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平成ベストテン

2019年6月11日 平成ベストテン

平成日本映画ベストテン

著者: 山根貞男

 平成は一九八九年から始まるのだなと確認したあと、ああ、と思い当たった。わたしは「キネマ旬報」に一九八六年秋から日本映画時評を連載しているが、第三十二回でこう書いた。
 ……映画の底が抜けた。
 一九八九年、つまり平成元年のことである。毎回、複数の作品をごっちゃに論じるのだが、そのとき、無力感に襲われた。映画的水準などといった言葉は成り立たず、映画について考えようにも足を踏まえる底がない。確固たる判断基準のもとに時評を書き継いできたわけではないけれど、暗黙の前提があったことは間違いなく、三十二回に至り、そんな姿勢の無効を思い知ったのである。
 映画のあり方が根底的に変わった。一九八八年に日活がロマンポルノ路線に終止符を打ったのは象徴的であろう。以前には、映画といえば、まずは大手数社が量産するプログラムピクチャーを指したが、それを支える生産システム、各社の撮影所と全国直営館を結ぶ撮影所システムが、一九八〇年代に崩壊した。以後、映画は線ではなく点になる。五〇年代の戦後映画の黄金期から六〇年代にかけての量産時代には、傑作、秀作、佳作、凡作、そして駄作が、いわば映画の山塊をなし、少数の傑作や秀作を頂点に、無数の凡作や駄作が裾野を形づくるイメージを描けたが、点だけが並ぶから、山のイメージなど成り立たない。夥しい作品群を同一地平に見渡すことになる。にもかかわらず、山塊のイメージを暗黙の前提にすれば、無力感に見舞われるのは当然であろう。
 ところがその直後、喜ばしい事態が出来した。「映画の底が抜けた」と書いた時評は五月下旬号に載って、執筆は四月下旬だが、まもなく新人監督三人の注目すべき作品が相次いで封切られた。七月に塚本晋也の『鉄男』、八月に北野武の『その男、凶暴につき』、十一月に阪本順治の『どついたるねん』である。こんな三人が平成元年に登場したとは、好い話ではないか。
 塚本晋也は自主制作、北野武はお笑い芸人、阪本順治はフリーの助監督と、出自が異なる。そこに撮影所システム「以後」が象徴されていよう。とりわけ阪本作品のプロデューサー荒戸源次郎は、既成の映画界とは関係のない形で、つぎつぎ注目作を生み出し、まさしく「以後」を体現している。彼らの登場は「映画の底が抜けた」ことの証左にほかならない。もうひとつの事態にも注目しよう。平成元年には東映Vシネマが出現した。ビデオ専用映画で、プログラムピクチャー的な娯楽性に富んだ内容が受け、量産されて、他社も製作に乗り出す。間違いなく「以後」の状況に即した動きであり、優れた新人監督が輩出してゆく。
 さて、平成年間にどんな映画があったかと、めぼしい作品を書き出し、つらつら眺める。傑作秀作が目白押しで、十本や二十本どころではない。
 当然ながら、プログラムピクチャー全盛期からの連続性は歴然とあって、五〇年代六〇年代からの展開を示す監督の作品がまず目に付く(数字は平成年度)。鈴木清順の『夢二』(3)『オペレッタ狸御殿』(17)、深作欣二の『いつかギラギラする日』(4)『忠臣蔵外伝四谷怪談』(6)、森﨑東の『ニワトリはハダシだ』(16)『ペコロスの母に会いに行く』(25)、神代辰巳の『棒の哀しみ』(6)、大島渚の『御法度』(11)、吉田喜重の『鏡の女たち』(15)、澤井信一郎の『時雨の記』(10)などである。
 そこに、つぎの世代の作品が加わる。相米慎二の『お引越し』(5)『あ、春』(10)『風花』(13)、黒沢清の『ニンゲン合格』(11)『アカルイミライ』(15)『叫』(19)『岸辺の旅』(27)、崔洋一の『月はどっちに出ている』(5)『血と骨』(16)、石井隆の『死んでもいい』(4)『GONIN』(7)、青山真治の『EUREKA』(13)『サッドヴァケイション』(19)『共喰い』(25)、諏訪敦彦の『2/デュオ』(9)、是枝裕和の『誰も知らない』(16)、周防正行の『それでもボクはやってない』(19)、万田邦敏の『接吻』(20)、石井岳龍の『ソレダケ/that’s it』(27)、そして北野武の『ソナチネ』(5)『HANA-BI』(10)『Dolls』(14)『アウトレイジ』(22)、阪本順治の『トカレフ』(6)『顔』(12)『闇の子供たち』(20)『大鹿村騒動記』(23)『団地』(28)、塚本晋也の『野火』(27)など。
 これら次世代の監督では、撮影所システムの助監督経験があるのは相米慎二ひとりで、全員の出自は異なる。念を押すことになるが、言及しなかった秀作も含め、すべてはバラバラの点として散在するばかりで、何らかの尺度で分類など出来ない。この三十年間、そんな状態はどんどん深まっている。
 日本映画の年間本数は、五〇年代の黄金期を上回っており、駄作愚作はゴマンとある。産業廃棄物のようなもので、裾野を成すわけではなく、夥しい作品群の只中にゴミとして存在する。「映画の底が抜けた」ままの光景を、そこに見ることができる。
 三十年経てば、新しい世代が生まれる。撮影所システム「以後」という感覚とまったく切れた世代で、それこそ「以後」という言葉を無効にする。そんな新人群の活躍が平成二十年頃から目立ち、傑作秀作を生み出してきた。井口奈己の『人のセックスを笑うな』(20)、鈴木卓爾の『私は猫ストーカー』(21)、大森立嗣の『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(22)、三宅唱の『Playback』(24)、濱口竜介の『ハッピーアワー』(27)、富田克也の『バンコクナイツ』(29)、石井裕也の『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(29)などであり、まだ何人もいる。上記の劇映画のほか、佐藤真の『阿賀に生きる』(4)、中村高寛の『ヨコハマメリー』(18)、小森はるかの『息の跡』(29)など、ドキュメンタリーの傑作も多い。
 これでは平成の日本映画ベストテンを挙げることなど出来ない相談ではないかと思うが、蛮勇を振るって選び出そう。
 ①お引越し、②トカレフ、③HANA-BI、④アカルイミライ、⑤EUREKA、⑥オペレッタ狸御殿、⑦いつかギラギラする日、⑧ニワトリはハダシだ、⑨御法度、⑩鏡の女たち
 役目を終えるついでに、平成三十年度のわがベストテン上位五作品を記そう。濱口竜介の『寝ても覚めても』、三宅唱の『きみの鳥はうたえる』、石井岳龍の『パンク侍、斬られて候』、大森立嗣の『日日是好日』、塚本晋也の『斬、』である。

(「新潮」2019年5月号掲載)

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

山根貞男
山根貞男

映画評論家。1939年生まれ。著書に『現代映画への旅』『マキノ雅弘』『日本映画時評集成』など。


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