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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

危険な2人、その後

 店に出勤途中、彼女を後部座席に乗せて事故を起こした青年ソナはバイクが故障し、数日間は仕事を休みたいとのことだったが、彼女のケガは軽傷であることが分かった。一安心したので、電話でなくなった店のお金のありかを経理担当だった彼に尋ねると、「ちょっとお借りしました」と、あっけらかんと答えた。「報告もなしに勝手に店のお金を借りるのは、盗んだのと同じなのよ」と私が言うと、「じゃあ、もう仕事を辞めます」とソナが言った。「辞めるのは構わないけど、お金を返してから辞めてね」と言って、電話を切った。
 結局、ソナが着服した350ドルは、本人からではなく彼女から毎月100ドルずつ、4カ月もかけて返金されたが、事故を起こして以降、ソナも彼女も現れなくなった。
 カンボジアで起業をしている日本人に聞くと、カンボジア人は少しでも給料の良い別の職場を見つけると、すぐに辞めてしまうと異口同音に言う。「いま辞めたら、他の人に迷惑がかかる」といった意識も希薄だ。もちろん、給料が高いか、高度な専門性が求められる職場であれば、スタッフの定着率は高いだろうが、そうではない職場ではスタッフの入れ替わりが激しい。
 カンボジアの基幹産業でもある縫製業では、コロナ禍で縫製工場が相次いで閉鎖され、6万人以上が職を失ったとされている。カンボジアには中国資本の縫製工場が多い。ここで働けばミシンの使い方ぐらいは会得できるだろうが、スタッフが辞めてもすぐに即戦力となる新しいスタッフを配置できる。かつ、雇う側も技術を盗まれて独立されないよう、作業は単純で、細分化しているので、縫製工場でいくら働いても、自分一人で洋服を作れるような技能は身につかない。やりがいよりも、生活のために働いている人が大半なので、給料が少しでも良ければさっさと辞めてしまうのは当たり前だ。
 国会議員をしていたバンデスが、給料を高く設定してスタッフを募集することを私に提案した背景には、そんな事情があったのだろう。ソナが辞めようと、こちらは困らないのでいいのだが、それよりも、店の350ドル(ソナの月給相当分!)を無断で持ち出し、使ってしまって自分で返金できないという計画性のなさには呆れてしまった。他のスタッフからは、給料の前借りをたびたび頼まれるので、なぜお金が必要なのかを聞いたうえで、私はいつも快く承諾していた。入籍騒動を起こした時にも、私はソナの彼女に給料を前貸ししているので、事情さえ納得すればお金は融通するとソナが知らないはずはないのだが、私に借金を頼むというのは、彼女の手前、男のプライドが許さなかったのだろう。

新店舗での再出発に舞い込んだパン寄付依頼

 そういうわけで、女学生のボニーとチャンティ、そして病み上がりのスレイモンとで、新しい場所で再出発することにした。バンデスの元選挙区出身だったことで、バンデスから贔屓され、店に住んでいたチャンティは引き続き、新しい店に住むことになった。
 ボニーは、バンデスの顔を見たくないと、わずか2週間で店を辞めた後、野菜工場でパック詰めの仕事をしていたようだ。スレイモンは、女学生の2人から「お姉さん」と呼ばれ、まんざらでもなさそうに見えた。
 そんな頃、プノンペンの小学校教員養成校に通う学生たちから、子どもたちにカバンやノートなどを寄付する活動の一環として、ぜひパンを寄付してほしいと人づてに頼まれた。その学校はプノンペンから車で片道2時間ほどの村にある唯一の小学校で、400人の児童が通っているという。カンボジアの僧侶が浄財を集めて建設したらしい。
 素人集団で400個ものパンを作るのは大変だ。しかし、誰かのために一生懸命作るという経験を、私は特にスレイモンにさせたかった。ドイツのNGOの支援を受け、寄宿舎で生活しながら、なんとか高校までの教育は受けた。いまは、弟がその団体の支援を受けている。いつもしてもらう一方で、してもらうことが当たり前になってしまっているスレイモンに、人のために何かをする喜びを知ってもらいたいと思ったのだ。
 村の子どもたちには、卵がたっぷり入ったふわふわ生地に、チョコレートクリームを巻き込んだ渦巻きパンを焼くことにした。当日は、私の友人バナリーの小学生と中学生の娘2人もお手伝いにやってきた。プノンペンで生まれ育ち、インターナショナルスクールで学ぶ子どもたちは、貧困にあえぐ子どもたちがカンボジアにいることは知っていても、ボランティアをしたり、直接触れ合ったりする機会はこれまでなかったそうで、バナリー夫妻から「ぜひ子どもたちを連れて行ってほしい」と依頼されたのだ。
 パンは生地を発酵させる必要があるので、ケーキやクッキーのようにすぐに焼き上がるわけではない。結局、10時間かけてどうにかこうにか、400個のパンを焼き上げた。

チョコレートクリームを生地に塗るスレイモン。
村の子どもたちに400個のパンを焼き上げるため、黙々と持ち場で仕事をこなすスタッフ

嬉しそうにパンをほおばる子どもたちの未来は……

 早朝にプノンペンを出発し、片道2時間近くかけて向かった学校は、見渡す限りの農地(というより、ただの土の大地)のなかにポツンとあった。貧しい村にはもともと学校はなかったため、僧侶が学校と寄宿舎を作ったという。両親が出稼ぎに行ったり、亡くなったり、虐待されたりして、家庭で養育を受けられない子どもたちは学校の敷地で寝泊まりしていた。
 子どもたちの多くは自宅で朝ごはんを食べてこないどころか、親の農作業の手伝いをするため、学校に来なくなる子どもたちも少なくないという。この学校には資格を持った先生はおらず、若い僧侶が学校の先生として教壇に立っているという説明を、校長を兼ねる僧侶から受けた。嬉しそうにパンをほおばる子どもたちのはじける笑顔を見ると、私は胸が詰まった。同時に今回の寄付を依頼してくれた、教員になりたいと勉強し、ボランティアをするカンボジアの大学生たちに、この国の未来を支えてもらいたいと切に願った。
 私はフィリピンの山岳少数民族の村で支援をしているし、足しげく通っていた東南アジアの多くの国では、「これが同じ国だろうか」と思うほど、都市部と地方で経済や発展度合いに大きな格差があることは理解していた。とはいえ、これまでカンボジアで首都プノンペンから出たことがなかったので、手作りの青空教室を見たり、子どもたちの教育の現状を目の当たりにすると、私に何ができるだろうかと改めて考えてしまった。
 実は、私がサラリーマンを辞める直前、30年前にカンボジアに渡り、起業して成功をおさめた日本人女性に話を聞く機会があった。その方の「カンボジア人はもう支援を必要としていないのよ。自分たちで立てるのよ」という言葉が、ずっと頭のどこかにひっかかっていた。どうにか勉強できる環境を整えてあげたいと思うのは、外国人である私のエゴで、余計なおせっかいなのだろうか。女性が言いたかったのは、「青空教室であっても、内戦時代に比べれば、まだ勉強しようと思えばできる場所があるだけマシだ。あとは彼ら次第だ」という意味なのだろうか。
 バンデスや新しい店の家主のような国家公務員ならば、数百万円する高級車を乗り回し、家賃が何十万円もするコンドミニアムに住み、月に何万円もするインターナショナルスクールで子女を勉強させられるが、一方で、こうしてまともな教育を受ける環境にもない子どもたちもたくさんいる。このギャップは何度みても、いつも私の頭のなかを混乱させてしまうのだ。

講堂に集まる子どもたち。屋根があるとはいえ、ほぼ青空教室。それに「密」だ。
手作り感満載の教室。壁がないので、雨季には授業ができない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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