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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 半年前の父の住まいを一言で表すなら、「汚部屋寸前」だった。どこもかしこもものだらけで、掃除をしようにも満足にできない。よくある実家の姿ではあるが、ここに越してきて10年にも満たないのだ。こんなにもので溢れるなんて、本来ならあり得ない。まあ、父のもの以外の荷物が多いのも、汚部屋寸前の一因ではあるのだけれど。
 私が世紀の大掃除を行うのは、人生で二度目だ。一回目は実家を撤収した時だった。まだ日本の景気が良かった時代、銀行が喜んでお金を貸してくれた、いや、借りてくれと頼んでさえきたころのこと。文京区の小石川に、父は4階建てのビルを建てた。1階と2階が父の会社で、3階と4階が自宅。家族3人で暮らすには、大きすぎる立派な家だった。
 約30年後、建物は私の知らぬうちにあっけなく人の手に渡り、最終的に賃貸料や維持費を払うのが苦しくなって、父と私は家を出ることにした。ただただ決断を先延ばしにしていた父に業を煮やし、引導を渡したのは、まだ30代半ばの私だった。
 撤収すると決めてから実際に退出するまでには数か月を要した。なにせ、30年分の荷物がある家だったから。父は片づけに協力的だったとは言い難かった。いまにして思えば、一種のハートブレイク放心状態だったのだろう。まあ、わかるけれど、現実は待ってくれない。もう恨んではいないが、あの苦味を忘れてもいない。
 まさか、またアレをやることになるとは。家の広さは半分以下だが、今回は完全撤収ではない。父は同じ場所に住み続けなければならない。捨てるものは捨て、取っておくものは取っておく。その上で、父の居住スペースを確保しなければ。
 前回の撤収で私が学んだことはふたつ。ひとつめは、家族ではない他人の手を借りないと、いつまで経っても終わらないこと。もうひとつは、父から「捨てていい」と言われたものでも、捨てるとあとからトラブルになる場合が少なくないこと。我が家の場合に限ったことかもしれないが、父の「捨てていい」を信じては、決してならぬ。
 不用品の廃棄や大掃除も請け負う家事代行サービス業者が、見積もりを取るために面談をしたいと連絡をよこしてきた。私は敢えてそこには参加しなかった。代わりに、長期離脱を余儀なくされた大奥の御年寄、つまり父の世話をしてくれていた荷物の多い人に同席してもらう。まずは、営業担当さんに自分の話をしっかり聞いてもらったという安心感を、父に持ってもらうのが先決だと思ったからだ。次に、世話をしてくれた人を尊重するため。私が同席すると、このふたつがまっとうできなくなる。なぜなら私は冷徹で優秀な娘なので、すべてを先回りしてしまうから。それをやると、父が不満足な気持ちを抱えたまま大掃除をすることになる。これはよろしくない。優しい心からの判断ではなく、のちの業務をつつがなく進めるための弊害になるから、というだけの理由で不参加を決めた。
 後日、業者から出てきた見積もりは、スタッフ2名で4時間の作業と廃棄、それが2回で8万円だった。探せばもっと安いところもあったろうが、スタッフのうち一人は父の話に耳を傾けてくれる営業担当さん(過去には清掃業務の経験もあり)だというので、トラブル回避が先決と思い、正式に発注した。
 引っ越しでよくあるトラブルに、見積もりに来た営業担当は感じがよかったが、当日のスタッフと意思疎通が取りづらかったというのがある。私はこれを避けたかった。なぜなら、前回の実家撤収で、あとから「あれはどこいった」「あれがない」「あれがなくなったのは、あいつ、もしくはおまえのせいだ」を父が始めたから。身に覚えのないことで「あれを捨てるなんて本当におまえは物の価値がわからない」と罵られた。本人はまるで覚えていないだろうけれど。
 そういうことを、父は今回もやりかねない。悪魔の証明、つまり証明が困難なことをあとから蒸し返されることほど、面倒臭いものはない。俺が見込んだ、と父が納得する座組を組むことは、何よりも肝心だ。父はこの営業担当さんをひどく気に入ったので、たとえあとから「あれはどこいった」が始まっても、大きな混乱にはならないだろうと踏んだ。とにかく、始める前に不満を持たせないことが大切なのだ。
 次に、片付けの設計図を描く。的確な指示を出さないと1日では終わらない。事前にざっと家を見渡したところ、片付けが必要な場所は七か所あった。

・玄関
・小さいほうの部屋
・廊下
・キッチン
・リビング
・ダイニング
・洗濯機などが置かれた脱衣所

 父の寝室もものだらけだが、寝るに困るレベルではないので後回し。それぞれの場所にあるものは4種に分けられることがわかった。

・明らかに捨ててよいもの
・不要だが捨てたら怒り出すもの
・必要なもの
・ダブりまくってるもの

 たとえばキッチンにあった「明らかに捨ててよいもの」は、テフロンコーティングの剥げたフライパン、賞味期限が切れた調味料や保存食品、100枚以上あったスーパーのビニール袋、汚れたりひしゃげたりした古いタッパー類。ダイニングには謎の書類が大量に入った紙袋がいくつもあるが、これは「不要だが捨てたら怒り出すもの」だ。絶対に捨ててはダメ。壊れているように見える時計なども、思い出がありそうなものは捨ててはダメ。動くんだか動かないんだかわからない電化製品も、ダメ。「そのうち直して使うつもり」という寝言を、いまは信じなければならない。
 リビングに置きっぱなしだった大量のタオルは、「ダブりまくってるもの」。これらはまとめて、同じ洗剤の詰め替え用がいくつも出てきた脱衣所に棚を作って格納する。ハサミも何本も出てきた。ものが多すぎて見つからず、買い足した結果であろう。なかには捨ててもよいダブりもあった。錆びたビニール傘、古くなった箸類、景品でもらったであろうコップなど。
 捨てる必要のないダブりは「ストック」と解釈を変え、かと言ってパントリーを作る場所はないので、整理用のプラスチック棚を買うことにする。場所ごとに、どのくらいのサイズのものが必要かをメジャー片手に測りまくり、メモ。後日ニトリか無印良品の通販で買って、大掃除の日までに送りつけておこう。
 玄関入って左手の小さな部屋はカオスだった。これを完全に解消するのは無理。むしろ、使っていない椅子や机(どこから持ってきたのだろう?)を廃棄して場所を作り、この部屋を「不要だが捨てたら怒り出すもの」の居場所にする。「あれどこいった」をやられたとき、「あの部屋にあるよ」と言えば、目の前にそれを差し出すのと同じくらい父が納得するのを私は経験から知っている。いま必要なわけはないのだ。「あれ」がどこにあるかさえ、わかればいいのだ。
 つまり、大掃除の成功の半分は、父に不満を抱かせないことにかかっている。娘のアドバイスに従いつつ自分も納得したと思わせる環境づくり、あとから「あれどこいった」をやられても良い置き場所づくり、そして作業をする人員(私も含む)との信頼関係づくり。これができれば、あとは淡々と作業を進めればよい。
 大掃除当日。営業担当さんは若い女性をひとり連れてやってきた。私はTシャツにジャージのズボン、頭にはタオルを巻く。文鳥と戯れている父を寝室に押しやり、営業担当さんには小さいほうの部屋、事実上は「不要だが捨てたら怒り出すもの」の押し入れになる部屋を整理して場所を作ってもらう。
 女性スタッフと私はキッチンからスタート。とにかく一度すべてを棚や引き出しから出し、空っぽにして拭き掃除をしてから物を戻す。捨てるか否かは、戻す際に決める。外に出さずにひとつずつ手に取って決めていると、時間だけ掛かってしまうから要注意。父はキッチンにはたいした思い入れがなかったので、作業は細かいが気は楽だ。廊下も同様。来客用に何足もそろえた古いスリッパは捨て、昔の商売で使っていた業務用の秤(すごく重い)などよくわからないものは、押し入れ部屋に文字通り押し込む。
 問題はリビングとダイニングだった。ものがあふれてスペースがない。謎の書類は袋にまとめてどんどん押し入れ部屋へ。すべてのダブりがひどいので、ダイニングテーブルの上に集めて並べる。ペンは1本ずつ書いて、ちょっとでも出にくいものは破棄。大量の健康食品は賞味期限を見て、切れていたら捨てていいかを父に確認。OKが出たら破棄。こういう、いざとなったらあとから買い直せるものは捨ててヨシ。サプリメントは、用意しておいたプラスチックの引き出しにじゃんじゃん入れる。ダブりまくってるポケットティッシュも引き出しにイン。
 印鑑や通帳などが入った場所は触らない。あとから父がわからなくなるため。一切触らなかったことは、父に言葉で伝えるだけでなく目視で確認してもらう。「まとめてあそこに置いて」と言われたら、その通りにする。その代わり、どこに置いたかを忘れてはならない。あとから盗人扱いされかねないからだ。
 どうしてここまで気を遣うのか、不思議に思う人もいるかもしれない。だって相手はミック・ジャガーだもの。我々のフジロックは、もう始まっているのだ。

つづく

(「波」2021年3月号より転載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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