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おんなのじかん

2019年9月18日 おんなのじかん

1.やさしさまでの距離

著者: 吉川トリコ

 行きつけの鶏料理屋さんで夫と夕食を食べていたら、隣に座った五十歳前後の男女二人連れが話しているのが聞こえてきた。夫婦なのか友人同士なのか上司と部下なのか、ちょっとよくわからないかんじではあったけれど、親しい間柄であることはすぐに見て取れた。二人でビールの大瓶をすでに二本、空けていた。
 同じ職場の女性が急に休むことが増えた、どうやら不妊治療をしているらしい、しわ寄せがぜんぶこちらにきて迷惑だ、といったようなことを女性のほうがまず愚痴りはじめた。胚盤胞を移植したばかりでビールも飲めず、妊娠中は生肉があかんらしいから大好物の鶏の霜降りもひとかけらでがまんしていた絶賛不妊治療中の私は思わず、「詳しく話を聞かせてもらおうか」と身を乗り出しかけたが、もちろん堪えた。
 すると、連れの男性のほうが、でも不妊治療って大変らしいよぉ、前にうちの部署でもやってる人おったけど、いつ病院に行かなきゃいけないのか直前にならないとわからんのだって、と女性をなだめにかかった。そうだそうだ、その通りだ! もっと言ってやれ! と鶏の磯揚げを噛みしめながら私は内心で拳をふりまわした。
 それでも女性のほうは、ああでもないこうでもないと文句を言いつのる。不妊治療するなって言ってるわけじゃないんだよ、するならするでちゃんとして欲しいっていうか、それがあたりまえみたいな態度でいるから、どうしてこっちがその分のフォローをしてあげなきゃいかんのって思うわけ、うんぬんかんぬん。
 いつもだったら、口に入れた瞬間すぐおいしいすごくおいしいはずのもも焼きの味が、よくわからなくなった。

 参考までに、体外受精の採卵周期のスケジュールをざっと記しておくと、月経二日目か三日目に診察。その四、五日後にまた診察。さらにその四、五日後ぐらいにまた診察。そこからは刻んでくる。とにかく刻んでくる。毎日受診しろと言われることもあれば、二日置きの場合もある。ここに注射が入ってくることもある。自宅で自分で打つこともできるが、通院して打つほうが安くあがるので私は毎日通うことにしていた。
 そんなかんじで約二週間、スケジュールを病院に縛りつけられてようやく採卵にいたるのである。この後に控えた移殖周期は採卵周期よりやや拘束がゆるいけれど、期間が若干長くなる。一般不妊治療と呼ばれるタイミング法などでも、排卵前は毎日のように通院するよう指示される場合がある。ちなみに一回の受診で軽く二時間はかかる。受付から会計まで最長で四時間かかったこともある。会社勤めをしながら通院するなんて、どだい無理な話なのだ。
 私は月経周期が安定しているほうなので予定が立てやすくはあるけれど、それでも計算がくるったりもする。仮に計算通りにいったところで、次いつ受診しろと言われるか、すべては卵子の成長具合とホルモン数値による。
 病院の方針にもよるとは思うが、私が通っているクリニックの院長はかなりの圧制者で、「その日は用事があって病院に来られません」などと言おうものならたちまち不機嫌になり、「そんじゃ、もうやめる? 俺の言いなりにならんやつは知らんよ」ぐらいの圧をかけてくる。絵に描いたようなドクハラである。不妊治療患者の多くが切羽詰まっているので、かんたんにコントロールできるのだろう。それが余計に院長をつけあがらせ、モンスターにさせている気がどうもする。
 初診は夫婦で受診することになっているが、それ以外はだいたい妻一人で受診する。だから自動的に待合室は女ばかりになる。待合室には百席ほどの椅子が並び、混雑時には空いている椅子が見つからないほどである。みんな静かにスマホを見たり、本を読んだり、パソコンで仕事したりしながら静かに従順に番号を呼ばれるのを待っている。
 この人たちはみんなどうやってここに来ているんだろう。
 ときどき茫然として、その様子を眺めてしまうことがある。
 中には私のようなフリーランスもいるだろうし、ある程度は時間をやりくりできる職場で働く人もいるのかもしれないが、大半はそうではないだろう。モンスター院長は「治療のために仕事を辞める必要はない」と表向きには言っているけれど、「この日は仕事があって来られません」などと言おうものなら(以下略)である。一度や二度の体外受精ですぐに妊娠できればいいけれど、長引く場合は何年も病院に縛られる生活を送るはめになるわけで、仕事との両立が困難を極めることは想像に難くない。不妊治療(とりわけ体外受精)に対する偏見や無理解がまだまだ根強く、制度のととのっていない社会ではなおさらのことである。実際に多くの人が会社を辞めたり、転職したりしているようだ。更に、体外受精には保険が適用されず、血を吐くほどのお金が必要だという現実を考えると、どんどん胸が暗く塞がれていく。

 以上のことをふまえて冒頭に戻るわけだが、私がフリーランスだったからよかったようなものの、もし会社勤めをしながら不妊治療をしている人が同じ話を聞いたら、どれほどいたたまれない気持ちになったことだろう。
 しかし、なにより私が驚いたのは、
「まあまあ、そんなこと言わずに助けてやりなよ。かわいそうだろ」
 女性の愚痴をいなすように放った男性の一言だった。そうだそうだ、その通りだ! とはもう乗っかれなかった。
 おそらく年齢的にみて役職も上のほうだろうから、職場に不妊治療で休む女性社員がいたとしてもそのしわ寄せが彼に押し寄せることはないのだろう。だからこそ「理解」を示せるのだろう。そういうぜんぶが、この一言で窺えるようだった。
 隣の声が聞こえていたのかいなかったのか、正面に座る夫は、すっかり食欲を失ってしまった私の分まで、お櫃のごはんをぺろりと平らげていた。

 たぶん知らないんだろうな、と思う。知らないから、自分ばかりが損をしているように感じるのだろうし、理不尽さのあまり、なんにも悪くない相手を責めてしまうんだろう。
 会社勤めをしたことのない私が、女性の言い分に胸をつねられたような気持ちになってしまうのも、彼女がどれだけのものを負わされているか知らないからだ。敵なんてほんとはいないのに、いたほうが楽だから無理やりにでも探してしまおうとする。

 だれか
 もつれた糸をヒュッと引き
 奇妙でかみあわない
 人物たちを
 すべらかで
 自然な位置に
 たたせては
 くれぬものだろうか

 こういうとき、いつも思い出すのが大島弓子先生の超激名作『バナナブレッドのプディング』に出てくる一節だ。
 この頃は毎日のように、どこかしらでもつれた糸を見かける。こんがらがりすぎてどこから手をつけていいのか、どうやって変えていったらいいのか、見当もつかないようなことばかりだ。ついつい、だれかの大きな手がのびてきて、ヒュッと糸を引くような鮮やかな解決をもたらしてくれないものかと望んでしまうけれど、根深い問題が山積みで、現実はなかなかそううまくいきそうにない。私にできることといえば小説やエッセイを書くことぐらいである。
 二年前に流産したことを新聞のエッセイに書いたら、私も経験があります、私もです、と教えてくれる人が続々とあらわれた。その後、Twitterやエッセイで不妊治療のことを書いたら、実は私もやっています、実はうちの子もそうなんです、とやっぱり教えてくれる人があらわれた。うちの子は養子なんだよ、と教えてくれる人もいた。両手でだいじにだいじに掬い取るように、どの人もそっと手渡してくれた。長いあいだ文筆業をしてきたけれど、あんなにも書いてよかったと思ったのははじめてだった。
 知らないより知っているほうがやさしさに近づけるのであれば、私は知りたいと思うし、知ってほしいとも思う。そうやって少しずつでも距離をつめていこう。

 男に生まれたほうが生きやすいか
 女に生まれたほうが生きやすいか

 わたしはどっちも同じように
 生きやすいということはないと
 答えると

『バナナブレッドのプディング』のラストはこんな一節からはじまる。「答えると」の先がどんなふうに結ばれているのかは、ぜひ手に取って読んでみてほしい。この世に生まれ、ここまでたどり着いたことを祝福してくれるような名文である。

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「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹