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ロベスピエール 民主主義の殉教者

「世論」の法廷

 生まれる時代が少しでもずれていれば、〈本来の自己を知ることが本来の社会を知ることにつながる〉というルソーから学んだ発想が、実際に社会を変革しようという思想と行動に真っ直ぐに至るようなことはなかったかもしれない。しかし、時代は変革の方向へと動き出す。

 1788年7月5日、ルイ16世は突如、全国三部会[1302年に国王フィリップ4世が召集した身分制議会]の近い将来の開催を約束、8月8日には、翌年5月1日の召集を発表した。

 これには伏線があった。財政上行き詰まった王家は、免税特権の廃止をめぐって貴族と対立する一方で、新しい税制の創設に向けて高等法院とも対立した。旧体制下、高等法院はパリのほか13の地方にある最終審裁判所であり(アルトワ州のように最高評定院が類似の役割を果たした地方もあった)、その法律の合法性に関して助言する建言権と王令登記権を有していた。つまり、高等法院によって登記されなければ、王国のいかなる諸法も効力を持たず、その意味で高等法院は法的な権限だけではなく、政治的にも大きな権限を握る組織だった。

 そこで、八方塞がりとなった国王が放った窮余の一策が議会の召集、つまり1614年以来開かれていなかった全国三部会の再開だった。三部会は、貴族と聖職者のほか、「第三身分」と呼ばれる都市や地方の平民(・・)から構成されていた。要するに、高等法院の多くを構成する貴族―しばしばお金で買われたものだったが―を超えて、広く国民の「世論」に訴えることによって事態の打開を図ろうとしたのである。

 旧体制(アンシャン・レジーム)末期、印刷物の広がりを背景にして、国王およびその側近たちの形成する意見とは異なる「世論」が都市の社交界を中心に形成されつつあった。そこで、ルイ16世が全国三部会の召集を決定すると、その会議の手順や投票方法をめぐって「世論」が沸騰することになる。各身分が個別に会議を開催するのか、決議は各身分1票なのか等々が不明確なままだったからだ。数千に及ぶパンフレットが公刊され(国王の「発表」後に月平均で100点が出版されたと言われる)、「世論」は盛り上がり、大きな力を持つことになった。

 地方でも、誰をどのように選出するのかが大問題となる。そもそもアルトワ州のような地域では、州三部会[旧体制期の州の代表機関]が特権階級によって占められていた。貴族は100票、聖職者は40票を持ち、第三身分には30票ほどが割り当てられ、しかも各都市から選ばれるそのメンバーは三部会が指名できる権限を有していた。そこで、これまで自己の良心と社会の悪弊の間で煩悶してきたロベスピエールも、この機会をとらえ、「世論」の法廷に向けて発言を開始することになる。それがこの時代に生まれた彼の運命だったのだろう。

ある裁判官への弔辞

 ロベスピエールはパリで法律の勉強を始めた頃、ある著名な裁判官に手紙を送ったことがある。宛名はジャン=バティスト・メルシエ=デュパティ(1746-88年)、ボルドー高等法院長だった。過酷な身体刑など、司法における不当な慣行や特権の改革を求めた代表的な法曹家で、マクシミリアン少年が法科学生の頃、自身は「非常に強い成功への欲求」を持つと手紙で告げた相手である。そこには、功名心と同時に、改革への志向や共感を見いだすことができる。

 その高名な裁判官が1788年9月、つまり前述の国王の「発表」の翌月に亡くなった。そこで、デュパティの地元ラ・ロシェル[フランス西部の海港都市]のアカデミーが彼の功績を讃えた論文を公募すると、ロベスピエールはすぐにこれに応募し、改革を「世論」に訴える機会に利用したのである。これが改革に向けた第1の矢となる。

ボルドー高等法院長を務めたデュパティ

 それは「ジャン=バティスト・メルシエ=デュパティへの弔辞」と題して匿名(高等法院弁護士R氏という筆名)で刊行されたが、著者は誰の目にも明らかだった。そのなかでロベスピエールは、車輪刑のような民衆への恥辱刑の残虐性や因習を批判してきたデュパティ氏は偉大な目的に人生を捧げたのだと言って、讃える。「人間の悪意がそれによって包み隠そうとするあらゆる障害に対して正義を打ち勝たせ、強欲や卑しい利害が正義に投げかけようとする暗雲を遠ざけ、諸意見の対立を超えてそれを見分け、人間の心の深い研究を行い、情念が運動に与える動因を認識し、真理を発見する」という偉大な目的のために、彼は勇敢に戦ってきたのだ。

 

この世の権力者に対しても、あなたは不正義を犯しましたよ、と思い切って言う。こうして他の人々の上に抜きん出た人物は、おそらく危険な敵たちを抱えると予感していたに違いない。憎悪と復讐心が、嫉妬も相まって、自分を打ち負かそうとしていると信じたに違いない。

 

 実際、デュパティ氏に対してまもなく「陰謀」が企てられたのだ、と言ってロベスピエールは我が事のように憤慨してみせる。「なんということだ」、彼が「正義の神殿」に足を踏み入れようとしたとき、これを禁じた法曹家たちがいたとは―。このように書く著者は、アラス市の司法・行政を支配する「危険な敵たち」と戦おうとしていると宣言し、みずからを高名な司法の改革者と重ね合わせていたはずである。今回、その機会を与えたのは国王自身だった。

 ロベスピエールによれば、これまでも刑法に関しては加害者に対するあまりにひどい残虐性が長らく指摘されてきたが、今こそ、氏のように「公共善」の観点から真理を声高に叫ばなければならない。もはやその迷信行為の上にまどろむ必要はないのだ。なぜなら、国王がわれわれの不平不満に耳を傾ける目的で「崇高な国民の会議」を召集することになったのだから。

 他方で、ロベスピエールが戦わなければならないという、理性の進歩の障害となる「野蛮な偏見」とは、ある特定の慣習や司法の問題にとどまらなかった。彼は最終的に財の不平等、すなわち身分制という社会の構造自体の不正義を追及するのである。

 

これほど多くの貧窮者がいるのはなぜか。あなた方はご存知か?それはまさにあなた方がその強欲な手であらゆる富を握っているからである。なぜ、貧窮の父や母、子どもたちが自分たちを覆う屋根もなく、あらゆる天候の過酷さにさらされ、飢えの恐怖に苦しめられるのか。それはあなた方が豪奢な家に暮らし、財のおかげであらゆる技術を集めてだらしない生活に役立て、無為に過ごしているからにほかならない。

 

 これは当然、伝統的な上層階級、既得権益層(エスタブリッシュメント)に対する宣戦布告と理解されただろう。ちょうどこの年、全国のほとんどの地域で穀物の値段が不作によって高騰、フランス全人口の3分の1が貧困状態にあった。そのなかでの匿名の論考の出版だった。

2つのパンフレット

 翌年1789年1月、国王はアルトワ州でも他の地域と同様に代表を選出する選挙を実施すると発表した。それは奇しくも、『第三身分とは何か』というこの時代にもっとも有名なパンフレットの1つが匿名で出版された月だった。そのなかで、著者のエマニュエル・ジョゼフ・シィエス(1748-1836年)が、第三身分こそ「国民」であると主張したことはよく知られている。

『第三身分とは何か』
著者のシィエス

 同年2月、アルトワ州でも匿名でパンフレットが出版された。題名は、『アルトワ人に向けて―アルトワ州三部会を改革する必要性について』、83ページほどのパンフレットだった。これが、ロベスピエールが改革に向けて放った第2の矢である。その主題は「代表」問題であり、エスタブリッシュメントがいかに人民を「代表」しておらず、「危険な敵たち」であるか、一方で「われわれは彼らに与えられた鎖の下で眠らされている」と訴え、奮起を促したのである。こうして地方でも、すでにペンの力で革命の火の手があがっていた。

 代表者は実際に(・・・)選ばれなければならず、そうでなければ議会は「亡霊」でしかない。では、現状はどうか? 聖職者は誰にも選ばれていないし、貴族はなんら委任を受けていない。また、第三身分の「代表」と言っても、都市参事会から構成され、彼らはみずからを代表しているにすぎない。彼らは一部の特権的な都市の住民から選ばれているにすぎず、〈われわれ〉を代表する権利はまったくない。こう言ってロベスピエールは、自分たちで選ぶ自由、すなわち人民の普通選挙権が不可欠であり、これが与えられるなら、町の栄誉を得る(=代表になる)のは能力と美徳によってのみとなり、悪弊は消え去るだろうと訴えたのである。

 議会の亡霊を「真の国民の議会」に代えること、われわれ自身で選んだ代表に代えること。未来の革命家は、これを再び「幸福の革命」―女性によって進められると言われたあの革命―と呼んでいる。そして、「われわれを苦しめるあらゆる害悪の終わりは、国民議会でわれわれの利益を擁護するというおそるべき名誉を託す人々の美徳と勇気と感情にかかっている。それゆえに、この重大な選択において野心や陰謀がわれわれの行く手に撒き散らす障害を注意深く避けよう」と語り、さらに次のように問いかける。

 

愛国心や無私の仮面の下ですら野心を隠せない人々に何を期待するというのか、考えてほしい。

 

 3月末にアラス市で第三身分の会議が開かれたとき、法曹家で富裕な「友人」デュボワらが影響力を行使し、民衆に選挙権を与えることを拒もうとした。それに対して、靴職人の職能団体の会合に招かれたロベスピエールは、彼らの「陳情書」(国王が各地域でまとめるよう指示していた意見書)の作成に携わり、そうした企てに激しく反発した。そこで、その憤慨を言葉にあらわしたのが、『仮面を剥がされた祖国の敵―アラス市の第三身分会議で起きたこと』というパンフレットだった。これが、改革を訴えた第3の矢である。ロベスピエールは同冊子で、デュボワを含め彼らエスタブリッシュメントの愛国心あるいは人民の代表者という「仮面」を剥ぎ取るべきだと訴えたのである。なぜなら、彼にとって、良き市民のもっとも重大な奉仕は「たくまれた陰謀の秘密」を暴露すること、「仮面」を剥がすことにあると考えられたからだ。

 

まさにここで私が率直に暴露したいのは、公共の大義を捨てた臆病な首謀者たちの気弱さ、そしてそれを謀った悪しき者たちの卑小さである。

 

 祖国の敵の「仮面」を剥がすこと、この「幸福の革命」を遂行することは、人間のもっとも神聖な義務であり、それは同胞の幸福のために身を捧げることにほかならない―。ここではいわゆる特権身分(聖職者や貴族)ではなく、デュボワをはじめとする第三身分の〈内〉にいる「敵」に攻撃の照準が合わされていることに注意したい。

 もちろん、この理屈は自身が第三身分の代表に選出されるための戦略の一環でもあっただろう。だが、それはロベスピエールの思想という観点から見て、きわめて示唆的である。〈われわれ〉の外にいる特権階級の見える(・・・)「敵」だけでなく、いやそれ以上に〈内〉にいる第三身分の見えない(・・・・)「敵」と戦う必要があると彼は考えたのである。つまり、〈われわれ〉の内部に存在する「敵」こそが改革のより危険な障害であり、その「仮面」を剥ぎ取ることで「敵」を〈内〉から排除するべきだという発想である。

 逆に言うと、それは本来あるべき純粋な自己=〈われ〉を同心円上に拡大してゆくことを意味し、最終的に巨大な自己=〈われわれ〉の創出が目指される。こうした発想の原点には、やはり両親のいない環境で自己の〈内〉に沈潜せざるをえなかった生い立ち、その(・・)自己と社会が一直線につながる/つながるべきことを教えてくれたルソーとの出会いがあったに違いない。

 

祖国は危機にある。

国外の軍隊よりも恐ろしい国内の敵が、秘密裏に祖国の破滅を企てているのだ!

 

 このような言葉で締め括られるパンフレットの刊行後、3つの身分の「代表」がそれぞれ集まって会議を開き、全国三部会に参加する代表者が選出された。第三身分からは8名が選ばれることになり、1789年4月24日に始まった選挙人による投票でロベスピエールは5番目の代表として見事選出されたのである。20代最後の春のことだった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高山裕二

明治大学政治経済学部准教授。博士(政治学)。専攻は政治学・政治思想史。著書に『トクヴィルの憂鬱』(白水社、サントリー学芸賞受賞)、共著に『社会統合と宗教的なもの 十九世紀フランスの経験』(白水社)、『近代の変容(岩波講座 政治哲学 第3巻)』(岩波書店)などがある。

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