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川添愛×高野秀行「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」

2022年2月17日

川添愛×高野秀行「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」

後編 「は」か、「が」か?――それが問題だ

著者: 川添愛 , 高野秀行

理論言語学で博士号を取得し、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)をはじめとするさまざまな著書で「言語を観察する」方法を披露している川添愛さん。かたや、アフリカや南米、東南アジアなど世界の秘境で数々の言語を習得してきた経験を持つ高野秀行さん。

それぞれのフィールドで観察してきた「ことばの謎」についてリモートで熱く語っていただく初対談、後編では「語彙か、文法か」「書き言葉か、話し言葉か」「『は』か、『が』か」といった観点から、単純な“正解/間違い”では割り切れないことばの奥深い世界へと分け入ってゆきます。

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川添愛『ふだん使いの言語学

2021/01/27

公式HPはこちら

「語彙」に厳しくても「文法」には寛容な人々

川添 人が「その日本語はおかしい」と言っているのを聞くと、語彙とか言い回しに対して言っていることが多い印象があるんですが、文法的な不自然さに関しては実はそこまで敏感じゃない気がしていて。一般的に日本語の母語話者が不自然だと思うような文に関しても、けっこうスルーされているんですよね。

 例えば最近よく聞くのが、「きょうは多くの方がお集まりいただきました」という表現。本来ならば「多くの方にお集まりいただきました」となるところ、「多くの方が」になっているのをよく見ます。もしかしたらこの表現も今後使う人が増えれば、普通になっていくのかもしれません。私が文法を専門にやっていたからかもしれませんが、こういう助詞や語順がちょっと普通と違ったりする文が好みというか。

高野 好み?

川添 専門外の人は「それ、正しくないよ」と反応するのかもしれませんが、言語学者としては大好物で。そういう例が仲間の飲み会の席で出ると、みんなで「なぜこれは不自然なんだろう」と話が始まったりするんです。なので、かなり変な文や不自然な文に出会ったときでも、専門外の方と言語学者ではアプローチが違うのかなと思います。

話し言葉の「捻じれ」と書き言葉の「重み」

高野 話し言葉と書き言葉でも、また違いますよね。僕がアフリカのソマリ語をソマリ人の学生から習っていたときのことなんですが、ソマリ語って文法がわかりにくくて、すごく難しいんですよ。それにネイティブの人は、自分の母語の文法なんて全然気にしたことがないので、説明するのも難しい。で、僕があんまりうるさく聞くから、そのソマリ人はめんどくさくなったらしくて、「ソマリ人が話すソマリ語の8割は間違っているんだ」って言ったんです。

川添 身も蓋もないですね。

高野 文法を80%間違っていても通じるんだから、おまえが気にすることはないと言うんですよ。

川添 それは勇気を持っていいのか、良くないのか。

高野 いや、でもなるほどと思ったんですよね。よくよく考えると日本人だって、例えばテレビで政治家の話やスポーツ選手の試合後のインタビューを聞いたりすると、7、8割は文法が間違っている感じがします。話し言葉って、途中から文章が捻じれていくじゃないですか。最初に言いかけた言葉とそのあとの言葉が一致しなくて。

川添 そうですね。私もけっこうそれ、やります。「私が好きなのはこの飲み物です」と言おうとして、「私が好きなのは、この飲み物が好きです」みたいになっちゃったり。

高野 ああ、そうそう。「きょう、良かったのは、攻めの姿勢で、ずっといけたことが、一番良かったです」とか、そういうやつね。

川添 今、めちゃめちゃ自然に聞こえました。違和感がなかったです。

高野 口頭でしゃべっていると、言葉が時間とともに流れていくので、前にしゃべったことが、話した側も聞いている側も抜けていく。だから前後に整合性がなくても、聞けてしまうんです。あるいは、そうやって間違えたほうが、わかりやすい可能性がありますよね。「僕が好きなのは…」と始めて、いろいろしゃべっていって、でも、これは好きなことの話なんだというので、最後に「…が好きなものなんです」と閉じると、むしろよくわかる。

川添 そうですね。「好きなのは」って先に言ったのを、聞いている人がもう忘れている可能性がありますから。

高野 そうすると、書き言葉に起こせば変なんだけれども、目の前の相手にはとても伝わりやすい表現になる。

川添 逆に、書くときはそういう捻じれを極力減らしつつ、読んで時系列がちゃんとわかるようにしないといけないので、気を使いますよね。

高野 そうですね。それに、面と向かって自由にしゃべっているときには、相手とやり取りをしている過程で勘違いとか、誤解とか、言い間違いを正しながら進むことができますが、書き言葉というのは一回限りですよね。しかも、相手はどこの誰だかわからない人の場合も多い。そこで誤解が生じると、なかなかリカバリーが難しい。へたすると、炎上する。今の時代は非常に気を使いますよね。

川添 そうですね。書き言葉ってかなり重いなという感じがします。

「は」と「が」の使い分けという泥沼

高野 あと、一つお聞きしたいなと思っていたことは、文法の解釈、たとえば日本語だと「が」と「は」の違い。これは泥沼だと書いてあります。なぜこんなに複雑なんでしょうか。母語の話者として使っている側からすると、その違いをすんなりと受け止めて使っているわけじゃないですか。

川添 はい、はい。

高野 なぜそれを論理的に説明しようとすると、ここまで複雑になるのか。

川添 そうですね。それはほんとうに、難しいです。長い間研究されていても、説明され尽くしたかどうか分かりません。

 まず、「は」と「が」はそれぞれに、いろんな用法があるんですね。「は」はそのとき話題になっているものに付く用法もあれば、「私はこうだけど、あなたはこう」と対比するときに付く用法もあります。「が」のほうは、「誰々が走っている」みたいに出来事を普通に描写するときに付くこともあれば、「私が社長です」のように “唯一性”を表わすときに使うこともあります。

 あと、文法的に言っても、「が」と言うところを「は」に替えると、それが付いた主語の影響範囲が長くなってしまうということがあって。『ふだん使いの言語学』の中にも出している例ですが、「子どもが寝静まったあと、コーヒーをいれて、飲んだ」という文の「が」を「は」にして、「子どもは寝静まったあと、コーヒーをいれて、飲んだ」にすると、「子どもが、寝静まったあとに自分でコーヒーをいれて飲んだ」と聞こえてしまう。そういう、文法的な影響範囲の違いもあるんです。

 かと思えば、「新情報か、旧情報か」というような、語用論的な文脈で使い分ける要素もあります。山田さんという人のことがわかっていて、山田さんがどんな仕事をしている人かはわからないときには、「山田さんは公務員です」と言う。でも、誰か公務員がいるということはわかっていて、それが誰なのかがわからないときには、「山田さんが公務員です」と言うような使い分けもあって。

 さらにめんどくさいことに、「AはBだ」という形の文そのものに5つぐらいの意味があって、「AがBだ」という文にもさらに4つぐらいの意味がある。

 そういう、かなり複雑な要因がいろいろ組み合わさった結果を、私たちはなぜかうまく使えたり、理解したりできることになっているんです。細かく見ていけば見ていくほど、それが不思議になってくる。まさに泥沼ですね。

高野 それを瞬時に使い分けられるのは、人間の脳にどういう機能があるからなんでしょうか。

川添 たぶん、私たちが意識できないところで、「『は』というのはこうで、『が』というのはこうだ」という情報が、すごくいい形で頭の中に収まっているのかなと。でも、それを私たち自身にわかるような説明の仕方で記述することは難しくて、ちゃんと書きだそうとすると、コンピュータのプログラムのような数学的なものになると思うんです。

高野 それは例えば、手の筋肉を動かすみたいなことに近いんですかね。モノを掴んで、クルッと回すということを、人間はいとも簡単にやりますけど、このとき体に何が起こっているかを記述しようとすると、ものすごく複雑になりますよね。

川添 そうですね。実際、ロボットにそういうことをやらせようとすると、すごく複雑な計算をさせなきゃいけないみたいです。それに似たようなことが、言葉についても起こっているのかもしれないですね。文法の説明は、やっぱり難しいです。

意味が分からなくても使える

高野 僕はどちらかという文法自体よりも、実際の人たちがどうやってしゃべっているのかに興味があるんです。言葉を分析するよりはむしろ、ある程度使えるようにするのが目的なので、その言葉を使っている人たちと同じようなことを言えばいいんだと理解しているんですよ。それが正しいソマリ語じゃないとか、間違ったタイ語だとかってことは関係がなくて、市井の人たちが使っているような言葉で話せればいい。

川添 なるほど。

高野 そのときに、必ずしも意味がわからなくてもいいんです。「言葉の疑問について考えるときには、雑な答えを仮に与えて、その仮説をいろいろ検討していくのが理論言語学だ」というお話が先ほどありましたが、あれと似たことを、僕は知らない言語を学ぶときに使うんですよ。

 例えばアラブ人とかソマリ人と一緒にいるときに、彼らの子どもがわあわあ騒いだり、お店や人のうちで行儀の悪いことをしたりすると、日本だったら「やめなさい!」と言う場面で、お母さんが「エープ」って言うんですよ。

川添 エープ?

高野 そうです。最初、僕はその意味がわからない。でも、子どもをたしなめる言葉だということはわかるわけです。その時点では「やめなさい」なのか、「ダメ」なのか、「みっともない」なのか、いろいろな可能性があって特定できないけれど、お母さんがちょっとお手洗いかなんかに行って席を外したときに、その子が僕の隣でいたずらをしているので、僕がお母さんを真似して「エープ」と言ってみると、それでOKなんですよ。

川添 ああ、なるほど。

高野 その「エープ」が何だかわからなくても…。

川添 機能はするわけですね。

高野 そうです。それに、実はこの言葉は子どもに対して言っているわけじゃないんですね。注意したところで、子どもは騒ぐのをやめることはほとんどないわけで、大体は周りの大人に向けて言っているんですよ。

川添 「注意していますよ」みたいな?

高野 そうそう、子どもを注意していますっていうことをアピールしているわけです。だから僕が「エープ」って言い続ければ、子どもが全然いたずらを止めないでずっと騒いでいたとしても、機能は果たしているんですよ。

川添 なるほど。

高野 実は「エープ」というのは、恥という意味の名詞なんです。

川添 なるほど、恥ずかしいよっていうことを言っている。おもしろいですね。意味がわからなくても使える。

仮説を立てて、検証して、習得する

高野 最初「エープ」は「ダメ」なのか、「やめなさい」なのか、いくつかの可能性があってわからないんだけれども、そのあと別の場面で「エープ」が出てきたりすると、だんだん候補が絞られてくるんですよ。

川添 それは確かに、仮説を立てて、検証していくプロセスですね。

高野 そう。最初はわからないから、過剰一般化したりもする。「エープ」の例えで言うと、「エープ」が「ダメだ」っていう意味だと思って、「俺はおまえと一緒に日本に行きたい」と言われたときに、「それはできないよ」という意味で「エープ」って使ったりすると、「何?」という話になる。

川添 相手からすると、「何が恥ずかしいの?」となってしまいますね。

高野 そうそう。それで「あ、この使い方は違うんだ」と分かったりする。あと、ほかの人が使っている場面を見ていると、しだいに分かってくるわけです。それは子どもが言語を獲得していくときのパターンにそっくりだと思います。

川添 そうですね。子どもは最初、一般化を過剰にしてしまうけれど、あとあと修正していって、最終的に言葉を覚えていきますもんね。

高野 小っちゃい子がイヌのことをワンワンと言うのを覚えて、ネコを見てもワンワンと言う。それは要するに4本足で歩いている、あの形態のもの全部に、最初はワンワンっていう名前を当てはめている。そのあとで、ネコのことを「ワンワン」と呼んだらお母さんに「違う、あれはニャンニャン」と修正されたりして、ああ、こっちはワンワンじゃないのかと気づいて、修正していくんですね。それをどこかで読んだときに、子どもにすごい親近感を持っちゃって。

川添 やっていることが同じだと。

高野 きみたちも苦労しているんだなと思って。

川添 大人になれば大抵は辞書で調べられますけど、辞書もないような秘境へ行くと、やっぱり子どもと同じ覚え方をするしかないんですね。

高野 そうですね。うん。

川添 そうやって仮説を立てて、検証して、習得していくというやり方も、人間にはできるけれど、機械には難しいみたいです。そういう意味でも、人間にとっての言語って複雑でおもしろいですよね。

川添愛『ふだん使いの言語学

2021/01/27

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(おわり)

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  • 高野秀行 『謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉―』 試し読み
  • 春間豪太郎×高野秀行「自分のゲームを創れ!」

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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