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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

商業省営業許可申請なのに個人口座に入金

 剛腕・バンデス主導のもと、6人のスタッフを新たに迎えたことは前回までにお話しした。バンデスが次にやってくれたのは、商業省で営業許可を取ることだ。
 バンデスはどこかに電話をかけてくれ、店にやってきた商業省の部長が持参した書類にサインし、彼の個人口座にスマホで送金する(なぜか個人口座。しかもびっくりするような金額を提示されたが、高いと言ったら300ドルまけてくれた)と、数日後には正規の営業許可書が発行された。
 当たり前だが領収書もないので、なかったことにされないか、気が気でなかったが、国家公務員でもあったバンデスの仲介のおかげで(?)、無事に許可書が届けられたときはホッとした。でも同時に、右も左も分からない状態でカンボジアへやってきた私が悪いとはいえ、こんなユルユルがカンボジアではおかしなことではないのだとしたら、この先、やっていけるのか不安になった。
 カンボジアの役所では、ほかにも日本では考えられないことができる。例えば子どもが生まれると、地区の役場に出生届を出すことになっているが、10ドル程度の手数料で名前や生年月日を後から変更することができるのだ。カンボジアには日本のような戸籍制度がないので、いつ生まれ、いつ結婚し、いつ亡くなったという一人の人生の歴史が把握できないこともあるが、ポル・ポト政権下でそもそも出生や死亡に関する個人情報がほぼ失われ、その後も登録情報が手書きだったために間違って作成されていたなどの問題もある。
 世界銀行の統計によれば、カンボジアで日常生活に必要な短い簡単な文を理解して読み書きすることができる65歳以上の人口の割合は、2015年で51.5%にとどまる。内戦終了後、追加で書類を登録に行こうにも、文字が読み書きできないのであれば、原本が間違っているかどうかも分からないケースが複数あったのだろう。
 それにしても、いったい何のために生年月日を変更する必要があるのだろうか。
 カンボジアでは就労可能年齢は15歳以上となっているが、貧しい家庭の15歳未満の子が早く就職できるように、出生登録簿の生年月日を古くして実年齢よりも年上にするとか、60歳定年後も働けるよう、公務員が実年齢よりも年下に変更するなどの事例があるという。
 実際、私の周りにも出生登録簿を変更した人は少なくとも二人いる。一人は元イタリアンレストランで働いていたサービススタッフで、大学在学中に付き合い始めた同級生の彼女を妊娠させてしまい、大学を中退して結婚することになったものの、彼女よりも年上になるよう、生年月日を変更した。もう一人は、2006年に18歳から30歳までの男性に兵役を義務付ける法律が可決した時、兵役に行かずにすむよう、生年月日を変えて31歳にした。パスポートや公的書類の生年月日はウソなので、妻でさえ、夫のパスポートに記載されている生年月日を覚えていない。
 そもそも、フェイスブックなどのSNSに登録している誕生日が、実際の誕生日と異なる人はカンボジアではとても多い。誕生日がふたつあることが珍しくないのだろうが、本人が自分の誕生日として認識しているのは、公的書類に記載されたウソの日ではなく、実際に生まれた日のようだ。とはいえ、カンボジアでは、誕生日をお祝いする習慣はそもそもなかったので、誕生日がいつなのか、あまり気にしない人が多い。最近の若者はケーキを買って誕生日のお祝いをするが、30代の私の友人は、子どものころから誕生日のお祝いをされたことはないし、両親や兄弟の誕生日も知らないという。代わりに、4月にあるカンボジアのお正月が国民みんなの誕生日で、日本の元日に一斉に加齢する数え年のようなものらしい。 
 名前を変えた友人もいる。カンボジアには苗字がなく、父親の名前が後ろにつく。例えば、私の父親が太郎だとすると、私の名前は、みどり太郎となる。ある友人の父親は内戦中、素性がばれて子どもに危害が及んではいけないと、出生登録簿にあった息子の名前のうち、父親の部分だけを変えたそうだ。私の名前の例えでいえば、太郎の部分だけを変えたというわけだ。

電話一本で役人を呼び出すバンデスの剛腕ぶりは続く

 バンデスの話に戻ろう。
 私が日本に戻り、スタッフが入って二週間ほどたった頃、「今日で辞めたい」と言い出す子が出てきた。ボニーという21歳の女子大生だ。私は商売をしているわけではないので、そもそもみんなに働いてもらわないと困る、ということはない。基本的には「去る者は追わず」のスタンスなのだが、これまでボニーはとても楽しそうにパンを作っていたので、なぜ辞めたいのかが気になった。しかし何度尋ねても、彼女は理由を言わない。私が現場にいないうえ、辞めたい理由を言わない限りは対応することもできず、ボニーはこうしてわずか二週間で脱落した。
 同じころ、バンデスが、一人の男性スタッフを「月末で解雇せよ」と私に指示してきた。営業で雇ったのに役に立たないから、というのがその理由だ。その男性はとても穏やかで、にこやかで、頑張り屋さんだった。夕方から大学で電気工学を学びながら、週に三日、イオンモールの夜勤警備もしていた。「売れるものが揃っていないのだから、営業スタッフもすることがないだろうに」とは思ったが、バンデスが良かれと思って雇ってくれたものの、そもそも営業スタッフはこの段階では必要がない。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、辞めてもらうことにした。
 そのうち、バンデスは、「いまの店のキッチンには、パンを焼く専用オーブンを置く場所がないので、うちの1階に引っ越してはどうか」と提案してきた。バンデスは50年ほど前に3階建ての家を建て、もともと1階では妻が雑貨屋をやっていた。人気のイオンモールから徒歩数分の交通量が多い通りに面しており、商売をしたい中国人に貸してくれとよく頼まれるのだが迷っていた、日本人の私になら、特別に貸してあげるという。
 彼が言うように、もともとイタリアンレストランだった店には、パンを焼くような大きなオーブンはなく、置くようなスペースもなかった。パンを大量に焼くのなら、確かにオーブンを新しく買う必要があった。
 バンデスの自宅の1階の家賃は日本円にして毎月12万円。私は、これが高いか安いかの判断基準を持ち合わせておらず、友人がキッチンを貸してくれていた場所が同じく月に30万円だと聞いていたこともあり、「まあ、そんなものか」と思ってしまった。それまで何度かバンデスの自宅の1階での家族みんなの夕食に誘われていたので、「バンデスは親切にも、自宅のダイニングホールを私に貸してくれるのだ」という勝手な思い込みが私にあったこともある。とはいえ、スタッフが増えた上に家賃もかかるとなれば、私の出費が一気に増える。
 私が日本に戻っている間に、バンデスはオーブンや冷蔵庫、クーラーまで買い揃え(もちろん私のお金)、スタッフを引き連れ、自分の家へ店の引っ越しを強行した。
 その時は、バンデスはちょっと強引だが、何も分からない私を助けてくれてありがたいとさえ思った。

 店を引っ越しした数日後――。
 スレイモンから、ベッドに横たわる写真と「入院した」という連絡がきた。おなかが痛くて病院に行ったものの、お金がないので手術ができず、病院の外廊下のベッドに寝かされているとのことだった。そういえば、それまでも何度か「おなかが痛い」と言う日があったが、その日の明け方に我慢できないほどの激痛に襲われ、友人のバイクで病院にやってきたという。
 ぐったりと横たわるスレイモンの姿にびっくりし、「なぜ病院の外廊下?」「何の病気?」「手術より、先にお金?」と頭の中でさまざまな疑問符が駆け巡った。

スレイモンから送信されてきた写真。何ごとが起きたのかとびっくりした。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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