野党派陣営から与党派陣営へお引っ越し
野党救国党の元国会議員だったバンデスの家を出るため、次の貸店舗を見つけてくれた友人バナリーは、「今度の家主はフン・セン側(与党)だから安心だね」と言ったが、私としては、国家公務員の家主がなぜ数億円もする不動産をいくつも持てるのか、という点が気になった。バンデスにしてもそうだし、新しい家主も、この国の国家公務員は何かがおかしい。NGOのトランスペアレンシー・インターナショナルによれば、2019年の腐敗認識指数でカンボジアは調査対象180か国や地域のうち、162位だった。上位ほど公務員や政治家が清廉潔白な国という指標だ。
バンデスの孫も、新しい大家の一人息子も、地元の公立学校へは通わず、授業料だけで月に5、6万円もかかるインターナショナルスクールで学んでいる。自分の子どもを通わせたいと思うような公立学校を作るのが政治家であり、国家公務員の仕事ではないのかと私は思うのだが、賄賂や利権で得た蓄財で、子女をインターナショナルスクールへ行かせたがる点がとても興味深い。
バンデスの自宅は、あれから一年半が経過した現在でも売却できていないし、店子もいない。あれだけ「中国人が貸してほしいと次々やってくるが、日本人のあなたには特別に貸してあげる」ともったいぶっていたのに、家具を販売していたもう一つの店子は、契約更新時にバンデスが家賃を値上げしたので、出て行ってしまった。プノンペンでは、中国などからの外資流入によって不動産ブームが起きており、街のあちこちで高層マンションの建設が続いていた。土地も家賃もどんどん値上がりしていたが、この新型コロナの影響が出始めてから、かなりの打撃を受けている。
話を戻すと、移転先が決まってバンデスには引っ越す旨を伝え、家賃を一か月余分に支払うことで話はついた。引っ越しの当日は、トゥクトゥクを使い、オーブンなど大きな物はトラックで運んだ。
引っ越しが完了すると、バンデスの紹介で親しくしていたトゥクトゥクの運転手ボナは、30年ほどのつきあいがあるなかで、バンデスがいかに高圧的なのかを教えてくれた。そういえば、バンデスに誘われて元選挙区に出かけた時、バンデスはボナを呼び出し、自家用車の運転をさせていたことがあり、「あれ?」と思ったことがあった。ボナは、私がバンデスと親しいのだろうと考え、バンデスに対する不満を話してはいけないと思って、今まで黙っていたという。
貸店舗探しから引っ越しの手はずまで整えてくれた友人バナリーは、「カンボジアには、バンデスのように、偉そうな態度で年下をこき使う男性が多い」と教えてくれた。現に「たくさんの救国党支持者が逮捕されても、彼は逮捕されなかったでしょ? 出世すると、自分は行動しないくせに、偉そうにする『口だけ男』になる」と。
バナリーの夫は、バンデスのような年上の男性から「カフェにいる」と呼び出しの電話がかかれば、仕事を放り出して出かけるそうで、バナリーは困っていた。確かに、私が彼女の夫と最初に知り合ったのは、バンデスに呼び出されたカフェだった。バナリーが困惑していたのは、家族で過ごす日曜日でも、電話がかかれば夫がカフェでのおしゃべりに出かけてしまうということだった。日本でもかつてはそうだったかもしれないが、カンボジアでは、人のつながりや情が仕事上で重要な鍵となる。男性からすれば、カフェで遊んでいるわけではなく、ネットワークを作るための業務なのだろう。
引っ越しした後、バナリーの夫からは、「バンデスの手前、今まで構えずに申し訳なかった」と、謝られた。とはいえ、私はバンデスに世話になったと思うことはたくさんあったので、今でもとても感謝している。バンデスのところから離れたかったのは、救国党の指導者が帰国するというタイミングで逮捕者が相次いだため、党関係者の周辺にいることに私が怖くなったというのが最大の理由だったのだから。
コロナ禍のこと、バンデス宅からの移転完了で思ったこと
カンボジアには優しい人が多い。そして悪い意味ではなく、おせっかいな人もやたらに多い。一方で、汚職や賄賂などが横行し、お金持ちの人たちがそうではない人を見下し、召使のように扱う(アジアでは普通の光景ではあるが)という感覚も当たり前のようにある。クメール・ルージュの時代は、子どもたちはスパイがいないかを監視する役目を担わされており、家族でも容赦なく密告することが奨励されていた。そのせいもあるのか、よほど親しくなって、自宅や車の中など、他の誰かに密告されないという確証がない限り、カンボジア人は、政治的な話はほぼしない。生きるために、自我を殺してフン・セン政権の下で働いている人も少なくない。
20年前、私は夫との結婚を機にシンガポールに住むことになり、プライバシーも表現の自由もない国で、人権という言葉の意味を初めて考えた。そして、一人でやって来たカンボジアでは、反政府派への徹底的な弾圧をはじめ、数々の人権侵害がおこなわれていた。2020年からは新型コロナウイルス抑止を理由に、フン・セン首相はますます独裁色を強めている。例えば自分の学校で感染者が出たといううわさについて、怖いとソーシャルメディアに投稿しただけで14歳の少女が尋問されたり、感染症についての情報を、同じくソーシャルメディアにアップした救国党支持者やジャーナリストが逮捕されたりするといった具合だ。
2021年4月には、プノンペンで午後8時~午前5時の移動、飲食やアルコール類を伴う集会、飲食店の営業は原則禁止、買い物は住居地から一番近いマーケットで週に3回まで、というロックダウンのお触れが実施前日に出るなどしたため、市民は大混乱に陥り、買いだめに走った。お金のある人は買い占めることができたが、流通もストップしたので、物価は恐ろしく高くなった。このお触れもわずか数日で変更され、週3回までの買い物も含め、一切の外出が禁止されて以降は、食料はデリバリーのみでしか注文できなくなり、仕事が休みになって給料をもらえないワーカーには、兵糧攻めだ。
間借りしていた最初の店で、夜の部のイタリアンレストランで働いていた青年ヘンは、昼間は貿易事務をしているが、2021年3月は20日間も会社が休業になり、給料がほとんどカットされた。ロックダウン中は食べ物を買うお金がなく、食事は一日一度、おかゆとイワシのトマト缶を1週間に1缶食べて生き延びた。助けてくれと言われたものの、どう助けてよいのか分からず(日本を出られない私がモバイル送金してあげたとしても、ATMへ外出できないのでお金を出せない)、餓死しないよう祈ることしかできなかった。
国民には休業中の給料補償はないし、国からの給付金もない。30年以上の独裁政権で、メディア、金融、通信、エネルギー、ショッピングモールなどを経営するフン・セン首相一族の総資産は500億円から1000億円と推定されている。そんな富豪には庶民の気持ちがわかるはずもないだろう。
一方、日本では、新型コロナウイルスが原因で、偏見や差別を受けたり、プライバシーが侵害されたりすることが人権問題として取り沙汰されている。カンボジアと日本では、人権侵害に対する考え方が、まるで異なるのだと改めて気づかされた。日本の政治や社会にいろいろ思うことはあるが、批判をしても逮捕されたり、殺されたりすることはなく、少なくとも言論の自由が保障されている点はありがたいとしみじみ思った。
ところで、新しい店には、トイレやシャワーがあるベッドルームもついていた。私はプノンペン滞在中には、友人が経営するホテルに泊まっていたので、店で暮らせるようになるのは便利だなと思ったのだが、バンデスの店に住んでいた女子大生のチャンティを引き続き、店に住まわせる必要があった。しかしさすがに、温水シャワー完備の部屋をあてがうのは、他のスタッフの手前、あまりにも不公平かもしれないと思い、ベッドルームへはスタッフの立ち入りを禁止とし、チャンティには床で寝るよう指示した。「ひどい!」と思う人がいるかもしれないが、東南アジアでは床にシートを敷いて寝るのが普通で、逆に下が固くないと眠れないという人は多い。
バンデスが私のお金で買った日本製のエアコン2台は、バンデスが1万円程度で買い取りたがったのだが、一度も使っていないのにタダ同然で譲る理由もないので、新しいお店に運んできた。新しいお店にはすでにエアコンがついていたので、バナリーにお礼になればと思い2台ともプレゼントした。バンデスが買ったロマンティックな電気スタンドや湯沸かし器は、同じくトゥクトゥク運転手のボナにあげた。使いもしない物を買わされ、カンボジア人と渡り合うためとはいえ勉強代は思いのほか高くついた。でも、バンデスにあれこれ任せた私が悪いのだし、買ってしまったものはプレゼントしたらバナリーもボナも喜んでくれたので、結果オーライ、すべて良しと思うことにした。
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小谷みどり
こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小谷みどり
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こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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