シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

2021年5月14日 没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

17. さらば、バンデス(1)――亡命中の反政府派指導者帰国でまた引っ越しのわけ

著者: 小谷みどり

逮捕? 射殺? クーデター!? 膨らむ妄想

 自称コンサル、バンデスのおかげ(?)で、素性が分からないスタッフがどんどん集まった。高校卒業試験に落ちてぶらぶらしている青年、日本に技能実習生として行くために大学を中退したが、渡航前研修までの繋ぎで宿泊先とお給料をもらうためにやってきた女性などなど。こちらを利用しようとするたくましい若者たちに翻弄される日々がこの先も続くのかと思われた。そんな矢先、2015年からフランスに亡命中だった野党救国党の指導者サム・レンシー氏が、カンボジアの独立記念日である11月9日に合わせて帰国するというニュースが駆け巡った。2019年のことだ。
 10月末には、内務省は国内の州知事に対して、救国党支持者の動きに警戒するよう指示を出した。救国党の国会議員だったバンデスの周辺が、にわかに慌ただしくなった。行きつけにしていたカフェに警察が来るようになったと言って、バンデスは別のカフェへ行くようになった。バンデスの選挙区の村にいる支援者からは、屋台のカフェでくつろいでいると、地元の警察官が横に見張りとしてつくようになったと、その様子を写した写真がバンデスのスマホに送られてきた。
 知り合いが、2016年には、メディアで現政権批判をしていた著名な評論家が、コーヒーを買おうと入ったコンビニで何者かに射殺されるという事件があったこと、その現場は私が滞在しているホテルの目と鼻の先にあることを教えてくれた。救国党の党首だったケム・ソカ氏は2017年に逮捕され、救国党は解党された。この年の地方選で救国党が躍進したため、2018年の総選挙で与党人民党が負けるかもしれないという不安をフン・セン首相が抱いたためだとされている。
 現に、サム・レンシー氏が帰国するらしいというニュースが流れて以来、クーデターを計画したとして、救国党支持者が70人以上も逮捕された。「コーヒーを飲もう」と誘われたカフェで、バンデスは「今日は何人逮捕された」と小声で教えてくれ、「自分も逮捕されるかもしれない」と言うようになった。バンデスには申し訳ないが、私は、カンボジアで政治の争いに巻き込まれるわけにはいかない。反政府派だと思われたら、躊躇なく射殺されたり、逮捕されたりする国だ。
 バンデスは、自宅入口に防犯カメラをつけ、その様子を自分のスマホで見られるようにしていた。そんな自宅の一階に、「特別に貸してあげる」と、私が日本にいる間に、バンデスは半ば強引に私の店を引っ越していたのだ。プノンペンの家賃相場も分からなかった私は、「親切な人がいるもんだなあ」とぐらいにしか思っていなかったが、実はバンデスには、妻の浪費の穴埋めに私からの家賃を利用しようという思いがあったことも、次第に明らかになってきた。私のいないところで、バンデスがスレイモンや他のスタッフに高圧的な態度をとることも悩みの種ではあったが、カフェ仲間の一人で、アメリカの退役軍人の男性は「バンデスは信用できる人だ」と本人のいないところでも話していたこともあり、バンデスのパーソナリティについては、それほど深刻に気にしていなかったのも事実だ。
 しかしクーデターだの射殺だのという話になったら、バンデスは本当に信用できる人かどうかなどと言っている場合ではない。私はカンボジア語が一切分からないとはいえ、分からないからこそ、何をされるか分からないという不安もあ­­った。
 万が一、警察に捕らわれたらどうなるのだろう? 最近のカンボジアの刑務所には収容者があふれていて、受刑者は立ったまま眠るという話も聞いたことがあった(2020年に、国際人権NGOアムネスティが、コロナ禍のカンボジア国内の刑務所で、半ズボンに上半身が裸の男性受刑者たちがすし詰めで寝ている映像を公開したので、今思えば、この噂には信ぴょう性がある)。しかも、警察官や裁判官に賄賂を渡せば、えん罪で誰かを逮捕して収監することもできてしまうような国だ。おまけにカンボジアの刑務所といえば、クメール・ルージュ支配下で1979年まで政治犯の収容所として使用されていたという「トゥールスレン虐殺博物館」の内部が思い浮かび、「あんな拷問を受けたらどうしよう」などと、私の妄想はどんどん頭のなかで膨らんでいった。

ややこしいことに巻き込まれる前に退散しよう

 とはいえ、私には、プノンペンの街や人々はいつもと変わらないように見えた。サム・レンシー氏の帰国話をネットニュースで詳しく読んだのも、バンデスの「逮捕されるかもしれない」という話の裏をとるためだし、街中に銃を持った警察官が増えたという様子も感じない。しかしとにかく、救国党の元国会議員という肩書を持つバンデスから距離を置かねば、ややこしいことに巻き込まれたら大変なことになるという思いに駆られた。
 申し訳ないことだが、私は、カンボジアに興味があったわけではなく、たまたまやってきた国がカンボジアだったというだけだ。当然ながら、この国で起きた救国党への弾圧についても知らなかったのだから、救国党はどんな思想を主張しているのか、フン・セン政権とどこが対立するのかなどということに関心もない。たまたま知り合ったバンデスが、救国党の国会議員だったというだけに過ぎないのだ。
 そんな頃、バンデスの長男が肝硬変で倒れ、カンボジアではもうなすすべがないと告知された。医療体制が進んでいるシンガポールで診察を受けるには500万円以上必要なのだという。きょうだいがみんなで出すことにしたらしいが、バンデスも親のメンツを保つためには、出さなければならないと思ったのだろう。それまでにも増して「お金がない」と言い始めたと思ったら、なんと自宅を売りに出していることが判明した。
 時を同じくして、カンボジア人の友人バナリーが様子を見に、店にやってきてくれた。キッチンに入ってくるなり、「バイクも車も店の前に止められないような場所からすぐに引っ越した方がいい」と忠告してくれた。バンデスの妻がその昔、同じ一階で雑貨屋を経営していた部屋に、スタッフのバイクを駐車していた。さらに「キッチンしか使えないのに、家賃が高すぎる」と。
 バナリーはすぐさま、トゥクトゥクを走らせ、貸店舗を見つけてくれた。カンボジアにはホントに親切な人たちが多い。
 次の貸店舗の家主は、与党人民党の選挙管理委員会に勤務している。70歳は超えているはずだが、なぜ定年退職の年齢(カンボジアでは、国家公務員の定年年齢は職位によって決まっており、最長は部長職で60歳)を超えているのに働いているのかは謎だ。公務員なのだから出生登録簿の出生年月日を変更するのはお手の物なのだろうが、それにしても10歳以上も詐称できることにもびっくりだ。妻は38歳という年の差カップルで、10歳の一人息子がいる。家主一家は二階に住んでいて、一階スペースを賃貸に出していた。
 妻はそこでカフェを開いていたが、夫がほかにも持っている不動産でもカフェを経営しており、二店舗をやりくりするのは無理だという理由で、貸すことにしたらしい。下見に行った時には、妻の親戚の娘だという少女がまだ営業しているカフェで働いていた。なんでも、親戚は夫婦でタイへ出稼ぎに行っており、その間、娘二人を預かっているという。ニコリともしないし、一言もしゃべらないので、初対面の時にヘンだなとは思ったのだが、家主の妻に召使のようにこき使われていたことが後々判明する。高校生ぐらいの年齢なのに、私が引っ越してからも、ずっと家で掃除をしたり、妻のお出かけのお見送りやお出迎えをしたりしており、学校へ通っている様子は見られなかったのだった。

家主の妻が経営していたカフェの店内の様子。写真の少女は、家主の親戚の子という紹介だったが、学校へも行かず、家主に召使のようにこき使われていた。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら