2021年8月25日
第1回 パチンコと居酒屋と「共感格差」
コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、1回目の緊急事態宣言が出されてから1年4か月あまり。理系の専門家が主導するコロナ対策の裏で、見過ごされている問題はないのか。人文学の視点から何か提言できることはないのか。人類学者の磯野真穂さんと、(元)歴史学者の與那覇潤さんが話し合いました。
※この記事は、2021年7月16日にジュンク堂書店池袋本店にて開催された【與那覇潤書店第3回オンラインイベント】の対談の一部を再構成し、加筆修正を施したものです。
西村コロナ担当相は「悪人」なのか?
與那覇 今年、私はジュンク堂書店池袋本店で「與那覇潤書店」という“書店内の個人書店”を出しています(9月5日まで)。今回は関連イベントとして、文化人類学・医療人類学の磯野真穂先生をお迎えしました。
いま東京都では4回目の緊急事態宣言が出ているわけですが、磯野さんは2020年4月に1回目の緊急事態宣言が出される前から、ご専門の医療人類学の観点を活かしつつ、日本のコロナ対策について「ちょっとこれ、おかしいんじゃないの?」と疑義を呈しておられました(こちらの記事を参照→「問われているのは『命と経済』ではなく、『命と命』の問題」医療人類学者が疑問を投げかける新型コロナ対策 )。当時からその問題提起に共感しておりまして、今日が初対面にもかかわらずご登壇をお願いした次第です。
磯野 ありがとうございます。
與那覇 磯野さんは、コロナ対策は必要だけれども、ウイルスに感染しないことだけを最優先にして、それ以外を「不要不急」だとする考え方はおかしいのだと、昨春からはっきり指摘されていました。今でこそ類似の意見をそこそこ目にしますが、2020年春の第一波の段階では「コロナ対策が最優先なのはあたりまえだろ!」という民意が圧倒的で、しかも自然科学(理系)の専門家のお墨付きまで得ていました。
そうした状況下で、なぜ磯野さんは周囲と違うことを発信されようとしたのか。そこに文化人類学という学問はどう役立ったのか。ぜひ伺いたいと思って企画させていただいたのですが、実はちょうど私、久しぶりにコロナ絡みでイライラしているところで……。
磯野 イライラって、何が起こったんです?
與那覇 いま(2021年7月)、西村康稔・コロナ対策担当大臣が大炎上していますよね。飲食店が時短や酒類提供禁止の要請を聞いてくれないので、そういうお店に「金融機関や酒の卸元から圧力をかけよう」「グルメレビューサイトを使って通報させよう」といった政策を検討していると表明したのがきっかけです。
もちろん私も、この西村氏の構想は科学的にも法令上も根拠のない「飲食店いじめ」で、問題外だと思っています。しかし奇妙なのは西村氏が炎上したと見るや、しれっとした顔で「政府が民間の同調圧力を防疫に利用するなんてけしからん! だから日本のコロナ対策はダメなんだ!」といった批判を繰り広げる有識者が湧いてきたことです。
そういった人たちのほとんどは、これまで従順に政府の自粛要請に従ってきた面々なんです。磯野さんや私のように正面から「この自粛強要はおかしい」と批判することはなく、なんだかんだで黙認、ないしむしろ自粛を煽ってきた人たちなんですね。
「同調圧力で国民みんなに自粛してもらおう、それで危機を乗り切ろう」というのは、よかれ悪しかれ2020年4月の最初の緊急事態宣言のときから、ずっと日本政府がやってきたことでしょう? そのときはちっとも異を唱えなかったくせに、なにを今回だけは正反対の態度で批判しているのかと。
磯野 そうですね。
與那覇 なぜ去年は政府に従い、いまは批判するのか。結局は、いま西村大臣は「悪役」扱いされて誰もが叩いているから、じゃあ自分も一緒に石を投げて民意に寄り添いましょう……って、「それこそ同調圧力だろう!」と言わざるを得ないわけですよ(笑)。
先ほど紹介したとおり、そもそも昨春の第一波から一貫して「同調圧力による自粛モード」を批判されてきた磯野さんは、そうした現状をどうご覧になっていますか?
磯野 おっしゃる通りで、国民もメディアもコロナ禍の長期化に慣れ過ぎた結果、2020年春ごろの雰囲気を忘れてしまっている気がしますね。
最初の緊急事態宣言が出る前は、政府がなかなか宣言を出さないことに対して、国民の側がむしろ非難囂囂でした。ですから、もし当時の安倍政権が緊急事態宣言を出す際、「自粛に協力しない店は、グルメレビューサイトを使って通報しましょう」「お金も貸さないようにしましょう」みたいなことを言ったら、むしろ、みんな賛成したんじゃないかなと、ちょっと思うんですよ。
與那覇 同感です。日本では2020年の2月までは、コロナ禍は海外帰国者や世界旅行の客船乗員などに「限られた問題」だと思われており、3月に欧米諸国が次々とロックダウンに踏み切るなかで世論の空気が急変していきました。
そのとき以来、「日本もロックダウンしなきゃダメなんだ!」と言っている人はいっぱいいますが、しかし法的なロックダウンというのは国家が警察力を動員し、酒を出す居酒屋や利用客は逮捕して、刑事罰として高額の罰金を科したりするわけでしょう。西村大臣による「いじめ」よりも遥かに強力なレベルの「弾圧」を行うということです。
だからロックダウン派が「法整備を待たずに行おうとした点だけが、西村大臣の問題で、方向性は正しいんだ。むしろ西村プランを合法的に行えるように法改正すべきだ」と主張するなら、筋は通ります。ところが民意に合わせて昨春から「日本もロックダウンを!」と言ってきた人々のほとんどは、世論が「西村、ふざけるな!」に転換すると便乗して、いまさら「そうそう。飲食店いじめはいけません!」と言い出す(苦笑)。
こうした「語気強く政府を批判しているようで、なにも考えていない人」のおかしさに気づき、同調圧力に流されないためには、人文学をどう活かしてゆけばよいのでしょうか。
非難される対象は「政治的」に決まる
磯野 20世紀の後半にリスクに関する複数の論考を発表したメアリ・ダグラスという人類学者がいて、私は彼女の人類学がとても好きなんです。最もよく知られているのは『汚穢と禁忌』( ちくま学芸文庫)という本で、たぶん名前ぐらいは何となく聞いたことがあると思うんですけど……。
與那覇 朝日新聞が有識者に連続取材してまとめた、『コロナ後の世界を語る 』の中で、磯野さんが紹介されていた学者さんですよね。
磯野 ええ。そのダグラスは「リスクとは、常に政治的な問題である」と言い続けてきました。つまり何かしらコントロールしがたいリスクが発生したときに、人々はその正体を客観的に見究めようというそぶりは示しつつも、ついついその共同体の中で一番「責めたい人のせい」にしてしまう。このような「リスクの政治化」は、どんな民族、どんな社会でもよく起こることだと彼女は指摘しています。
コロナ禍について言うと、たとえば安倍政権や菅政権がウイルスをバラ撒いたわけではありませんし、正直、どの政権でもウイルスを完璧にコントロールできたとは思えません。しかし「あいつらがちゃんとやらないから、こうなったんだ」として、コロナ禍が政権批判の「道具」になってしまう。しかもこういうことを言うと、「磯野は政権の回し者だ!」といった批判が実際飛んでくるわけですが、この現象自体が病気の行きすぎた政治化だと考えます。
また政権批判に加えて、「なにが悪者にされるか」が移り変わっていくことにも注目したいですね。若者、飲食店、夜の街、そして五輪などその時々の情勢に合わせ糾弾の対象が変化します。本質的な問題は「被害に遭っている善なる人々 VS 被害をもたらす悪人たち」というわかりやすい構図をかき分けた先にあると思うんですが、複雑な問題がわかりやすい勧善懲悪の物語に落とされてしまう。
與那覇 不幸なことですが、世の中は対立や偏見に満ちていて、「もともと叩きたい相手」を抱えている人が多い。そうした状況で禍事が起きると、「やっぱりあいつのせいじゃないか」といった形で、魔女狩りを始める口実にされがちだということですね。
磯野 正体不明のリスクに見舞われると、その社会の中でちょっと異端的な、もともと何となく嫌われていた人々が「災厄の原因とされて、叩かれる」という現象が起こる。與那覇さんも歴史を見ていて、そうした事態は常に起きてきたことだと感じるのではないでしょうか。
與那覇 スケープゴート探しですよね。先ほどの朝日新書の記事の中でも、磯野さんはメアリ・ダグラスの研究から、近代以前のヨーロッパの事例を引かれていました。共同体がある病気を「隔離するぞ」という風に決めると、実はそもそも患者じゃないのに、その地域で前から排斥されてきた属性を持つマイノリティが「この際、お前らは病気ってことで」として、一緒に排除されてしまう。
磯野 そうです。それと同じことが現代日本でも起きているんじゃないかと、最初の緊急事態宣言が出される頃に感じたのです。たとえば当時、なぜかパチンコをやっている人とパチンコ店が猛烈に批判されたりしたじゃないですか。
與那覇 そうでした! 私も疑問だったのですが、パチンコって、いま国が推奨している「人とは向かいあわずに、横並びで座りましょう」をもともと実践してきた娯楽じゃないですか。しかも「アクリル板」の前に座って黙々とプレイするし(笑)。
どう考えても、娯楽産業の中でも感染を広げにくい部類に入るはずなのですが、「自粛で閉店しないなら店名を公表する」といった形で、猛烈に叩かれました。これは結局、感染拡大の実態とはぶっちゃけ関係なくて、「上品ではないギャンブル」として社会的にマイナスの位置づけをされている施設なら、悪者にしやすい・叩きやすいということでしかない。
磯野 あれは明らかなスケープゴートでしたね。いま飲食店の中で特に「お酒」が標的にされているのも、似たような構図があるのではないでしょうか。「お酒は健康によくない」「こんな中お酒を飲む人たちは自覚のない感染を広げる人たちだ」といった酒から想起されるイメージの影響を考えます。
「文系にできること」は必ずある
與那覇 自然科学の「専門家」が政府に助言する様子を褒めそやす人たちがいますが、結果として実現した対策はちっとも科学的ではないということですよね。科学であれば本来、データを分析して感染の「原因」になっているものを取り除こうとするはずです。
しかし飲食店が感染拡大の主因だというエビデンスは、1回も示されたことがない。なのに自粛中に酒を飲んで外食とは「けしからんやつだ」という偏見から、「悪しきもの」を取り除けば秩序が回復するという発想で規制されています。こうなると確かに近代科学というより、前近代的な「妖術」
もちろん飲食店で感染する事例自体はありますが、データを見ればむしろ家庭内感染、あるいは病院内や高齢者施設内の感染の方が圧倒的に多いというのは、これまで何度も指摘されているわけで……。
磯野 結局、家庭や病院、高齢者施設を閉鎖するわけにはいかないけど、飲食店ならできるという、とてもわかりやすい政治的なロジックですよね。
與那覇 もし飲食店どうしの同業者組合が、日本医師会並みの集票力を持つ自民党の有力基盤だったとしたら、「あいつらを怒らせたら選挙がヤバい」となって、政府もここまで居酒屋を狙い撃ちにできなかったはずですよね。
言い換えると、政府がどんなコロナ対策を採るかというのは、決して感染症学の理論だけで決まるのではなくて、むしろ政治学的な力関係でも決まっているわけですよね。これは明快に、文系の領分なわけです。それなのに、「コロナは理系の専門だから」といって自粛に従うばかりの研究者が多いのが、いまも信じられません。
磯野 本当にそうだと思います。社会全体を巻き込む問題である以上、どんな専門であれ、文系ないし人文学の立場で言えることは必ずあるはずなんですよ。
與那覇 今回驚いたのですが、大学に所属している人文系の学者はふだん、「国に介入されること」を非常に嫌いますよね。たとえば大学でも日の丸を掲揚せよみたいに言われたら、「学問の自由への弾圧だ」「大学の自治を守れ」と反発する人が多い。
ところがコロナ禍では、「リアルの授業は控えて」と外部からプレッシャーをかけられたとき、「そこまで学生の権利を制限するほど、この病気が本当に危険なのか、吟味した上で判断します」と押し返した大学はなかった。SNSで同世代の教員の言動を観察しても、「自分がZoomで使ってるこの“神パワポ”、すごいっしょ! 遠隔講義を通じて、社会に絶賛貢献中でーす!」といった人ばかりで、内省しつつ判断を下した形跡が見られない。
磯野 私がとりわけショックだったのが、第1回目の緊急事態宣言前でした。政府が何らかの規制をかけてくるときに、仮にそれが必要であったとしても、必ず副作用としてなんらかの犠牲が生み出されます。そうした問題については、人文系の学者たちがいち早く警鐘を鳴らしてきたわけですよね。
ところが今回、政府が「感染症から守るためだ!」として規制をかけ始めたとき、「そうした規制を自明視してしまったら、色んな危ないことが起きるんじゃないの?」と声を上げる人は極少数で、ロックダウンにむしろ積極的に賛成している人もいた。政権を激しく批判してきた人たちが、政権が人権を制限しないことを批判するという奇妙な構図に危機感を覚えました。人文系の研究者がここで声をあげないのは問題ではないかと。
與那覇 そのとき、磯野さんが思い切って発言して下さったおかげで、冒頭でご紹介したバズフィードのインタビュー記事が残っているわけですね。
公開日は2020年の4月5日ですから、最初の緊急事態宣言の2日前。国民のコロナパニックがピークで、「とにかく世界一強硬な対策をやってくれ、それ以外の自由や権利なんか後回しだ!」という世論がすさまじかった時期です。
磯野 今読むと、別に普通のことしか書いていないんですけど、でも、あれを出すときには、メチャクチャ勇気が要ったんですよ。絶対に炎上するだろうと。前日の夜とか、心配でよく寝られませんでした。大学を辞めたばかりだったし、ここで私の学者生命も終わりかもしれないと思ったりして……。
與那覇 そうした中で発表して下さったことは、本当にありがたかったと思っています。実際のところ、反響はどうだったのでしょうか?
磯野 予想通り、批判もたくさん来ました。でもいい意味で意外だったのは、思いのほか「じつは私もそういうふうに思っていた」と共感してくれる声もたくさんあったことです。人文系の研究者が違和感を言葉にしていくことは、すごく大切なことなのだなと再確認しましたね。
コロナ禍で拡大した「共感格差」
磯野 私がよく通っているバーがあるんですが、突然、何の根拠も示されないまま酒類提供禁止になってしまって、もう怒りに震えて、夜も寝られなかったとマスターの方が言っていました。たとえお酒を出していても、感染対策をしながら静かに飲んでくれる人はたくさんいるし、その環境を作ろうと思うお店もある。でも酒を提供しているというだけで一律悪者になると。それで、その悔しさとかやるせなさみたいなものを、そのお店のSNSにちょっと書いたそうなんですけど、それを書くだけでも、ものすごく勇気が要ったそうです。
「今こんなことを書いたら、叩かれちゃうんじゃないかって心配だった」と言うんですね。この話を聞いたとき、とてもつらい気持ちになりました。
與那覇 たぶん、「居酒屋を閉店させることが、社会全体にとっては最適解なんだ」というエビデンスが仮にあったとしても(実際にはないですが)、それでもその方の中で「自分は苦しい」という気持ちは残ると思うんです。それをケアしないで放っておけばいいとは、ちょっと考えられないですよね。
こうした個的なものの価値を考えてゆくのは、文学・哲学をはじめとした人文学の仕事だったと思うのですが、しかしこちらでもきちんと異を唱える人は少数です。
磯野 一方で、私は医療人類学をメインに研究してきた関係上、医療関係の友人や知り合いが多くいて、その人たちが自分たちの職場の大変さをSNSで呟くと、あっという間に500ぐらい「いいね」が集まる。
懸命に働かれている方にエールを送るのはとても大切です。でもやっぱりものすごい格差があるなと。同じようにがんばっているのに、一方には圧倒的に拍手を送られる人たちがいて、他方には「つらい」と言うことすらもためらってしまう人たちがいる。私は命というのは生物的に生きていることだけではなく、人々の日々の暮らしそのものだと思っているので、こういうのも命の選別ではないかと感じます。
與那覇 平成の半ばに格差社会が問題になってから、色んな物事を「〇〇格差」と形容する事例が増えました。それこそ「モテ格差」とか言い出す議論まであって、安易に使われすぎだとも批判されましたが、コロナ禍では職業ごとに異なる「共感格差」の存在が可視化されたと思っています。
コロナ以前から「エリート」「社会に貢献して立派」と見なされていた職種の人には、危機のなかでもわーっと共感が集まり、逆に社会にとって不可欠のはずでも「誰にでもできる」「大した仕事じゃない」とレッテルを貼られてきた職種の人は、排除されてしまう。それこそ「つらい」と言うことさえもためらわれる状況は、明らかにいびつですよね。
磯野 まさにダグラスの言う「リスクの政治化」ですが、コロナのこうした側面は「感染者数」といった数値にばかり注目してしまうと見過ごされがちです。そうした「見えない構造」を見えるようにするツールとして、私の場合は人類学を参照しているんですね。
(後篇はこちら)
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磯野真穂
いその・まほ 1976年、長野県生まれ。独立人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)。国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。(オフィシャルサイト:www.mahoisono.com)
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與那覇潤
1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 磯野真穂
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いその・まほ 1976年、長野県生まれ。独立人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)。国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。(オフィシャルサイト:www.mahoisono.com)
- 與那覇潤
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1979年、神奈川県生まれ。評論家(元・歴史学者)。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史なき時代に』、『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。
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