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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

「冷蔵庫開けっ放しにするな」って何回言えば分かるの!

 自称コンサルタントのバンデスによるスタッフ採用や引っ越しの中、肝心の店の方はと言えば、そもそも儲けを出すために売らなきゃならないわけではないが、練習も兼ねて毎日作ったパンを廃棄することもできないので、受け入れ先を見つけなければならなかった。
 カンボジアに来てから、そして店のスタッフたちと一緒にいる間も、私には気づいたことがあった。彼らは、食べ残しをバンバン廃棄してしまうのだ。日本の多くの家庭では、おかずを食べきれなかったらラップをかけて冷蔵庫に入れ、レンジでチンするなどしてまた食べるというのが一般的だろう。カレーや煮物は多めに作って、何回かに分けて食べる家庭も多いはずだ。リメイク料理のレシピもネット上にあふれている。
 しかし、カンボジアではリメイク料理を作るとか、前日の食べ残しを食べるという感覚はまだまだ一般的ではない。どこの家庭にも保存する冷蔵庫があるわけではないこと、食べ残しを温める電子レンジもないことがその理由だろう。日本も50年前まではそうだったはずだ。雪国であれば、かまどで炊いたご飯をおひつで放置していても腐敗しなかっただろうし、電子レンジのない時代には、翌日は冷ご飯をお茶漬けにして食べていたのだろうが、年中暑いカンボジアでは、おかずやご飯を室温で保存するのは危険すぎる。私たちの店には冷蔵庫も電子レンジもあるのだが、スタッフたちはこれまでの人生で使ったことがないので、習慣のまま、食べ残しを捨てているのだろう。
 あるとき、プノンペンのスーパーで買い物をしたら、オマケでタイ製のマヨネーズの大きなボトルをもらったことがあった。スレイモンにあげようとしたら、「マヨネーズは大好きなのだけど、こんなにたくさんは食べきれない」と言った。「冷蔵庫に入れておけばいいじゃない!」と私が言うと、スレイモンはとても悲しそうな顔をした。そこで初めて、スレイモンの家には冷蔵庫がないことに気づいたのだった。恥ずかしながら、冷蔵庫や電子レンジがあるのが当たり前の生活をしていると、持っていない人がいることに考えが至らなかったのだ。
 友人に無償で借りていた、業務用の冷蔵庫や冷凍庫があった厨房からバンデスの自宅一階に引っ越した時、バンデスは私のお金でパナソニック製の家庭用冷蔵冷凍庫を買っていた。店のスタッフは「暑い!」と言っては、冷蔵庫に頭を突っ込んだり、冷気を浴びるために冷凍庫を開けっ放しにしたりと、本来の使い方ではない活用をしていた。何よりもみんなが喜んだのは、冷凍庫で氷を作れることだった。冷凍庫を開けっ放しにして、その前でみんながガリガリと氷を食べている光景を初めて目の当たりにしたときは、私は頭がくらくらしそうだった。冷蔵冷凍庫のドアを開けっ放しにしてはいけないことを教えるのは至難の業だった。

コッペパンサンド試食で広がる人の輪

 ともあれ、食べ物を廃棄しないことを徹底させたかった私は、作ったパンも無駄にしないためにはどうしたらいいかを考えた。そこで私の友人の紹介でJICA(国際協力機構)に連絡し、みんなでパンを試食してほしいと頼んでみた。数日後にサンドイッチを届けるという約束を取り付け、スタッフたちがコッペパンでカツサンドや照り焼きチキンサンドをそれぞれ10人分作り、お昼休みに試食していただいた。その時、日本人のスタッフたちから「あそこの幼稚園に営業に行ってみたら?」「あのホテルに聞いてみたら?」などなど、たくさんもらった情報の中に、「日本人会のソフトボールの練習があるので、そこへ差し入れを持っていけば、喜ばれるよ」というのもあった。
 さっそく日本人会に連絡し、ソフトボールの練習場に差し入れを持っていった。すると、翌月にソフトボールの試合があり、懇親会には、プノンペンで日本人が経営しているレストランなどが無償でお酒や食べ物を提供するので、ぜひサンドイッチを出してほしいというお願いをされた。提供されるのは焼きそばやおにぎりなどが中心なので、カツサンドのようなものはありがたいとも。私はプノンペンにいる間は、日本人が経営するレストランに行くこともないし、そもそも日本人とのつながりもなく日本人会には縁がなかったのだが、スタッフにとってたくさんパンを作れるのはありがたい機会だと思って、受けることにした。
 当日は朝早くから、カツサンドと照り焼きチキンサンドを50個ずつ作って、スタッフみんなで、店から30分ほどかかるグラウンドまでバイクに分乗して届けた。実は私は、日本で仕事があったので不在だったが、代わりに池内さんが行ってくれたのだが、懇親会では、並べていたサンドイッチがあっという間になくなったという。
 宣伝になるならまだしも、まだパン屋さんを本格的に開業していないし、光熱費や材料費をすべて負担するだけでなく、遠くまでパンを届けに行くなんて、そこまでする必要があるのかという考えもあるかもしれない。しかし私は、スタッフのみんなにやりきる達成感や、食べてくれた人が「美味しい!」と言って笑ってくれる姿を知ってもらいたかった。そもそもこちらはパン作りに関しては素人集団なのだから、食べていただける機会を与えてもらえるだけでありがたいし、パンも廃棄せずにすむのだ。
 日本からお客さんもやってきてくれた。日本赤十字看護大学の大学院生たちだ。東京で看護師をしている私の友人の紹介で、カンボジアでの看護実習の合間に店に訪ねてきてくれた。ちょうどランチの時間だったので、看護学生たちにはサンドイッチを試食いただきながら、スタッフと交流してもらった。同世代の若者同士、お互いに何かを感じてくれたらうれしいなと思った時間だった。

日本赤十字看護大学の大学院生たちと。

意外な来客からの忠告で考えたこと

 別の日には、カンボジア人の恋人に会いに日本からやって来た日本人女性が訪問してくれた。女性は私の友人の同僚で、有給休暇を取ってカンボジアへ行くという話を聞いた私の友人が、店を訪ねてみるよう、彼女にすすめてくれたのだ。一緒にやって来たカンボジア人の恋人は日本の大学に留学していたそうで、大学祭で出会って以来、おつき合いをしているという。日本の大学を卒業した彼は日本語がとても上手で、プノンペン郊外にある日系の縫製工場のマネジャーとして働いている。日本に留学できるぐらいなので、貧しい家庭で育ったわけではないのだろう。男性は、スタッフたちが働く様子を見て、「小谷さんがこの子たちを助けなくても、この子たちは何も困らないです。仕事はいくらでもあります」とアドバイスをしてくれた。
 さらに彼の友人の話も教えてくれた。レストランを経営していたが、調理担当のスタッフが材料の肉を少しずつ盗み続け、材料費が負担になって店を閉めたという。勤務中に盗んだ肉はばれないよう、ごみ箱に捨てており、閉店後に回収して肉を洗い、市場へ売りに行っていたそうだ。カンボジアでは、日本人には想像できないことが起きるので、スタッフを信用してはいけないと忠告してくれた。
 スタッフと同世代のまだ20代半ばの男性が、そんな風に親切に忠告してくれたり、日本をリスペクトしてくれたりするのはありがたかったが、同胞のカンボジア人のことを下に見ているようで、ちょっと違和感を覚えた。
 そんな感覚を抱いたのは、この男性に対してだけではない。私の友人が引き受けたイタリアンレストランを経営していたカンボジア人男性も、日本の文部科学省から奨学金をもらって留学した秀才だが、カンボジア人スタッフを奴隷のように扱い、高圧的な態度を示す一方で、日本人や私には平身低頭だった。
 バンデスも同様だ。スレイモンを罵ったり、自分に意見をするスタッフを冷たくあしらったりする態度にはびっくりしたが、カンボジアでは、バンデスのような人は少なくないのかもしれないと思うようになった。
 以降も、カンボジア人の間にも、貧富や教育格差、男尊女卑によるヒエラルキーが歴然とあることを感じる瞬間にしばしば遭遇することになる。
 例えば、カンボジアの若者に将来の夢を聞くと、高い確率で「経営者」という答えが返ってくる。最初は、起業意識が高くてすごいなあと感心したが、何の経営をしたいのかというビジョンはない。要は人に指示されたり、命令されたりするのがイヤだというだけなのだ。経営者は椅子にふんぞり返っているのが仕事だと思っているきらいがある。それだけ、高圧的な経営者が多いということなのだろう。
 バンデスは、私のスタッフ(といっても、バンデスが選考してくれたのだが)に自分の家の雑用を言いつけ、仕事以外のことをさせていた。ある日、バンデスと近所のレストランで食事をしていた時、バンデスがどこかにクメール語で電話をかけたと思ったら、私のスタッフがやってきた。何ごとだろうかと思ったら、バンデスが彼に自宅のカギを渡し、「これを妻に渡しておいて」と言って追い返した。
 何度も言うが、バンデスに電話一本で呼び出された子は、バンデスのスタッフではない。雇い主は私なのだが、私が日本にいることが多いので、スタッフはバンデスも店の経営者だと思っているのだろう。それにしても、スタッフは家の仕事をしてくれるメイドさんではないので、仕事以外の用事をお願いするのはルール違反ではないかと私は思うのだが、カンボジアでは、これが当たり前なのだろう。
 上司の命令は絶対なので、カンボジアの若者が経営者になりたいと思う気持ちが分からないでもない。理不尽なことがあっても、上司に意見をするなんて、とんでもないことなのだろう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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