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考える四季

2014年10月4日 考える四季

ダーウィンを魅了した「フジツボ」という生物

著者: 倉谷うらら

 フジツボのあまりの美しさに思わずため息が出ることがある。先日、ある水族館からムラサキハダカエボシを譲っていただいた。丸みを帯びた体は、透明感のある薄紫色。まるでアメジストでつくった勾玉のようだ。吸い込まれそうな美しさに見とれているうちに夜が明けてしまったほどである。

「フジツボといえば、あの岩場にビッシリついている白っぽいものでは?」という声が聞こえてきそうだ。確かに、我々がよく目にする岩場のフジツボは地味で、白っぽい。だがそれは全体のほんの一部。フジツボは世界に千種を超える。色も白ばかりではなく、桃色、グレー、緑、紫、縞模様、冒頭のハダカエボシのように半透明のものもいる。大きさも数ミリから、三十センチに達する大型種まで様々。フジツボはイメージよりもずっと多様な生物なのだ。

 フジツボの意外な側面はまだまだ続く。にわかに信じられないかもしれないが、フジツボは「貝」ではなく、カニやエビと同じ「甲殻類」。だが、移動しないことと、外側に石灰質の殻があるために、一九世紀の半ばまで「貝」の仲間とされていた。一八三〇年代になってようやく動かぬ証拠がおさえられる。フジツボがエビ・カニ類特有の幼生(子供)を経て成長することが観察され、まぎれもなく甲殻類だと判明したのだ。その後、混沌としていたフジツボの分類を整理し、フジツボ学の礎を築いたのはチャールズ・ダーウィン。彼は『種の起原』を著す前、八年間もフジツボ研究に専念した。

 その八年間の集大成としてフジツボ総説をまとめ、一八五五年に全四巻が完結した。出版から一六〇年近く経った今でも参照され続けている大著である。当時の熱中ぶりを象徴するほほえましいエピソードも残っている。ダーウィン家の子供は、顕微鏡の前で連日フジツボ解剖に没頭する父を見て育った。あまりに日常の光景だったため、次男のジョージが近所の子供に「あなたのお父さんはどの部屋でフジツボするの?」と聞いてしまう。どの家庭も父親はフジツボを研究するものだと思い込んでしまっていたのだ。彼のフジツボ研究は英国王立協会に認められ、ロイヤル・メダルを受賞しており、当時から評価は高かった。そのためフジツボ研究者の間では昔も今もダーウィンと言えばフィンチでもゾウガメでもなく「フジツボ学の祖」なのだ。

 にもかかわらず、彼のフジツボ研究は後世の歴史家に誤解されていた時期がある。ダーウィンが研究に行き詰まった時、「フジツボがキライになった」と日記に書いていた言葉が一人歩きし、フジツボに費やした八年間は「現実逃避」だとか「『種の起原』の発表を遅らせた根源」などとまことしやかに言われ続けた。

 ダーウィンは国内外からフジツボ標本を借り、化石と現生の合計一万ものフジツボ標本を調べあげた。顕微鏡もフジツボ解剖用に特注し、興味深い発見があるたびに嬉々として「私のいとしのフジツボについて報告します」と、世界中の博物学者に宛て手紙を書いている。

 化石と比較しながらダーウィンは、現生のフジツボの底知れぬ多様さと適応力に驚く。フジツボは岩や船底だけではなく、ウミガメの甲羅、クジラのひれ、クラゲの上、はたまたウミヘビの尻尾の先にフサフサつくこともある。

 ダーウィンは手紙のなかで「フジツボこそ自然淘汰に対する理解を深めてくれた」と告白している。近年、ダーウィンの膨大な書簡の解析がすすみ、フジツボ研究は、進化論をまとめる礎にもなった重要な研究として歴史家の間でも認知されるようになった。

 ダーウィンは生前、「私の(フジツボ)研究は(工業・商業などに)応用されることはないだろうね」と友人に話していた。この謙虚な言葉に反して、彼がフジツボのキプリス幼生の中にみつけたセメント腺には現在、医学、工学業界から熱い視線が注がれている。フジツボが付着するときに出す液体は、水中で固まる驚異の接着剤なのだ。この接着剤を人工的に真似て製造することができれば、湿った体内でも接着が可能となる。歯科治療や複雑骨折した骨をつなぐ無害な接着剤として医療への応用が期待されている。

 フジツボにはダーウィンが新種記載したものが多い。紫のピンストライプの殻をまとうタテジマフジツボもその一つ。学名には「海の女神アンフィトリテ」の名がつけられている。

 研究結果を世界で共有し、比較しやすくするために同じ種が実験に使われることがある。フジツボの場合、最もよく研究されているのは、このタテジマフジツボだ。

 今年三月、日本人研究者らが画期的な論文を発表した。タテジマフジツボが特定の波長下で「赤色の蛍光」を発していることが報告されたのである。フジツボのキプリス幼生は海を自由に泳ぎながら、海水中の化学物質をたよりに集まって、付着に適した場所を選ぶ。幼生が感知するのは、生きたフジツボから出る化学物質。フジツボが多数生息している場所は、餌になるプランクトンが豊富に流れてきて、飢える心配がない優良な場所である。そのため、キプリス幼生は海水中の化学物質を感知する「センサー」の役割をもつ二本の触覚で情報を得ながら集まる。だが、化学物質は一メートルくらいの至近距離でないと感知できない。今回の発見で、幼生は目からも情報を得ており、遠くからの光を目印に泳ぎ寄ることが示唆された。

 船にフジツボなどがつくと速度を著しく落とす。そのため船底には生物の付着を妨げる塗料が使われる。だが多くは塗料から有害な物質が溶け出す事で付着を防ぐ。海に悪影響を及ぼさない塗料の開発が急がれている今、キプリス幼生が集まる仕組みの解明を逆の発想で応用すれば、新しい塗料や先端技術に繋がってゆきそうだ。

 私のようなフジツボ好きは新しい論文をみかけるだけで単純にワクワクしてしまう。また一つダーウィンも知らなかったフジツボの謎が解き明かされたのである。

(「考える人」2014年秋号掲載)

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

倉谷うらら
倉谷うらら

ウェールズ大学バンガー校海洋科学学部海洋生物学科卒業。同大学博士課程中退。東京大学三崎臨海実験所での実験補佐などを経て、現在海洋生物研究家として活動。著書に『フジツボ 魅惑の足まねき』(岩波書店)。(雑誌掲載時のプロフィールです)


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