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「答え」なんか、言えません。

2025年8月4日 「答え」なんか、言えません。

十一、信じるか、賭けるか

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。

出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 今から20年ほど前、私はまだ修行道場に在籍したまま、寺の住職になった。檀家が30軒ほどで、浄土真宗の金城湯池(きんじょうとうち)とも言われる北陸の地、本山のお膝元でありながら、曹洞宗の我が寺は、今も浄土真宗の大海に浮かぶ小島のようなものである。

 すると、檀家でも、他の地区から嫁いできた女性などは、実家が真宗のことも多い。信心深い親に育てられ、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とする曹洞宗の仏壇の前でも、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と熱心に念仏するお年寄りも少なくない。

 そんな時、たまたま私が来ていたりすると、家族が気を使って、「おばあちゃん、ウチは南無釈迦牟尼仏よ」と言ったりするが、私は気にしない。お隣り中国の禅寺では、修行僧が念仏しながら歩いている。「禅浄兼修」なのだ。

 その寺の住職になりたての頃、ある檀家に呼ばれて、亡くなった家族の月命日のお経を読みに行った。その日は平日だったので、例の「ナンマンダブのおばあちゃん」と、私と同じ年頃の「若奥さん」の二人だけが待っていた。

 この「おばあちゃん」は、なぜか新米住職を気に入って、会うたびに褒めてくれた。「方丈さんは様子が好い」「お経の声が大きくて聞きやすい」「振る舞いが丁寧でありがたい」、こちらが恥ずかしいくらいに褒めてくれる。気後れしながら檀家回りをしていた新米は、そう言ってもらえると、恥ずかしながらも、実は嬉しかった。

 その日の読経でも、私のすぐ左後ろに坐って、小声で「ナンマンダブ」を唱えながら、何度も頭を下げて拝み、終わると皺の伸びるような笑顔で、「方丈さんのお経さまは、いつもありがてえなあ」と言ってくれた。

 終わって、袈裟をたたんでいると、「若奥さん」が茶菓を持って来た。「ありがとうございました、どうぞ」と、お布施の熨斗袋(のしぶくろ)と一緒に出されて恐縮したが、私の(はす)向かい、「おばあちゃん」の隣に坐った彼女は、四方山話のような調子で、意外なことを言い出した。

 「あのね、方丈さん、この前、ここに変なお坊さんが来たの、突然」

 「変なお坊さんですか?」

 「編み笠かぶっていて、白装束で、首に数珠を掛けてて…」

 「それで?」

 「でも、半ズボンで、足はスニーカーなの」

 「ほう」

 確かにチグハグ感がある。

 「で、笠でよく見えないけど、どうも日本人とは違うような顔なの」

 「外国人ぽい?」

 「そう。で、お経を読ませて下さいと言うんだけど、その日本語も少し変で…」

 確かに当時、都会にはしばしば、妙な出で立ちの明らかに日本人でないと思われる者が、衣を着て編み笠をかぶり、黙って道端で丼のような器を持ち、布施を求めて立っていたり、あるいはイントネーションが独特の般若心経を唱えながら、托鉢めいたことをしていた。私も一度、そういう連中の編み笠の裏に、ローマ字で般若心経らしきものを書いた紙が貼られているのを見たことがある。彼らが地方にも進出し始めたのだろうか。

 「私はこんな人を家に上げてお経を読んでもらうのはイヤだったんだけど、奥から出てきたおばあちゃんが、お願いって言って…」

 言われたその「変なお坊さん」は、仏壇の前まで行くと、両膝を立てたアグラで坐り、「おかしな般若心経」を読んだそうである。

 私はいささか驚いた。「様子の好い」自分を褒めてくれた「おばあちゃん」が、なぜそんな怪しげな人物を仏壇前に坐らせたのだろう。

 「でね、お経が終わったら、おばあちゃん、わざわざお布施を包んで、その人に渡すの。ごくろうさんって」

 「若奥さん」は、明らかに不満顔だった。その途端、それまで黙っていた「おばあちゃん」が、強く短く言った、

 「わしは、あの坊さんに布施したんじゃねえ。お経さまにしたんだ。お経さまに嘘はねえ!」

 私はいきなり横っ面を張られたような気がした。そして、瞬時に一遍上人の逸話を思い出した。

 「踊り念仏」で有名な時宗の祖、一遍上人は、道元禅師と同じ鎌倉時代の人である。生涯、全国を遊行(ゆぎょう)しながら念仏を勧めて歩いたとされる。

 ある時、上人が念仏を勧めようと、弟子を伴い通りがかりの武士の館を訪れると、中では宴会の真っ最中であった。

 ところが、上人の一行がやって来たと知ると、館の主人である武士は、衣服を改め、手を洗い、口を(すす)いで、上人の前に坐り、かしこまって念仏を受けた。受けた後は特に互いに言葉も無く、上人一行は立ち去り、主人もさっさと宴席に戻ると、客の面々に向かって言い放った、

 「あれは日本一のインチキ坊主だ。どこにも敬えるところが無い」

 すると、客の一人が言った、

 「では、どうして念仏を受けたのだ?」

 主人は答えた、

 「念仏に嘘は無いからだ」

 この主人の言葉を伝え聞いた一遍上人は、彼を大いに讃えて弟子に言ったそうである。

 「あの男こそ、真の念仏信者だ。多くの人は人を信じて教えを信じない。彼こそ『依法不依人(えほうふえにん)(法に依って人に依らず)』の道理を知る人だ」

 私はかつて、神を信じる気持ちになれないのに、ある牧師を頼りにキリスト教の洗礼を受けようとしたことがある。その時、彼は言った、

 「洗礼はやめなさい、南君。キリスト教はね、人を信じるんじゃなくて、神を信じるんだよ」

 その教えがあったのに、あの頃の私はそれを忘れて、「おばあちゃん」に張り倒されたのである。

 いま私は思う。私には、あの「おばあちゃん」や武士のように、仏や念仏や教えを信じることができない。彼らはそれらの善悪・正邪さえ超えて、身を委ねるように信じることができる。人を見る必要など無いのだ。

 「直哉さんには信心が無いんだね」

 昔、私をよく知る友人はそう言った。そうなのだ。私は信心が持てない。私にあるのは、一か八か、教えに賭ける発心(ほっしん)だけである。

 何が違うのだろう。なお私は思う。教えに身を委ねることができる者は、おそらく委ねる自分を信じられるのだろう。意識もせずに。そして、賭けることしかできない者は、自分の底のどこかが抜けているような、疼痛のような不安を抱えたまま、生きているのだろうと。

 

*次回は、9月1日月曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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