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おんなのじかん

 去年の暮れに、義父が亡くなった。
 数日前から危篤だとは聞いていたので、いざ夫から電話でその報せを受けたとき、「ああ、そうなの」としか言えなかった。なにか夫を気遣うような言葉をかけたかったのだけれど、あくまで事務的に話を進めようとする夫につられ、私もそのようにつとめた。
 この場合、なんと言うのが「正しい」のか、いまもって私はわからないでいる。「ご愁傷さまです」だとなんだか他人行儀だし、それに義父は私の身内でもあるわけだから身内から身内に「ご愁傷さまです」はおかしいような気がする。とかいいながら、葬儀場で義母や義兄と顔を合わせたときには、「ご愁傷さまです」と思わず口をついて出てきてしまったんだけど、口にしながら「正しい」のかどうか不安になってきて、最後のほうはごにょごにょさせてごまかした。これが日本の四十二歳・自由業のリアルである。
 通夜の当日、四年前に買った礼服のジッパーが閉まらず、台湾で買った五千円の黒いワンピースに、手持ちの黒いジャケットを合わせて即席の葬儀コーディネイトを編み出したけれど、だれに咎められることもなく二日間やり通した。ネットで調べてみたら「ストッキングは黒。タイツはNG」とあったので、コンビニで黒いストッキングを買い、葬儀用の黒いパンプスを下駄箱の奥から引っぱり出して履いていった。
 低めの太ヒールにもかかわらず、家を出て五分もしないうちに足が悲鳴をあげはじめ、マジKuToo、ファッキン女にヒールを強いるクソ社会だぜ(※あまりのクソさにクソが重複)と思いながらたどり着いた式場には、黒いタイツに黒いスニーカーもどきの靴を履いている女性がいた。パンツスタイルの女性もいれば、イッセイミヤケのプリーツプリーズのような細かいひだのスカートや、ウエストにリボンのついたAラインのかわいらしいワンピースを着ている女性もいた。
 ご存じの方も多いだろうが、百貨店や量販店で売られている礼服というのは、女をここまで不細工に見せられるものかと驚嘆するほど野暮ったいデザインのものが多数を占める。端的に言うとクソださいのである。中途半端にタイトなラインの、膝をすっぽりと覆う半端丈のワンピース、妙に存在感のあるくるみボタン、台形型のハンドバッグ、洗練さのかけらもないずんぐりとしたパンプス。私はめったにヒールの靴を履かないが、どうせ痛い思いをして履くのなら、クリスチャン・ルブタンのような美しい靴を選んで履きたいものである。
 さらにそこへ、うんざりするような葬儀ドレスコードの数々が加わる。女性の礼服は基本的にスカートが正式とされていて、パンツスーツは非常識とされる。殺生を思わせる革製品の使用は控えるのが望ましい。アクセサリーは結婚指輪とパールのイヤリング&ネックレスまでなら身に着けてもいい。靴はパンプス一択。ただし、ピンヒールやポインテッドトゥなどデザイン性の高いものは不可。
 …挙げているだけでうんざりしてきたのだが、これっていったいいつだれが決めたものなんでしょうね? 弔事に着飾るなんてけしからんという考え方もあるだろうが、死者をお見送りするのに着飾ってなにが悪いの? と思わんでもない。
 私はそこまでファッションにこだわりがあるわけではないけれど、普段からおしゃれに命を懸けているファッショニスタたちにとって、葬儀のときだけ意に沿わぬ格好をさせられるなんてまさに憤死案件じゃなかろうか。そういえば以前、バレンシアガで黒いワンピースを試着したときに、「私も同じのを持ってるんですけど、お葬式にも着ていっちゃいます♪」と店員の女性が嬉しそうに話していた。これまでショップ店員から百万回ぐらい聞かされたことのある「私も同じの持ってるんです」の中でも、ダントツに聞けてよかった逸話である。結局そのワンピースは買わなかったけど。
 古くから日本では葬儀に白を着るのが主流だったが、西洋化の流れで黒を身に着けるようになったのがここ百年ぐらいの話だそうだ。それにしたって、西洋の映画やドラマに出てくる葬儀の参列者たちはみなすこぶるファッショナブルではないか。なんなんだ、この謎のローカライズは。
 しかし、義父の葬儀で見かけた女性たちは、だれが考えたのだかもわからない謎マナーを軽やかに無視して、それぞれがそれぞれに快適で、自分にとって心地よいファッションを楽しんでいるように見えた。ただしそれらはみな年配の女性ばかりで、年齢の若い人ほどマナー違反を恐れてか、頭からつま先までマナーを順守したア〇キの広告のような葬儀ファッションをしていた。
 気持ちはわからなくもない。「大人なんだからちゃんとしなくては」という呪いから完全に自由になるには、勇気と経験と年月が必要だ。社会のルールなど無視して好き勝手に生きてきたような私でさえ、どういうわけだか、「これからはちゃんとした礼服を持っていないと」と結婚してすぐに通販で安物の礼服を一式そろえたぐらいである。なにかの折に「嫁」としてジャッジされることを念頭に入れていたのだろう。そんなのクソくらえってかんじだけど、普段は威勢のいいことばかり言っていても、さすがに夫の親族に面と向かってそんなことを言うだけの度胸はないこの私 a.k.a.インサイド弁慶である。ジャッジから逃れられないのであれば、せめてなにか言われぬよう完璧を期すまで、と考えていたふしがある。うーん、自分でもまぶしいほどの若さだ。
 最初のうちはそんなふうに肩肘を張っていた「嫁」のみなさんも、年を取るにつれてだんだんとすれていったのだろう。あるいは彼女たちをジャッジする上の世代はすでに鬼籍に入ったのかもしれない。彼女たちのフリーダムな葬儀ファッションは目に楽しかった。
 ちなみにだが、私は通夜に数珠を忘れていった。葬儀用バッグのあまりの野暮ったさにぞっとし、ぴかぴかと光沢のある黒い革のバッグを持っていくことにした。着られなくなった礼服は妹(ま)にあげることにして、次までにそれっぽいモード系ブランドでパンツのセットアップでも買おうかと考えているところだ。
 年を経るごとに「完璧」から逸脱し、どんどんルーズになっていくというのは、若いころに思い描いていた成熟からは程遠いけれど、それも悪くないんじゃないだろうか。

 ―と、そんなことを思っていたら、本来なら私をジャッジする側であるはずの義母が、通夜がはじまる前にこそこそと相談を持ちかけてきた。
「私が真珠のネックレスとかイヤリングとかしてたらおかしいと思う?」
「えっ、真珠はいいんじゃないの? だってみんなしてるし…」
「お客さんはいいんだよ。そうじゃなくて、お客さんを迎える側の私がそんな着飾ってええかしらんと思って。でもお父さんを見送るんだし、多少はなにかしらつけといたほうが…」
 ああでもないこうでもないと不安そうに言いつのる義母の手には、結婚指輪とは別にひときわ大きな真珠の指輪が嵌まっていたが、それにはツッコまず、「せっかくだからつけといたら?」と答えておいた。
 喪主を務めた義兄をはじめとし、義母も夫も義弟たちも、自分たちで葬儀を仕切るのは今回がはじめてだった。右も左もわからないことだらけで、一事が万事てんやわんやしていた。
 弔問客の中には、「スマホで調べたら、御霊前だの御仏前だの初七日だのいろいろあってわけわからん。宗派によってもいろいろあるみたいだしさあ」などと言いながらおもむろに不祝儀袋を取り出し、香典を包み出す人もいた。香典は式場に入る前に包んでおくものだとスマホは教えてくれなかったのだろうか。義父母ともに愛知県の三河地方出身ということもあり、さらにはそこへ「さびし見舞い」なる風習も加わり、もはやなにがなんだかわけがわからない。通夜がはじまる直前にも席次がどうしたとかでひと悶着あり、事前に説明を受けていたにもかかわらず、焼香の際にお辞儀する順序もぐだぐだで、しっちゃかめっちゃかな葬儀となってしまった。
 式が終わってから、
「いいのかなあ、こんなゆるいかんじで」
 と義兄はぼやいていたが、その数秒後には、まあいっか、と笑っていた。
 みんながみんな、冠婚葬祭のマナーなどぼんやりとあやふやなまま年を重ねているのだな、と微笑ましくなったが、はて、ならば私たちはこんなにまで必死こいてなにを守ろうとしているのだろう。あなたも私もマナー弱者、審判者などどこにも存在しないのに勝手に仮想敵を作り出し、みんなスマホとにらめっこして体裁をととのえ、すました顔で「ちゃんとした大人」のふりをしている。これじゃまるで人狼ゲームだ。マナーは死者の弔いのためだという考え方もあるだろうが、義父はそういうことにはまったく無頓着な人だったので、地上の人間たちがくだらぬことで大騒ぎしているのを呆れて見おろしていたかもしれない。

 葬儀が終わり火葬場に移動してから、女子トイレで熱心に化粧直しをしている若い女性を見かけた。鏡越しでもはっきりとわかるほど、頬の高い位置にピンク色のチークが塗り込められていて、思わず釘付けになってしまった。
 そう、よりによって葬儀にオルチャンメイクできているのである。ヘアスタイルも最近ではあまり見かけなくなったぐりぐりの名古屋巻きである。おそらくつけ睫毛もしていたと思う。黙って見ていると、濃いチークの上にさらに色を重ねようとしているので、「いや、さすがにもういいだろ」と声をかけてしまいそうになった。
 葬儀ドレスコードの基本はあくまで華美にならず、控えめに地味にしておけというもので、ヘアメイクもそれに準ずる。ポイントメイクは口紅とアイシャドウ程度に留め、ラメやパール感の強いものは避け、ブラウンやベージュなど地味な色を用いる、マスカラやチークはできれば使わない、ネイルは落とすことが望ましい…等々、こちらもまた細かくルールが設定されているのだが、火葬場で見かけた彼女はまだ若いながらに、それらを一から百まで侵すような堂々たるマナーファッカーであった。なんとも頼もしいではないか。
「私が死んだら葬式はしなくていい。火葬だけして海に散骨して」
 と夫には言ってあるが、思い思いに着飾り、真っ赤な口紅にこってりとマスカラを塗った女たちが参列するのであれば葬式をするのも悪くないかもしれない。涙に溶けた黒いマスカラが女たちの頬を流れ落ちていくのを、あの世からうっとりと見おろしたいものである(いまどきのマスカラは、涙で落ちるほどやわではないけどね)。

おんなのじかん

2021/09/28発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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