外食や様子伺いの機会を作らずとも、父と私には「月に一度の墓参り」という顔見せイベントがある。我が家の介護未満ケアがそこそこ機能しているのは、これによる部分が大きい。
なぜ、この定期イベントが功を奏するのか改めて理由を挙げてみよう。
まず、
・集合場所
・集合時間
・食事内容
・一緒にやること
など、事前に考えて決める項目がないこと。集合場所は常に墓地で、時間は1時、1時半、2時のどれか。墓参りが終わったあとの食事はファミリーレストランか、たまにデパートのレストラン街に行く。次になにをするかがおおよそ決まっているので、揉めるポイントが皆無なのだ。
この4つが先にフィックスされていなかったら、間違いなく3回に2回は険悪なムードになっていたと思う。というのも、傍から見ていると、老いゆく父にとって「決めること」が年々負荷の強い作業になっているようなのだ。私ですら、疲れている時には「なにが食べたい?」というような軽い質問にぐったりしてしまうことがある。老人なら尚更だろう。
墓参りが定期イベントであり、イベントの内容が毎回同じであることには、もうひとつ重要な意味がある。月に一度同じ場所で同じことをするので、父の変化に気付きやすいのだ。父と会って必ずチェックする項目は以下の通り。
・衣服や頭髪に乱れがないか
・水がたっぷり入った桶を持ちあげられるか
・墓までの緩やかな坂を登るのが遅くなっていないか
・石材店に花代を払うのを忘れないか
・墓掃除が終わるまで、立ったまま待っていられるか
・ファミリーレストランまで歩いていけるか
・ファミリーレストランで食べる量が減ってないか
・食事中の話が支離滅裂になっていないか
母の死を悼むための墓参りは、父の加齢に伴い、生活能力、運動能力、食事内容、言語能力をテストする場になった。認知症を発症していないかの確認もできる。母の死を悼むことは悼むが、私にとっての墓参りの主目的は、もはや父の健康診断である。
いくら今日が健康体であったとして、83歳ともなると、数日で体調が悪化することもあるだろう。娘としては、それを見逃すわけにはいかないのだ。LINEでの毎日の食事チェックと、月に一度の面談は、できる限り欠かさないようにしたい。
墓参りは、主人公(我が家の場合は鬼籍に入った母)が自分のほかに存在するところも良い。くまなくチェックされると思うと、対象者は構えてしまい、普段の様子を見せなくなる。同じ方向を向いているフリをして、私がちらりと横目で確認できるのが良い。墓参り、先祖供養以上にオススメである。
10月に墓参りをした日は、季節外れの夏日だった。ありがたいことに、待ち合わせの石材店に現れた父の顔色は以前より良かった。痩せてもいないし、シャキシャキとは言えないが、しっかり歩けてもいる。清潔感も保たれているので、生活に乱れはなさそうだ。
父の趣味のひとつに、病院での身体検査がある。めまいがする日があるとかで、最近も相変わらず大きな病院で隅から隅まで検査している。
大袈裟だと思う場合が8割ながら、そのおかげで大病を未然に防げているのだとしたらありがたい。いまはめまいと蕁麻疹が主なトラブルだが、本人はどこかに癌が巣くっていると信じて疑わない。父の願い虚しく、まだ癌はひとつも見つかっていないのだが。
墓地には日を遮る建物がなく、父も私もルーティンワークだけで汗だくになってしまった。二人して犬のように舌を垂らしながら、空の桶を手に、ほうほうのていで石材店に戻った。
すると、息子さんがいつになく神妙な顔で立っていた。
「実は、母が亡くなったんです」
あまりに予想外のことで、父も私も体が固まり言葉が咄嗟に出ない。息子さんの祖母にあたる、100歳を超えるおばあ様がよく店に立っていたので、おばあ様がご逝去されたのかと思ったが違うらしい。
つい先日まで、明るい笑顔とハツラツとした声で私たちを出迎えてくれた、この20数年間、私たち父娘を見守ってくれたおかみさんが亡くなったのだ。信じられない。
当連載の前日譚となる拙著『生きるとか死ぬとか父親とか』のテレビドラマ化では唯一、この石材店がロケの場所を貸してくださり、放送を観て喜んでくれたと聞いていたのに。まだ72歳だったそうだ。しばらくお見かけしないなとは思っていたが、まさか。
墓参りは、永続するものなどないことの象徴でもある。私は老いを重ねる父にばかり気をとられていたが、すぐそばで別の大切な命の灯が消えていた。父も私も自分のことにばかり気をとられて、まったくそれに気づけなかった。
恰幅の良かった旦那さんは、体が一回り小さくなったように見えた。目に力がない。父は、妻に先立たれた男の先輩風を吹かそうと旦那さんに発破をかけるが、なにせ口が悪いのと励まし方が独特なので、隣にいる私の肝が冷えた。
我が家と異なり、旦那さんには4人もお子さんがいる。みな既婚で、2人が旦那さんの家の近くに住んでいる。
のちのちの介護には、それなりの資産だけでなく、協力態勢がとれる近しい人々の存在が欠かせない。きょうだいはみな仲が良いようで、そういう意味で旦那さんは父より恵まれていると言える。
旦那さん曰く、おかみさんが亡くなってからしばらくは、毎晩ご子息の誰かが家に来て、夕飯を共にしてくれた。しかし、だんだんと疲れが出るようになって、いまではひとりで食事をしているという。
親子と言えども、別人格ではあるのだ。長年連れ添った妻とは異なる緊張感が漂うのかもしれない。確かに、私と長い時間一緒にいると疲れると、父も言っていたっけ。
毎晩ひとりでご飯を食べて、自分で食器を洗い、自分で翌朝分の米を研いでいるんだと旦那さんが悲し気に言う。父は「そんなの、俺は20年以上やっているよ!」と、再び先輩風を吹かした。
二人の姿を見ていて、悪くないなと思った。仕事ばかりが男の能ではない。男やもめに蛆がわかないようにするためには、初心者と熟練者が交流することも必要だろう。
もう一度おかみさんにお会いしたかったと伝えると、旦那さんはそっと手帳から写真を出して見せてくれた。素敵な笑顔。おかみさんは、表情だけで人を幸せな気持ちにする才能の持ち主だった。思わず、涙が込み上げてくる。
弱みを見せられる相手が家族以外にも存在することは、老人が健康なひとり暮らしをしていく上で不可欠に思える。父の場合、仕事関係で親しくしていただいた方々がまだご存命なのと、父に下手なプライドがなくなったせいで、ワクチン接種が済み、東京のコロナが以前より落ち着いてからは、少人数の外食にも誘っていただけているようだ。
墓地で散々直射日光に当たったので、「もう疲れた。今日は帰る」と音を上げるかと思いきや、父は元気を保っていた。美味しいものが食べたいというので、東武デパートで中華を食べることにする。楽しいランチと見せかけて、実は食事量の変化を娘にチェックされるのだけれど。
父はいつもの炒飯でも海鮮中華そばでもなく、フカヒレの土鍋ごはんセットをオーダーした。なるほど、今日は目先の珍しさに惹かれて注文し、あとから「完全に失敗した!」と文句を言うパターンだな。
私はサポート役に回ることにし、季節の野菜炒めと牛肉と黄ニラ炒めをオーダーした。店員さんに、フカヒレの土鍋ごはんは塩分控えめで、と頼む。塩辛いと、父はそれだけで食べるのを止めてしまうことがある。
おかみさんを偲びながら料理を待っていると、季節の野菜炒めと牛肉と黄ニラ炒めが先にやってきた。父に3分の1を取り分ける。この二つを平らげたら、父は満腹になってしまう可能性が高いが、だとしても栄養バランスはとれている。我ながら采配に無駄がない。
父は取り分けられた2皿を平らげたあと、私の励ましとともに、土鍋ごはんもしっかり一人前完食した。父の胃が数か月前より大きくなったことを実感し、私の気持ちも高揚する。今日、意外と体力がもったのも、普段の食事量が増えたからだろう。いいぞ、その調子。
と、気を良くしたのも束の間。翌日、父からは「蕁麻疹が痒くて眠れませんでした」とLINEがきた。食事が原因のすべてではないのだが、こうなると父は「食べること」自体を恐れるようになり、数日は小食になってしまう。
父の健康管理請負人としては、前日食べ過ぎたのが原因かと反省するか、前日にたくさん食べておいてよかったと安堵するか、さてどちらにしよう。(つづく)
(「波」2021年11月号より転載)
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ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ジェーン・スー
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1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。
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