彼女たちに利用された私
「スタッフはもっといた方がいい。知り合いや友だちに声をかけて!」と、バンデスがスタッフに言っていたようで、スタッフの従兄弟やら、同郷の友人やらが店に働きたいとやってくるようになった。製パンを学びたい人であれば、もちろん大歓迎だが、増えた人手で焼いたパンを引き取ってくれるところをさらに探さなければ、大量の廃棄が出てしまう。それにそもそも、素人のパン作りなので、発酵に失敗してパン生地ごと廃棄する日も少なくない。
男性スタッフがある日、「この子を雇ってほしい」と連れてきたのは、高校卒業試験に落ちた従兄弟だという。カンボジアでは、日本の中学一年生レベルの英語が分からなくても、掛け算や割り算の概念が分からなくても、ほとんどの人は高校卒業試験に合格するのに、それに落ちるというのも珍しい。話すと、穏やかな良い青年に思えたので、「うちでよければどうぞ」と受け入れることにした。
しかし結局、この青年は2カ月で辞めてもらった。自発的にパンを作ってみようという気もなければ、何度言ってもシャワーを浴びず、不潔な格好で出勤してくるのが原因だ。注意するたびに「生まれ変わります」「明日からはちゃんとします」と返事だけは立派なのだが、みんなが働いていても、知らん顔してくつろいでいる姿を見た時には、さすがの私も、どうしてあげたらいいのか分からず、お引き取り願ったのだ。
バンデスの選挙区の出身で、バンデスの温情で店に住めることになった女性スタッフ・チャンティも、同じ村の出身で、同じ大学に通う女性を「この子も働かせてほしい」と店に連れてきた。二、三日すると他のスタッフが、「チャンティが店に住んでいるなら、この子もアパート代がかかるのだから、一緒に住めるようにしてあげるべきだ」と頼んできたので、チャンティと一緒の部屋に同居することも認めた。カンボジア人は、自分が利益を得るわけではなくても、人のために良かれと行動する人が少なくない。
ところがチャンティの友人は、働きだして一カ月経ったころ、「今日で辞めます」と言い出した。理由は、「日本で技能実習生として働くので、明後日からプノンペンにある送り出し機関の学校に入る」という。チャンティと一緒に通っていたと思い込んでいた大学は、うちへやってくる前に退学しており、全寮制の送り出し機関に入るまでの間、住む場所とお金を得るためにうちへやってきたのだった。
送り出し機関に払う50万円の費用は、マイクロファイナンス(貧困者向け小口金融)で借りたという。2020年春には、名古屋近郊のプラスティック工場で働くことがすでに決まっているという話を聞いて、私はカンボジア人のしたたかさに驚かされた。連れてきたチャンティは、まったく悪びれもしない。私は彼女たちに利用されたのに、チャンティは、友人のためにいいことをしてあげたとさえ思っているのだろう。
その女性は2020年秋に来日し、どこかの工場で働いている。つい先日も、一緒に技能実習生として派遣されたのであろうカンボジア人と桜の木の下で撮影した写真をSNSにアップしていたが、日本の工場でもらうお給料の中から、マイクロファイナンスの高い利息をちゃんと返せているのだろうか。
田舎からプノンペンに出てきて、せっかく入った大学を中退し、借金してまで日本の技能実習生として家族や自分の将来のために働く彼女の姿には、すごいとただただ感服するばかりだ。
働き手が減る少子高齢化・日本と、難民申請してまで働く若者と
日中は、日本のパチンコ店から受注したオンラインのアニメ広告を制作する会社で働き、夜はイタリアンレストランで働いていた青年オウンには、年上の彼女がいるが、その彼女も2020年1月から技能実習生として日本で働いている。
和歌山の花卉農家に派遣されたものの、仕事が過酷なうえ、残業代はもらえず、寮費や税金などを引かれると、手取りで10万円も残らなかったという。来日して半年ほど経ったころ、助けてほしいと彼女から何度か私に連絡が来るようになった。彼女の話が本当なのであれば、働いている農家に不正行為があるかもしれないので、英語も日本語も話せない彼女のために、クメール語で対応してもらえる国の相談窓口を紹介した。しかし彼女の携帯電話はWi-Fiを介しての使用しかできず、フリーダイヤルでも電話をかけられず、ある日、一緒に派遣されたカンボジア人とともに失踪してしまった。
法務省の統計によれば、2015年に日本で失踪した技能実習生は5803人だったが、2019年には8796人と、わずか4年間で1.5倍にまで増加している。カンボジア人の失踪者は2014年までは10人にも満たなかったが、2015年には58人、2018年は758人、2019年には468人と増えている。
失踪者のうち、全体の6割から7割を占めるのはベトナム人だが、次いで中国人、カンボジア人と、なんとカンボジアは3番目に失踪者が多い国なのだ。その理由は、技能実習生として来日するカンボジア人の総数が、2014年には1527人だったが、2015年には2546人、2018年には8432人と激増していることにある。自己主張をせず、ボスの言うことには絶対的に従うカンボジア人は、人材を受け入れたい日本側からは人気があるのだろう。
高校卒業試験に落ちた青年の姉も、技能実習生として関東の豆腐工場で働き、カンボジアへ帰国したばかりだった。3年間働き、100万円ほどの貯金を持ち帰ったそうだ。カンボジアでも実習した豆腐を作っているのか尋ねたら、プノンペンのレストランでサービススタッフとして働いているという。日本で技能実習生をしていたという若者何人かにカンボジアで出会ったが、誰一人として、習得した技能を帰国後も活用している人はいなかった。
ともあれ、失踪したオウンの彼女は、同郷出身のカンボジア人夫婦にかくまわれていた。聞けばもともと知り合いでもなんでもなく、在日カンボジア人たちのSNSコミュニティ上に彼女の「助けてほしい」というメッセージが載っていたのを見た男性が、妻と同郷だったので助けてあげたということらしい。自分たちが住む家はワンルームなのに、日本にやってきてから痩せてしまった彼女を一緒に住まわせ、食事を食べさせ、面倒をみてあげていた。カンボジア人には、こういう非常に親切な人が多いのだ。
この20代後半の夫婦は、生まれたばかりの子どもを両親に預け、6年前に福岡の弁当工場での技能実習生として来日していた。実習期間が終わったのでいったんカンボジアへ戻ったが、もっとお金を稼ぎたいと、夫婦は観光ビザで再来日した。在留期間が切れる直前に難民申請をし、なぜか無事に受理されたので、現在は難民として関東地方の工場で働いていた。給与明細を見せてもらったら、なんと二人で月に手取り45万円以上稼ぎ、毎月30万円を母国に送金しているという。自分たちは高校にも行けなかったが、秋に小学校に入学する子どもには、公立ではなく、インターナショナルスクールで良い教育を受けさせたいそうだ。男性は2021年内に帰国するが、妻は、あと数年は日本で稼ぐつもりらしい。
失踪した技能実習生たちからすれば、この夫婦は成功者であり、みんなの憧れなのだろう。オウンの彼女も、この夫婦の指南で難民申請をしている段階にある。チャンティが連れてきた女性と同じく、借金を抱えて来日しているので、稼がずにこのまま帰国するわけにはいかない。
オウンの彼女はもちろんだが、この夫婦も5年間日本にいるのに、ほとんど日本語が話せない。工場で黙々と働くだけの毎日では当たり前だろう。寮になっているアパートには、同じ工場で働くベトナム人、フィリピン人、スリランカ人などが住んでいるが、まったく交流がないという。
日本人として、技能実習生制度が悪いとか、難民制度を悪用する外国人が悪いなどと批判するのは簡単だが、少子高齢化の日本で、働き手になってもらえるのはありがたいし、外国人も母国に送金できるので、双方の利害が一致しているのだろう。
しかしお金を稼ぐために借金をしてまで来日し、単純労働をするだけの日々が、長い目で見て彼らの将来にプラスになっているのだろうか。20代は、将来のために知識や経験を蓄積したり、技能や技術を身に付けたりできる大事な時期だ。私は、学歴がなくても技能がなくても、住み慣れた場所で家族と一緒に暮らし続けられるような支援をしたいと改めて感じていた。
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小谷みどり
こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小谷みどり
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こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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