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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 さて、困った。書くことがない。父とは1か月以上会えておらず、目立った進捗もほとんどないのだ。

 本来なら、7月半ばにお盆の墓参りに行くのが我が家の恒例。しかし、今年は昨年の夏以上のコロナ禍となってしまった。父はすったもんだの末に二度目のワクチンを接種してくれてはいたものの、お盆までに抗体ができるとは言い難かった。

 当時はまだ、私も一度目のワクチンすら打てていなかったし、直前には父とのあいだで家事代行サービスに関するいざこざもあった。長年お世話になっているお寺から、お塔婆作成申し込みの往復はがきが届かなかったのもある。単なる手違いなのか、コロナのせいなのか。事前のお知らせがなにもなかったので、単なる手違いだとは思うのだが。

 そうこうしているうちに、東京の新規感染者数はうなぎ登りに増えていった。今回の増加は、いままでのそれとはかなり体感が異なる。私が濃厚接触者になっていた可能性が十分にある範疇の人たちが罹患し出し、同居の家族から感染したという話も少なくなかった。そういう話を聞くと、父の家を私が気軽に訪れるわけにもいかなくなる。

 それでも「オリンピックはやる」と政府が言う。呆れてものが言えない。1964年に開催された前回の東京オリンピックの頃、父は26歳。母と結婚したあたりだ。高速道路など街のインフラが一気に整っていったのを覚えていると、父は高揚感たっぷりで言っていたっけ。当時の勢いは、今の父にも「オリンピック2020」にもまるで感じられない。

 感傷的になっている場合ではないのだ。感染予防としては、とにかく接触を減らして家にこもるのが老人にとっての最善策。そういう意味では、家事代行サービスをここで止めたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。停止してからあっという間に1か月が経ったものの、父からはなんの泣き言もない。たまに食事を作りに来てくれるガールフレンドがいるので、彼女に掃除まで頼んでいるのだろうか。とは言え、父の人生だ。このタイミングで私が介入するのは止めておこう。

 父の自由を侵害しないようにと思いながら、家がどうなっているのか、私はとても気になっていた。忘れてはならない。1年と少し前、父の家は汚部屋寸前だったのだ。不要な荷物だらけで、掃除は行き届いておらず、最悪の生活環境だった。あの状態に、また戻らないという保証はない。

 食事の写真が撮れるなら、家の写真も撮れるはずだ。私は「仕事で使うから」とかなんとか適当なことを言って、父に居室の写真を送るよう頼んだ。「洗濯物を干したままだから、明日送る」とすぐ返信がきた。ということは、洗濯はやれているということ。

 翌日、キッチンの入り口あたりからリビングダイニングを写した画像が送られてきた。見ると、清潔感を保ち、綺麗に暮らしている様子。ホッと胸をなでおろす。思い返せば、父はもともと綺麗好きなのだ。ものさえ増やさなければ、3週間に一度程度の家事代行サービスでどうにかなるのかもしれない。問題はトイレや風呂などの水回りだが、さすがに「写真を撮って送れ」とは言えなかった。監視が過ぎる。私に抗体ができたあたりで確かめに行くしかない。

 ひとまず居室が清潔に保てているのであれば、目下のテーマは体重増加である。十分なたんぱく質をとりながらも痩せ続ける父に「食べろ食べろ」とだけ言うのはさすがに私も能がないと思い、不足しているカロリーを補うには脂質や糖質をこれくらい追加で摂取する必要があると、信頼できる医療系サイトに書いてあった老人の体重減少対策を電話でていねいに説明した。

 そのサイトには「高齢者は中高年の意識のままでいることが多く、カロリーが足りずに体重が減少しても『体に悪いのでは?』と、菓子パンやポテトチップスを食べるのを控えることがある」とあった。まさかと思いつつ伝えると、驚くことに父も同じことを言うではないか。お父さん、太りそうな食べ物が体に悪い時代は、もう終わったのよ。

 こちらの本気度を示すため、さっそく私は翌日にポテトチップスと携帯用のミニサイズ羊羹を宅配便で送った。そんなものは父の住む団地の下にあるスーパーで買えるのだが、「買っておいてね」とだけ言うのと、送りつけるのとでは効果に歴然たる差があることを、私はこの一年で学んだ。実践してくれるのなら、配送料など痛くも痒くもない。

 すると、徐々にではあるが、送られてくる食事写真のメニューに変化があらわれた。ある日の昼食メニューは、デミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグ、付け合わせのスパゲティ、ポテトサラダ、牛肉の炒め物に大根おろしがかかったもの、ゆでたブロッコリーとアスパラガス、味噌汁、白飯。全部食べられたのだとしたら、総カロリーは500キロカロリーから600キロカロリーはあるだろう。

 翌日の夕食メニューは、牛肉と長ネギの炒め物に大根おろしがかかったもの、ミネストローネスープ、アジの干物、漬物、味噌汁、白飯。もちろん、どちらも誰かに作ってもらったものだ。カロリーアップのためにたんぱく質の二段重ねをやってくるとは思わなかったが、その分だけ脂質も増えているのでヨシとする。うな重と生ハムなんていう日もあった。体重を増やそうという努力が見られて涙ぐましい。

 食べるものがないとボヤいてきた日には、私が遠隔UberEatsで唐揚げや白身魚の甘酢あんかけなどを配達した。油で揚げたものを差し込むことで、カロリーアップを図る。私が食べるのを控えているものばかりなのがうらめしくもある。

 暑さが厳しくなってくると、食べやすいからか卵かけごはんの頻度が上がった。用意してくれる人がいない時は、依然レトルトカレーが多い。すると、少しずつだが努力の結果があらわれて、1か月でようやく体重が1キロ増えた。夏バテになるまえに増量できて本当によかった。

 二度のワクチン接種、体重の管理ときて、次は熱中症対策だ。父には月に一度虎の門病院に行く用事があり、普段なら十分な感染予防だけで問題ないのだが、7月、8月、9月の3か月は熱中症予防対策もしなければならない。道中での水分補給は欠かせないが、高齢者には水分補給が苦手な人もおり、父も例外ではない。自分では飲んでいるつもりでも、見ていると圧倒的に足りないのだ。外出先で頻繁に用を足すことになるのが嫌だという気持ちもあるらしい。

 五輪のせいではなかろうが、オリンピック開始と時を同じくして、都内の医療逼迫は深刻な事態になりつつあった。熱中症で倒れても搬送先がないという可能性がある。毎年気を付けてもらってはいることだが、今年は真剣度が違う。

 毎度毎度の口うるささで申し訳ありませんが、と前置きしつつ、父に熱中症の恐ろしさを電話で伝える。毎年同じような話をしている気もしてきた。夏の風物詩。熱中症の話は父にとっての怪談だ。

 お父さん、ここ数年の暑さは、昔のそれとは比較にならないほど健康被害をもたらす可能性があるんです。外出する際には、必ずペットボトルに入った水分と日傘持参でお願いしたい。最近では男性も日傘を差すのが当たり前なので、なんら恥ずかしくはないんですよ。

 これまた、伝えるだけでは行動に移してもらえる可能性が低いので、アマゾンで日傘とミニサイズのポカリスエット24本をカートにいれる。私はここでピンときた。この2つを送ったところで、「ペットボトルと日傘が入るカバンがなかった」という言い訳が残ってしまう。対策としては不十分だ。

 すぐさま「男性用ショルダーバッグ 軽量」で検索し、小さすぎず大きすぎず、財布とタオルと小さなペットボトルと日傘がちょうど入るくらいの、ナイロン製ショルダーバッグを選んでカートにぶち込む。この手の詰将棋を交際相手にやると確実にバッドエンディングを迎えることになるが、相手は父親なので構いやしない。

 翌日、父から「まだ届かないよ」と連絡がきた。意外にも楽しみに待ってくれているらしい。調べると配送は翌々日となっていたので、もう少し待ってほしい旨をLINEする。あとは、父から「今日は出掛けます」と連絡が来た時、忘れずに「カバンにポカリと日傘入れて!」と私が返信すること。我々は連携のとれたチームでなければならない。

 父と私にとって「精神的・肉体的に健やかなひとり暮らしを一日でも長く続けること」が大テーマだが、どんなに入念なプランを練ったところで、コロナや酷暑といった外的要因により、臨機応変な対応が求められる。突発的な事態が起こってアレンジが必要になるであろうところまでは予想の範囲内だったが、大テーマに必要な三本柱である「清潔かつ住み心地の良い居室」「健康的な食事」「体力作り」はそれぞれ補完関係にあり、どれかひとつに良からぬ影響が出ると、ほかの二つにもガタがくるということは、このプランを始めて学んだことだ。

 たとえば、「体力作り」ができていないと「健康的な食事」を用意しても食べることができない。コロナで外出がままならなくなれば、歩くための筋力が低下し、お腹が空かなくなり、バランスの取れたメニューを食べきれなくなって、徐々に体重が減ってしまう。これを力技で解決したのが脂質多めのメニューではあるが、本来なら健康的にお腹が空くくらいまでの運動をして、お腹いっぱい食べられるに越したことはない。

 家事代行サービスを頼めば部屋は清潔に保たれるが、キャストとの相性もあり、これがうまくいかないと精神衛生に支障をきたす。三本柱を一本ずつ立てていけば良いというものではなく、三本をバランスよく見ながら同時に少しずつ強化していくのは至難の業だ。

 さあ、今月末には私にも抗体ができるはずだ。満を持して父の家を訪ねようと思う。おそらく、前回会ったときより脚力が落ちて、歩みが覚束なくなっているだろう。娘さん、必要以上にガックリしてはいけませんよ。私は鏡に映る自分に指を差した。(つづく)

(「波」20219月号より転載) 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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