シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

おかぽん先生青春記

 生物心理学のゼミに入った俺は、秋葉原に通い詰めて偽アップルIIを作り、それで小鳥の条件付け実験を制御できるようにした。カナリアを使って長調と短調の聞き分けができるかどうかを調べて、確かにできることがわかったわけだ。ところが鳥が音楽の聞き分けができるということと、長調と短調など音楽で感じる情動が人間と同じかどうかという問題とは、全く別のものだということに、卒論の途中で気づいてしまったのであった。ギター部を引退してあっという間の1年であった。また12月がやってきて、俺は将来どうするんだという問題が生じてきた。大学4年の12月。
 が、そのあっという間の1年は、俺にとってそれまでとは全く別の世界で過ごした1年であった。昭和の生物心理学の大学院生達というものは、それはそれは変人であった。俺はそれらの変人の間でシゴかれ、俺も負けず劣らず変人になっていったのだと思う。そして変人であることが許容された時代のおおらかさと、それが醸造した創造性とそれが押しつぶしたかも知れない創造性とを考えると、今でも胸がキュンとなる。
 俺が通った研究室は、今ではむろん取り壊されている。最初は公衆便所かと思ったが、中に入ってみると2階建ての、当時としては最新の設備が整った立派な研究室であった。生物心理実験は、鳩やラットなどの動物を実験装置に入れて行う。そこには奇っ怪な装置がたくさんあり、それらはみんな先輩達の手作りなのであった。研究室の1F奥には電子工作室があり、人々はそこにたむろしていた。
 彼らは午後2時から4時の間に現れる。現れるとコーヒーを淹れる。最初は後輩として無料でいただいていた俺だが、ある時、「次はおっさんの番だぞ」と言われ、コーヒー豆を買いに行くことになった。そう、この研究室では人称は男女・年齢問わず「おっさん」なのである。コーヒー屋にはなぜかグリフィス監督の「イントレランス」など超古い映画のポスターが貼ってあり、そこのおやじは「リリアン・ギッシュ、いいですねえ」などと言いながらコーヒー豆をドリップ用に挽いてくれるのであった。豆を買って戻り、コーヒーを淹れるわけだが、粉を十分蒸らしてから淹れるということを俺はここで初めて習った。生物心理学研究室で最初に習ったのはコーヒーの淹れ方である。
 こういう環境の中で、俺は半田付けの名人になっていった。最初から名人だったわけではもちろんない。研究室に入り浸り始めてひと月くらいたったある日、ある先輩が突如、電子回路図を俺に渡して「おっさん、これ作れ」と言った。その回路図は抽象化されており、全く訳がわからなかった。しかし先輩たちは決して回路図の読み方を教えてはくれなかった。教えてはくれなかったが、あるとき先輩のひとりが「じゃ秋葉原行くぞ」と言う。秋葉原に着くと、迷路のような路地を抜け、3-4軒のパーツ屋に行ってその回路図を組むのに必要な部品を買うことを指示された。部品を買うと先輩は「カレーだな」とつぶやきながら、俺を「ベンガル」というカレー屋につれて行ってくれた。ベンガルはまだ秋葉原に実在する。俺が行き始めたころいたおばさんは、数年前まで現役であったが、今は世代交代したようだ。
 そうやって部品を買ってきて作った回路は、アップルII(偽物)の信号を取り出し外部の装置(電磁石など)を駆動したり、動物の反応(スイッチをつつくなど)をコンピューターに取り込んだりするもので、デジタル信号入出力装置なのだった。最初に俺が作ったデジタル信号入出力装置は、うんともすんとも動かなかった。悲観的な顔をしている俺を、先輩たちは天ぷら屋に誘ってくれた。俺がエビ天を食べていると、先輩のひとりは「おっさんの半田付けはこの天ぷらと同じなんだよ」と言った。つまり、衣と身が分離していると言うのである。天ぷらは本来そういうものだが、半田付けはそれでは信号が伝わらないのだ。半田が部品と基盤とをぴったりくっつけ合わせて電気信号を伝えるためには、衣(半田)も身(部品)もよく暖まっていないといけない。しかしあまり暖めすぎると部品は昇天する。この加減が難しく、俺は部品を昇天させるのがいやなので、「天ぷら半田」をしていたのであった。それにしてもこの先輩達、俺の半田付けが「天ぷら半田」であることを教えるためにわざわざ天ぷら屋に連れてくるのだから、手が込んでいる。
 ここに描いた先輩達は、複数の先輩達を元に造形している。これらの先輩達は、いつ行ってもコーヒーを淹れているか、半田付けをするか、プログラムを書いているか、なのであった。実験はいつするのだろう?と思っていても、誰もなかなか実験をしない。実験はいつするのか聞くわけにも行かないので、俺は先輩方とコーヒーを飲んだり半田付けをしたりプログラムを書いていたのである。そして時折秋葉原に行き、ベンガルでカレーを食べる。半田付けが下手くそな後輩が来ると、俺もそいつを天ぷら屋に連れていったものだ。
 そのような生活を半年ほど続けた後、俺はアップルII(偽物)を使った動物心理実験のシステムを独力で開発できるようになっていた。先輩達も、ぼちぼち実験を始めるようになっていた。それでも、大部分の時間、俺と先輩達は半田付けかプログラミングをしているか、またはコーヒーを淹れていた。誰もが「完璧な実験」をしようと密かに思っており、だから誰もがあれだけの長い時間同じ場所で過ごしていた。あの年、俺たちはそれこそプール1杯分のコーヒーを飲んだのではないだろうか。「イントレランス」はまだ観ていない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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