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川添愛×高野秀行「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」

2022年2月16日

川添愛×高野秀行「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」

前編 「正しくない」方が面白い!?

著者: 川添愛 , 高野秀行

理論言語学で博士号を取得し、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)をはじめとするさまざまな著書で「言語を観察する」方法を披露している川添愛さん。かたや、アフリカや南米、東南アジアなど世界の秘境で数々の言語を習得してきた経験を持つ高野秀行さん。

一見、まったく別のやり方でことばに触れてきたように見える二人ですが、その言語との接し方は

◉暫定的に法則を設定して、それをアップデートしていく

◉規範的な言葉遣いより、現実で話されていることを基本にする

と、驚くほど共通しています。

お互いのファンだったという二人の初対談では、それぞれのフィールドで観察してきた「ことばの謎」について、リモートで熱く語っていただきました!

「納豆(ナットウ)」には方言がない

川添  (画面に高野さんが映るなり)ああ、高野さんだ…! はじめまして、きょうは対面でお会いできれば嬉しかったんですけれど。あの“納豆の聖地”となった新潮社に行きたかった(笑)。

高野 はじめまして。新潮社もね、納豆の聖地と言われる日が来るとは。

川添 私の中ではもう完全に、「あの納豆ワールドカップが行なわれた場所」になっています。『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉』の最後に出てきた「第1回納豆菌ワールドカップ」の話は、本当に最高でした。『謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉』も読ませていただきましたが、両方ともすごくおもしろかったです。

高野 ああ、良かったです。

川添 タイの「トナオ」とか、セネガルの「ネテトウ」とか、世界各地の呼び名が納豆(ナットウ)に似ているというのが、おもしろくて。

高野 そうそう。

川添 私は語源については素人なので分からないですが、音のつながりがあるというのは、ロマンがありますよね。

高野 納豆という言葉自体、語源がまったく分からないと言いますからね。

川添 そうですね。トウは中国語なのでしょうか。

高野 まあ、そうなんでしょうね。で、不思議なのは日本の中でも方言がない。納豆を指す他の呼び方が、ほとんどないということなんです。

川添 ああ! 確かに、みんな、納豆と言いますね。

高野 しかも、いかにも音読みじゃないですか。もっと訓読みの呼び名があちこちにあってもいいのに。

川添 確かに。それに、最初の漢字を普通に読んだらノウトウになるのに、ナットウって言って、誰もそれを疑問に思わないのが不思議です。言葉の面から考えても、納豆ってミステリアスな存在だったんだ、とあらためて思いますね。

お金が絡むと急に真意が分からなくなる

高野 僕はもともと、川添さんが『UP』で連載されている「言語学バーリ・トゥード」の、大ファンで。

川添 あ! 書籍化したときに書評も書いていただいて、ありがとうございます。

高野 連載の第1回を読んで、あまりのおもしろさに、なんじゃこりゃ!と思って。その後、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』を読んで、AIって人間が考えているイメージとはまったく違うんだということがよくわかったんです。

川添 良かったです。まさにそれが一番伝えたいことだったので。

高野 コミュニケーションというのは、本人の意図と、それを相手に伝えるための文脈があって、その両方を通して、お互いに理解をしている。だから文脈をいかに理解するか、類推するかが人間の言語活動には重要で、そこを機械が汲み取るのは非常に難しいんだと感じました。川添さんがいろいろな本で書かれていることは、そこが一つの大きな柱になっていますね。

川添 そうですね。意図の理解が一番難しい課題かなと思っています。AIには画像の認識などいろんな課題がありますが、人間の意図を言葉やその他の手掛かりからどうやって汲み取るかが、実は最上級に難しいんじゃないかと思うんです。

 実際、人間同士でも簡単ではないですよね。高野さんの本を読んでいると、異なる文化圏の人と話していて相手の意図が分からない場面が、けっこうあるじゃないですか。コンゴへ幻の怪獣ムベンベを探しに行かれたときに(『幻獣ムベンベを追え』)、調査が終わったら現地の政府の人が、高野さんたちの機材を「こっちに寄贈してもいい」みたいに言ってきて、「え!それ、どういうこと?」と喧々諤々になって、真意がなかなか分からなかったという話もありましたよね。

高野 そうなんですよ。お金が絡むと、急に真意が分からなくなることはよくあって。それまで普通にコミュニケーションをとれていたのに、突然、相手の言っていることが理解できなくなる。そういうのは、だいたいお金絡みのことなんですよね。表現が急に婉曲になるから。

川添 結局、機材を「寄贈してもいい」というのは、「欲しい」っていうことだったんですよね?

高野 そう。でも「置いていってもいい」と言われても、「『置いていってもいい』って何だろう?」と。わからないですよね。

川添 どういう意味かはっきりさせようとしたら、ますます向こうもムキになって、訳が分からなくなっちゃったんですね。いやぁ、言葉って難しいなぁと思いました。そういうことって、異文化の土地に行くとよくあるんですか?

高野 むしろ、そんなことばかりだと言ってもいいですね。

川添 でも、そういう場面で高野さんが、いろいろ悩まされながらもうまく立ち回っているのを見て、いつもすごいなと思うんです。

高野 紆余曲折を経ていくんですよ。結局、実際に会うと、言葉のキャッチボールをするうちに、だんだん相手の言うことがわかってくる。一発ではわからなくても、「それって、こういう意味?」と聞いて「いや、違う」と返ってくるやりとりを通じて修正していけるのは、やっぱり現場に行って、顔を突き合わせて、何度も話ができてこそ。それができない環境だと難しいですね。

川添 直接会うと、言葉そのもの以外の情報も入ってくるということですかね。

高野 そうそう。だから僕は電話がすごい苦手なんですよ。情報が少ないんですよね。

川添 相手の表情が見えないですしね。

高野 Zoomだと相手の動きなんかは見えるのでまだいいんですが、それでも初対面でZoomというと、今日もそうですが、けっこう緊張して。周辺情報が少ないんですよね。

川添 ああ、なるほど。

高野 例えばどこか場所を決めて会うとなれば、まず部屋に入ってきて、上着を脱いだり、鞄を置いたり、「きょうは雨すごいですね」と話をしたりするじゃないですか。その間に莫大な量の情報が入ってくる。人柄とか、雰囲気とかを、五感で探しているんだと思うんですよ。そこから名刺交換して、「あ、名刺持ってなくてすみません」と言ったり、忘れているのに「切らしてます」って言い換えたりしていくうちに、既にコミュニケーションは始まっている。そこから座って話すとなると、話は通じやすくなりますよね。

川添 確かに。文脈をつくり上げていった上で、話ができますもんね。次回はぜひ対面でお会いしたいです。

左から高野秀行氏、川添愛氏

なぜ人は言葉についてマウントをとりたがるのか

高野 『ふだん使いの言語学』や『言語学バーリ・トゥード』を拝読していて感じるのは、言語をここまで突き詰めて考えることができるんだという驚きですね。『言語学バーリ・トゥード』は、いきなりラッシャー木村の「こんばんは事件」から始まって、僕はそこで大受けして。ラッシャー木村から始まる本があるということ自体、ビックリですけども。

川添 確かに異常ですよね。

高野 すごく好きなんですよ。プロレスラーのラッシャー木村がいきなり敵の団体のリングに立って、第一声で「皆さん、こんばんは」って言ったのがどうしてそんなに的外れだったのか。なぜそれが会場の失笑を生むのかというのを、こんなに綿密に分析できるのかって驚きましたよ。理論言語学をやっている人は、こういう分析をするトレーニングを積んでいるんですか?

川添 そうですね。基本的にはなにかおもしろい言語の現象を見つけて、それについて、いったいどういう一般法則から出てくるんだろうと考えるんです。そして、仮説となる法則を立てる。

 ラッシャー木村さんの例で言うと、まず「プロレスで『こんばんは』って言うのは変なんじゃないか」という仮説を出して、いやいや、プロレスでも「こんばんは」と言うことはあるよね、と却下します。そして「じゃあ、敵地に行って『こんばんは』って言うのがおかしいんじゃないか」と二つ目の仮説を立てる。確かにそうだとなったら、「敵地に行って『こんばんは』と言うのがおかしいのは、どういう原則から出てきているんだろう?」と、さらに上の原理を考える。さらに「『こんばんは』と挨拶するのがおかしい状況とは何だろう」と、いろんなシチュエーションを考えていくと、ああ、相手に対して緊急に何かを言う必要があるとき、相手を少々驚かせないといけないようなときに「こんばんは」と言うのはおかしいんだな、というようなことがだんだんわかってきて、挨拶の原理原則のようなものが見えてくるんです。

 『ふだん使いの言語学』でより詳しく書いているように、理論言語学では「こういう法則があるんじゃないか」といったん仮説を立てて、そこに自分なり、ほかの言語学者なりが突っ込みを入れながら、仮説を修正していくんです。それを繰り返しながら、さらに大本の原則はないのかと考えます。それがうまくいったら論文に書き、研究成果として残すことになる。なので、言葉について延々と独り相撲のように考えたり、ほかの研究者とぶつかり稽古のように突っ込みを入れ合ったりするような考え方が染みついているかもしれません。

高野 そのぶつかり稽古は、なんか熾烈なものであるということを書かれていました。

川添 そうですね。理論言語学は自然科学の一種なので、用語の定義も厳密ですし、「なんとなくこうなんじゃないか」みたいな、ゆるっとしたことを言ったらめちゃめちゃ突っ込まれる世界なんですね。

 私はその辺りで、言語の研究について抱いていたロマンが感じられなくなっちゃって、「こんなに厳しいものなのか」となってしまったんですけれど、言語というかなり曖昧なものを科学的に分析しようとするうえで、その厳密さがとても重要なんだということは身に染みて分かりました。

高野 なんか言語学者って、怖い人多いですよね? あ、そういう言い方をしちゃいけないのか。「怖くない人もいます」と言わないと。

川添 でも、高野さんから見ても、そうですか。

高野 僕も言語のことになると、急に厳しい態度を取ったりしますからね。言語というのは、人を偏狭にさせるなにかがありますね。うん。

川添 「俺の言葉が一番」というか、「私の考える日本語が正しくて、あなたの使っているその言葉は正しくない」という論争になることがよくありますしね。なぜなんでしょう。でも、理論言語学では言葉に個人差があるのは当たり前だと考えるので、たとえ「自分ならその言葉は使わない」という個人的な好みがあったとしても、研究上ではそういう考え方をしないようにしていますね。

言語は服装のようなもの―「正しい言葉」問題へのアンサー

高野 飲み会とかで隣の人が「あの言葉って、おかしい」とか「間違った日本語を使っている」とか話しているのを聞くと、「間違った日本語なんてない!」と言いたくなって、時どき言っちゃったりもするんですけど、言うと面倒なことになるんですよ、かえって。

川添 それ、わかります。

高野 そのときに何て答えればいいのかなと考えていたんですが、川添さんが「『正しい日本語』というのは正装みたいなものだ」とお書きになっているのを読んで、その通りだと思って。

川添 そうです。要するに、日本語の中にもフォーマルな場で使えるものとそうでないものがあるということで、フォーマルな場で着られないパジャマや部屋着を「服ではない」と言えないのと同じように、くだけた言い回しなんかを「日本語ではない」と言うことはできない。

高野 「どんな場面においても正しい服装」というものは存在しない。でも、その場に合った服装というのは、ある程度は確実にある。それはTPOに合わせて、あるいはキャラクターによって、選ぶものだと。例えば結婚式やお葬式のときには、きちんとしたフォーマルな恰好をする。何がフォーマルかは、ある程度共有されていますよね。お葬式のときに真っ赤なネクタイや華美な服装はNGであるとか。

川添 はい。

高野 その場、その場における正解はある程度決まっていて、要するにマナーの問題なんですよね。同じように、「正しい言葉」というのはないけれども、適切なマナーというのはどこの言語にもある。そう言えばわかりやすいんじゃないかなと思います。

川添愛『ふだん使いの言語学

2021/01/27

公式HPはこちら

後篇はこちら

  • 高野秀行『幻のアフリカ納豆を追え!』試し読み
  • 高野秀行 『謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉―』 試し読み
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川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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