9月某日。私の二度目のワクチン接種から2週間が経過し、ようやく父の家を訪ねられるタイミングがやってきた。二度目の副反応では39.5度まで発熱したので、しっかり抗体ができたと信じたい。
父とは毎日連絡を取ってはいるが、気付けばもう2か月以上会っていなかった。写真で見る限り、居室はそれなりに整理されている様子。とは言え、家事代行サービスも打ち切ってしまったし、水回りの清掃は誰がやっているかなど、気になることはいくつもあった。
その日は比較的過ごしやすい陽気だったが、駅から父の住む団地まで歩いていくうちに、首筋から汗がダラダラと垂れてくる。確か、父が健康的な独り暮らしを滞りなくできるようにしようと決めてから初めて父の家を訪れた、1年と少し前のあの日も、首筋から大量の汗が流れ落ちる蒸し暑さだった。この1年で、我々父娘は前進できたのだろうか。
父の家に冷たい飲み物がないことは明白だったので、コンビニでペットボトルのお茶を買う。店内をぐるりと回り、持っていったほうが良いものはないかをチェックする。小腹を空かせているかもしれないと思い、駅前のパン屋さんで菓子パンと総菜パンを買った。甘いのとしょっぱいの、どちらも買っておくのがミソ。
パン屋さんから10分ほど歩いて父の部屋の前に着き、呼び鈴を鳴らさずドアノブを回す。案の定、鍵はかかっていなかった。治安のよい団地ではあるが、施錠しない癖をいい加減直して欲しい。一緒に暮らしていた頃は、こんなことはなかったのだが。
ドアを開けると、玄関は思いのほか小綺麗に整えられていた。棚がほこりをかぶっている様子もないし、靴が何足も出しっぱなしということもなかった。廊下はスッキリとしており、不要な荷物が増えた形跡もない。頭はしっかりしていると思ってよさそうだ。
居室に入ると、父はソファに寝転んでテレビを観ていた。これは以前と変わらぬ姿。いや、究極的には私が子どもの頃から変わらぬ父の姿だ。
私を見つけ、部屋で放し飼いにしている文鳥がピピピと私めがけて飛んできて肩に止まる。文鳥はうるさいほど元気で羽の色艶も良く、こちらも異常なし。父の大切な同居鳥だ、父同様、長生きしてもらわないと困る。
予想通り、室温は私の快適からは程遠かった。熱中症の危険性がないか、テレビの前に置かれたデジタル温度計を見る。昨年の夏に買って送りつけたものだ。室温と湿度と、その掛け合わせから鑑みた熱中症の危険度が大きな字で示されており、ひとめでわかる優れもの。室温27度、湿度60パーセント。熱中症の危険性はなし。
普段、父がこの温度計をどれほど頼りにしているかは問題ではない。たとえば電話で体調不良を訴えてきた父に、「まずは温度計を見て」と言えればそれでいい。寒すぎるとか、暑すぎるとか、老人は自分で感知できなくなっている場合がある。遠隔ケアの基本のキが温度計だ。
父へのあいさつもそこそこに、私はクーラーのリモコンを操作し、室温を一気に22度まで下げた。汗が引くまでの辛抱だと父を諭し、買ってきたパンを渡す。ブツブツ言いながらもリンゴデニッシュにかぶりつく父。これをひとつ食べてくれれば、1日の摂取カロリーに300キロカロリーくらいは追加できる。まだ午後2時だし、夕飯に響くこともないだろう。
さあ、父がパンを食べているあいだに、私は部屋の様子をチェックしなければ。
まずは食卓の上。サプリの定期購入を新しく始めた形跡はなし。薬など卓上に出たままではあるものの、ちゃんと種類別に分けた容器に入っている。どこか一部だけほこりをかぶっているようなこともない。
キッチン。朝食で使った食器は水を張った桶の中。それ以外に洗い物が溜まっている様子はなし。
父はほとんど毎日、薄切りの肉を数枚自分で焼いて食べているが、コンロ周りに焦げ付きや吹きこぼれのあとは見当たらなかった。生ごみが放置されていることもない。この辺りは食事を作りに来る誰かがやってくれているのかもしれない。
冷蔵庫には、訪問者(便宜上、ガールフレンドたちと呼ぶ)が持参したであろう作り置きのタッパーが程よく入っていた。感謝。賞味期限を大幅に過ぎた加工食品や飲料はなし。スーパーのビニール袋をため込んでいる形跡もなし。床がベタベタしていることもなかった。
続いて寝室。シーツや枕カバーが汚れていないかの確認。問題なし。室内を見回すと、荷物が多少減っているようだった。時間は有り余っているから、少しずつ整理しているのかもしれない。
ここで「去年着ていたあの服はどこ?」などと尋ねると、それをきっかけに「あれはどこへやったっけな……」が始まって収拾がつかなくなるので、「きれいに暮らしているね!」と父を褒めるだけにしておく。
リビング。大きめのコーヒーテーブルの上だけが、以前より雑然としてしまっている。これは許容範囲だろう。鳥かごのなかも清潔が保たれている。
懸念事項の水回り。洗面台も綺麗だし、洗濯物が溜まっていることもない。風呂場もトイレも汚れてはいない。
父に尋ねると、水回りは自分で掃除したり、ガールフレンドに頼んだりしているという。ということはつまり、ほとんどはガールフレンドたちにやってもらっているということだろう。父の人生なので介入せず。
2か月ぶりの訪問だったが、拍子抜けするほど父の部屋は清潔感を保っていた。なんだ、やればできるじゃないの。83歳でこれは立派ですよ。
肝心の父本体はと言えば、少し体重が増えたように見えた。毎日、口を酸っぱくして「あれを食べろ、これを食べろ」とやっておいてよかった。素直に聞いてくれた父にも感謝だ。
家事代行サービスに関しては、できれば週一で誰かにきてもらいたいと思わなくもないが、また最初から人間関係を築くのが煩わしくもあるとのことだった。誰にも会わなくなって引きこもられるのは困るが、ガールフレンドたちが足を運んでくれる限りはこのままで良さそう。
昨日電池を入れ替えたと言っていたので、足裏からふくらはぎの筋肉を刺激して鍛える器具もたまにやってくれているようだった。ブレイクスルー感染などという言葉が生まれてしまった限り、頻繁に出歩くわけにもいかない。もうしばらくは、これで鍛えてほしい。
ワクチンを接種する前は、接種さえすれば多少は行動範囲を広げても大丈夫だと父には伝えていた。結果的にそうはならず、申し訳ない気持ちになる。誰のせいでもないのだけれど、やるせなさは拭えなかった。
私が室内をチェックしているうちに、父が寒い寒いと文句を言い出した。私の汗も引いたのでクーラーを除湿に切り替え、一緒にテレビを観た。
こういう、なんでもない穏やかな時間は本当に久しぶりだ。お互いにタスクがなにもない。いつの間にかFOXチャンネルまで観られるようになっていたのでギョッとしたが、どうやらナショナルジオグラフィックの車修理の番組が好きらしい。楽しみが増えるのならばよいこと。
ふと棚の下段を見やると、遠隔ケア初期に意気揚々と私が作ったオリジナル食事ノート(毎食、何を食べたか食品群別に書き記すことができるようになっているもの)の在庫が数冊積まれているのに気付いた。
これは失敗だったなあ。食事の傾向を知って、足りない栄養素を自分で把握できるようにと作ったものだったが、私の期待がトゥーマッチだったと言える。いまのように、毎食の写真を撮ってLINEで送ってもらい、足りないメニューを私から口頭で伝えるシステムのほうが運用がうまくいっている。
乾燥機にかけた洗濯物を寝室まで運ぶ時に使う、生成りのバッグも使われていないようだった。乾燥機から洗濯乾燥済みの衣類を出して運ぶ時、足元が見えなくなって転倒しないようにと用意したものだ。
父が嫌気がささない程度に、次から次へと新施策を導入し、結果的に半分以上は続かずに止めてしまった。残った施策に改善を重ね、毎日欠かさずに実施できているのは、LINEでの生存確認および食事内容のチェックのみ。それでもこれだけまともに暮らせているのだから、結果オーライだろう。
居室がごちゃごちゃにならずに済んでいるのは他人の手助けあってのことだが、最初にエイヤッと物を捨てて生活動線を引き直し、思い切って玄関入って左手の小部屋を荷物置き場にしたことも大きな要因。あれがなければ、この状態はキープできなかった。
衣食住ともに、「どこから手を付けていいかわからない」状態をひとつずつ解決する根気が必須だと改めて思った。
父は赤子ではなく老人なので、できることがこれからどんどん増えていくことはないだろう。この状態をできるだけ長くキープできるような補佐が、私が次にやるべきことなのだろう。
(つづく)
(「波」2021年10月号より転載)
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ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ジェーン・スー
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1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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