なので、無精卵とは言え卵が産まれたという非日常の慶事に、一瞬心が沸きたった。しかし、よく考えれば、小さな体で体躯の半分くらいの大きさの卵を産むのは難儀に違いない。女に生まれたばっかりに、可哀相に。調べてみると、発情期に産卵するのはある程度仕方のないことらしいが、餌を与えすぎると卵をよく産むようになってしまうらしい。父の前科三犯確定だ。
 父は呑気なまま、目玉焼きとベーコン、納豆に玉子(目玉焼きと合わせて2個も!)、サラダ、佃煮、ローストビーフと白飯の写真を続けて送ってきた。たんぱく質ヨシ、脂質ヨシ、炭水化物もヨシ。自炊の真似事を始めてから1か月ほどで、メインのおかずとして、薄い牛肉や目玉焼きをひとりで焼いて食べるのが父の習慣になったことは大変ありがたい。ご飯は毎朝自分で炊いている。目を見張るような成長っぷりだ。しかし、これだけ食べても体重は56.5キロからピクリとも増えない。ジワジワと5キロ減ったあと、また2キロ減ってしまっての56.5キロだった。病気にでもなったかと心配になるところだが、父はそんなタマではない。
 先述のメニューを父が自力で用意できるようになったことを寿ぎつつ、毎日LINEで送られてくる食事の画像を見て、私は呆れてもいた。ある夜に送られてきた写真には、明らかにひとりでは用意できないであろうバランスの取れた美味しそうな料理が、引退を余儀なくされた大奥の御年寄も、父も使わない皿に盛られていた。父の生活に、新たなエース、つまり食事を作ってくれる人が現れたというわけだ。皿の選択は個人を表す。こうやって秘め事はバレる。ありがたいことだが、にわかには信じられない。この男はどこまで女という女に甘やかされれば気が済むのか。
 新エースはスレンダーだった。そして図らずも、スレンダーな人が用意する食事は人をスレンダーにすることを、父の肉体が証明した。You are what you eat(食べ物があなたを作る)とはよく言ったものだ。しかしどこをどう見ても、過去に見た記憶がうっすらある、大奥の料理との違いが私にはわからない。酢の物が多いような気もするが、そんなことで体重が落ちるものだろうか。いったいどうやって? コロナのせいで出歩くこともできず運動不足が祟り、筋肉が落ちている可能性は高い。こればかりは一朝一夕ではどうにもならない。
 老人は十分な水分を摂取しない傾向にあるので、食事毎に汁ものを摂ってもらう約束も取り付けた。アマノフーズのフリーズドライのお味噌汁のほか、渋い顔をされながらいくつも試してもらい、ようやくひとつだけ、カボチャという好みの味を発掘した、お湯を注ぐだけのインスタントスープ。これらを欠かさないよう、Amazonで買って送りつけるのが私の仕事。定期便にしてしまうと楽だ。ひとつだけ失敗があるとすれば、茅乃舎のフリーズドライ味噌汁の味を父に覚えさせてしまったこと。「あれが一番美味しい」と頻繁にねだられる。そりゃあそうでしょう。日常的に食してもらうには、少々値が張り過ぎるのだよ。
 これで一安心と思いきや、問題は思わぬところに横たわっていた。父が食事をする姿を眺めていたら、お味噌汁のお椀がうまく持てなくなっていることに気付く。握力の問題だろうか、中指と薬指で椀の底を支え、親指で椀のフチを押さえて上げ下げする動作が、見ていて危なっかしい。こういう日常ごとが出来なくなるのが、老化なのだろう。父は、全身で老いというものをつぶさに見せてくれているとも言える。
 私が悩む万物のことなど、すでに先人が解決してくれていると相場が決まっているから、気が楽だ。なんの気なしにニトリに立ち寄ったら、椀の横についたグリップを掴むタイプの汁もの用の食器が、手ごろな値段で売っていた。色は黄色。子どもっぽいと嫌がるかと思いきや、軽くて使いやすいと重宝してくれたので赤色のも買った。

 父の生活を立て直すにあたり心がけているのは、とにかく情に流されぬための工夫を凝らすことだ。親子のことを気持ちのぶつかり合いで処理できるのは、子が成人になるまでだろう。親が老いたらそれは尚更難しく、自分が抱える漠とした不安に押しつぶされそうにもなる。ならばビジネスライクに進めようと試行錯誤を続け、あるときから、父のケアは「終わらないフジロックフェスティバル」だと思うことにした。
 父は往年の海外一流アーティスト。たとえばザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーだ。わがままの度が過ぎるときは、元オアシスのボーカル、リアム・ギャラガーでもいい。私は招聘元で、とにかく今日のステージがうまくいけばそれで良しと考える。ビッグアーティストだから言うこともコロコロ変わるし、こちらが言ったことも忘れる。相手がミック・ジャガーなら、私はそれを真正面から咎めることはしないだろう。「ミックさん、私の気も知らないでひどい!」なんて絶対に言わない。ニコニコうまく誘導して、気持ちよくステージに上がってもらうよう努めるに違いない。だってそれが仕事だもの。真摯なコミュニケーションとは言えないかもしれないが、気にするもんか。すべては、精神的・肉体的に健やかな独り暮らしを一日でも長く続けてもらうため。それが、父のフジロックだから。
 父のためと言いながら、どこかで父の生活を蹂躙しているような後ろめたさは、「終わらないフジロック」を運営するようにしてから徐々に消えた。父にも改めて、これはあくまで一大プロジェクトなのだから、お世話される側ではなく、プロジェクトメンバーとしての当事者意識をもって取り組んで欲しいと頼んだ。フジロックを説明するのは面倒なので端折ったが、父の意識がここからハッキリ変わった。

 父と私の介護予防プロジェクトは、トライアル&エラーの連続だ。うまくいくことばかりではない。より詳しく栄養を知って欲しいと、厚労省が推奨する栄養バランスガイドや、各地の行政が高齢者向けに提供している10食品群チェックシートを参考に、1日のうちに摂取して欲しい食品である肉、卵、乳製品、脂質、果物、豆類、海藻類、野菜、イモ類、穀類、お菓子の項目を1ページごとに印刷した特製のノートを製作したこともある。デザイナーの友人に発注して作ったオリジナルだ。体重や体温を記す項目も作った。言っちゃ悪いが、完成度はかなり高い。
 豚の生姜焼きなら肉、サラダなら野菜と、食べたものを順番に丸で囲っていけば、寝る前に一日の食事バランスが一目でわかる優れもの。私は己の才気に酔いしれたが、うちのミック・ジャガーは「これはめんどくさい」と言って3日と続けてくれなかった。ミックがそう言うなら仕方がない。ノートの最低製作ロットが百冊だったのでたっぷり残っているが、おいおい私が使えばいい。毎日送ってくる食事の写真を見て、足りないものがあればそれをLINEで指摘する方針に変えた。
 冷凍食品では、失敗の後にひとつ鉱脈を見つけた。手軽でカロリー高くオススメの一品としてプレゼンした冷凍チャーハンは、買い与えてしばらくしてから父の家を訪ね冷凍庫を覗くと、まだたっぷりと残っていた。味が単調で飽きてしまったのだそうだ。残念。
 そのまま私が持ち帰ろうと冷凍庫の引き出しに手を伸ばすと、スレンダーさんが置いていったであろう冷凍しめじが目に入った。ピンときた私は、空の炊飯器に冷凍チャーハンと凍ったしめじを入れ、保温ボタンを押して父に言づける。
「これ、夕飯の時間になったらかき混ぜて食べてね」
「なにそれ」
「チャーハン」
「冷凍のでしょう?」
「まぁいいから」
 まったくの思いつき。完全なる見切り発車だったが、結果は大成功。しめじの出汁が保温モードでじっくり出たのか、父から美味しい美味しいと電話が掛かってきた。こんなことは滅多にない。私は自宅でガッツポーズをキメた。このやり方は、ほかの冷凍食品にも応用できそうだ。
 問題解決マニアの私としては、こういう些細なことが励みになる。目下の課題は、毎度の食事でいかに緑黄色野菜を欠かさないようにできるか。家政婦さんと相談しなければならない。家政婦さんを頼むまでにも紆余曲折があったのだが、それはまた次回に。

つづく) 

(「波」2021年1月号より転載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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