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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

日本好きな助っ人ビボル登場

 フンセン首相に解党させられた野党の国会議員だったバンデスの自宅から出て、フンセン側の選挙管理委員会で働く公務員の自宅一階を借りた新しい店舗でのスタートは、一家の大黒柱として働くスレイモンと、女子大生のチャンティ、出戻ってきた女子大生のボニーの3人で始まった。しばらくすると、店の引越しをするときに、トラックの手配などを手伝ってくれた青年ビボルもメンバーとして加わった。

  ビボルは、技能実習生として日本で働いたことがあり、日本語を話すことができる。技能実習生として日本に来る前には、プノンペンの日系飲食店で働いていたことがあり、その時の上司だった日本人が私の知り合いで、言葉が通じないスタッフと奮闘している私をみて、日本語のできるビボルを紹介してくれたのだ。

  日本で3年間電気工事の経験を積み、カンボジアに帰国したはいいが、ビボルはその経験を活かす仕事を見つけられず、私が出会った時には、日本人や中国人を相手にレンタカーの個人ビジネスをはじめたところだった。中古のバンと乗用車を借金で購入し、自分がドライバーとして、お客さんの送迎をおこなう仕事だ。コロナ禍の前までは、中国がどんどんカンボジアに投資をし、街中には超高層コンドミニアムが次々と建設されていたため、投資家や工場視察などにやってくる外国人が多く、この人たちがビボルの主なお客さんだ。

  帰国後、日本で貯めた100万円で自分の故郷に土地を買い、「数年で3倍に値上がりしました!」と、取らぬ狸の皮算用をしているビボルは、これとは別にプノンペンにも400万円の一軒家を購入し、一人で住んでいた。自宅購入費のうち250万円は銀行からの借金で、車代の借金と合わせて、毎月5万円ほど返済をしなければならない状況だった。日本で働いていた時のつてを使えば、レンタカーの仕事で毎月数十万円の稼ぎがあるという見立てで、そんな無謀な金額を借金していたのだ。ところが、元上司だった日本人によれば、ビボルはほとんどレンタカーの仕事がなく、だから「時間があるので、通訳はできるはず」とのことだった。

  確かにビボルは日本語を上手に話すし、漢字も少し理解できる。来日前に日系飲食店で働いていた経験があったとはいえ、人懐っこい性格のためか、日本人の中に積極的に入っていったのだろう。私の知り合いのカンボジア人たちは、日本にやってきたのはいいが、携帯電話の組み立て工場やクッキーの製造工場で同胞と働いているせいか、日本に何年いても、ほとんど日本語を話せない。

 

 そんなわけでビボルも新しく仲間に加わり、レンタカーの仕事がある日以外は、スタッフとのコミュニケーションを手伝ってくれることになった。ビボルは日本人の私に配慮してなのか、「カンボジア人はぐうたらだ」「時間を守らない」「清潔ではない」など、カンボジア人が日本人と比べてダメだと彼が感じる点を教えてくれ、「カンボジア人より日本人の方が好き」とも言っていた。私はビジネスをするためにカンボジアに来たわけではないので、カンボジア人がぐうたらでも、時間にルーズでも気にならないのだが、日本が好きだと思ってくれるのはありがたいと、素直に思った。 

  ビボルは不動産のオンライン紹介サイトにも登録をしており、不動産仲介の手数料でも稼ぐことがあった。カンボジアでは日本と違い、不動産の売買や賃借の仲介には何の資格もいらないうえ、大家さんにお客さんを紹介すれば、だれでも大家さんから手数料がもらえるらしい。そういえば、友人のバナリーがこの店を見つけてくれた時にも、大家さんがバナリーに紹介料を払うと言っていた。でもバナリーは、そのお金を私の引越しを手伝ってくれた彼女のスタッフに全額あげたのだが。

 大成功の甘いパン新規商談成立 

 ある日、ビボルは、その不動産仲介サイトで知り合った人のつてで、プノンペンに開業するショッピングモールに、フライドチキンのファーストフード店ができるという情報を入手してきた。早速、ビボルと一緒にそのお店を訪ねてみた。

 その店は、カンボジアの内戦時代にアメリカに亡命したカンボジア人が創設したフライドチキンチェーンのカンボジア第一号店とのことだった。アメリカでは何店舗も展開しており、オーナーのカンボジア人は、アメリカンドリームを手に入れた成功者だという。

  オーナーの親戚夫婦が、カンボジアでチェーン展開しようと凱旋帰国をした店だ。もちろん英語はペラペラだ。この二人に会い、私たちの活動について説明したところ、「いま仕入れているパンと同じ値段なら、カンボジアの若者支援につながれば」と、フライドチキンと一緒に提供するパンを試作する機会をもらうことができた。お店の人が私にくれたのは、倉庫型スーパーから仕入れているというパン4切れだ。製パンのプロではない私にとって、そのパンと同じ味に仕上げるという課題は簡単ではない。しかもパンは焼き上がるまでに最低でも4時間ほどはかかる。焼き上がってみて「もう少し甘く」「もう少しミルク感を」と思っても、一からやり直すのに時間がかかるのだ。

  しかしスタッフにさまざまな経験をさせたいという私の勝手な執念で、何度も何度も試作品を作ってはフライドチキン店に持参し、最終的にはオッケーをもらうことができた。工場で生産され、何日たってもカビが生えないパサパサのパンとは違い、無添加で手作りのふわふわパンを同じ値段で納品するのだから、お店にとってもリスクはないように思えた。実際、常連さんから「パンを変えた?」「おいしくなったね」と言われたそうだ。 

オーブンで焼いているところ。
お店の商品説明の写真にも、スイートバンズが掲載されている(フライドチキンショップのHPより)。

  実はこのパン、私の味覚基準からすれば、とんでもなく甘いのだ。菓子パンやブリオッシュなど砂糖が多いとパン生地は発酵しにくくなるので、耐糖性のあるイースト菌を使わなければならない。食パンやコッペパンを作る時に使うイースト菌とは、別の物を使うことになる。私がいるときには目を光らせているのでいいが、いない時にもきちんと使い分けられるかが心配だった。

 しかも、パンが固くなるのを防ぐための添加物などは一切入っていないので、焼いて二日も経過すると、ふわふわではなくなってしまう。フライドチキンショップではパンを冷蔵庫に入れて保管するので、乾燥が進み、固くなってしまうのも難点だった。パンを20個ずつ袋に入れて、空気を抜き、パウチするという手間も必要になった。

 ともあれ、失敗した時の保険として余分に作ることにした。余ったパンはスタッフが持ち帰り、夜学で共に学ぶ友人にあげるなどしていた。この甘いパンはカンボジア人の口には合うようで、あげた友人たちが喜んでくれたと聞くと、思わぬ成果に嬉しくなるのだった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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