杜撰なカンボジア医療体制に驚く
スレイモンの入院の知らせを受け、状況を聞き出すうちに、カンボジアには日本のような医療保険制度がなく、治療費を支払える能力がなければ、何の治療も受けられないことを知った。医師は患者を助けたいというよりはお金儲けでやっているのだろう。
後で聞いた話だが、カンボジアに住んでいる日本人が、ゴルフ中に腕を複雑骨折して病院に行ったら、「今すぐに手付金の400ドルを払えば手術してあげる」と言われたという。なんと、とりあえずの処置もしてもらえず、その人は銀行カードを取りに行くため、腫れあがった腕で自動車を運転してやっとの思いで自宅へ戻り、ATMで引き出した現金を持って病院に引き返したそうだ。治安がいいとはいえないカンボジアで、何万円もの大金を自宅に置いていたり、持ち歩いたりするわけがないのに、救急でやってきた患者が苦しがろうが、痛がろうが、現金を見せなきゃ何もしてくれない医者がいるなんて、びっくりだ。
トゥクトゥク運転手をしている私の友人ボナは、プノンペン市内で信号待ちをしている時に車に突っ込まれ、左のあばらを骨折して近くの病院に担ぎこまれた。ところが入院代や処置代が払いきれないので、病院には2泊だけして、家族が自宅に連れ帰った。ボナは交通事故の被害者なのだが、多くの場合、相手は自動車の自賠責保険に入っているはずもなく、被害者は泣き寝入りするしかない。
別の友人の母親は重度の糖尿病で、家で意識を失った。病院に連れて行ったら、1泊500ドルも請求され、家族みんなでお金を出し合ったが、貧しい農家である友人には親を2泊させるのが限界だったらしい。お金がなければ、退院するしかない。糖尿病になってから服用していた薬代が月に200ドルもするので、毎日2錠飲まなければならない薬を2日に1錠しか飲んでいなかった。結局、お母さんはこの一か月後に自宅で亡くなった。
お金がない患者をいちいち助けていたらきりがないのかもしれないが、痛がったり苦しがったりする患者を放置できる医者の感覚も理解しがたい。
ともあれ、腎臓結石(塩分のとりすぎが原因らしい)と診断されたスレイモンが手術を受けるには、お金を作らなければならない。祖母が故郷の土地を売りに行ったものの、そもそも数万円にしかならないような区画で、治療代にはまったく足りない。私は日本にいて、すぐには助けてあげることはできないが、一週間後にカンボジアへ戻る予定だったので、痛み止めで何とか時間を稼ぐよう伝えた。
私がカンボジアへ戻った日、スレイモンの友人のバイクに乗せてもらい、お金を持って病院に向かった。病室に入るとびっくりした。男女混合の病室で、隣のベッドとのすき間は、伸ばした腕の長さぐらいしかない。カーテンの仕切りもないので、夜中に隣のベッドの男性が手を伸ばせば、スレイモンに触れてしまう。
お金を用意できることが分かったからか、スレイモンは数日前に無事に手術を受けることができていた。おばあさんは、お金を持ってきた私のことをいつまでも拝み続けた。スレイモンは一家の稼ぎ頭なのだから、入院は一家の一大事だ。通勤用のバイク代だけでなく、さらに入院代を工面してあげても、スレイモンがどうにか安定した生活ができるよう、私は願っていたのだ。
病臥のスレイモンの告白で見え隠れし始めたバンデスの本性
ベッドに横たわるスレイモンに、「休みのことは気にしなくていい」と伝えると、「バンデスは私を辞めさせようとしている。みんなの前で、『スレイモンは無能だ』と言われた」と、泣きながら訴えてきた。そして「ボニーが辞めたのもそのせいだ」とも。バンデスに口答えしたり、言うことを聞かなかったりすると、大声を出して怒鳴るのだという。
私はそこで初めて、バンデスがみんなに高圧的で、従わない人にはきつくあたっていたことを知った。確かに、思い当たるふしはないわけではなかった。
バンデスは、私が彼の口座に送金したお金で、オーブンや冷蔵庫、オフィス机や、ガラスケースなどを買い、屋根に掲げる大きな看板まで発注していた。私が日本にいる間に、なかば夜逃げのように、バンデスの自宅への引っ越しをすべて手配してくれたのはいいのだが、店には「妻がわざわざあなたのために買いに行った」と、ふとんや照明、洋服たんす、クーラー、シャワーが出る温水器まで揃っていた。私が店に住めるようにしたという。
一番びっくりしたのは、スタッフの一人、女子大生のチャンティが店に住んでいたことだ。チャンティはバンデスが国会議員をしていた時の選挙区の出身で、両親は貧しいコメ農家だ。自分たちが食べるコメぐらいは調達できるが、生活は苦しい。高校を卒業してプノンペンにやってきたチャンティは、アルバイトで家賃と生活費、学費を捻出していたが、半年前から学費が払えず、留年していた。バンデスは、「彼女は貧しいので、家賃を払わずにすむよう、ここに住むのを許可した」と、悪びれもせずに言った。
バンデスの自宅に誰を住まわせようが彼の勝手なのだが、問題は、チャンティが住んでいるのは私が家賃を払っているエリアだし、彼女が使う光熱費や水道代は私が負担するという点だ。経済的に困窮している若者をサポートしたいというのが私の思いなので、チャンティが店に住むのは構わないのだが、私に事前相談も報告もなく、すべてをバンデスが勝手に決めたことに、私は違和感を覚えた。しかも、プノンペンに出てきて、自分で生活費を稼がなければならない子はチャンティだけではない。自分の選挙区の出身だからと、チャンティだけを優遇するのも変だし、そもそもチャンティはバンデスのスタッフではない。
「良かれ」と純粋に親切心からだったのかもしれない。でも、私のお金を私に相談もなく、バンデスが勝手にふとんや温水器などを買ったことにも、「えっ!」という気持ちがあった。「店に必要なものはともかく、生活用品を勝手に買うなんて聞いてないし、私はここには住まない」と言うと、イライラしたように「自分も忙しい合間を縫って、あんたのためにやってあげているのに」と強い口調で答えた。
そういえば、バンデスはたびたび、「妻の金遣いが荒くて困っている」と私に話していた。カンボジアでは、お金がある人は病気になれば、医療体制や設備がいいタイやシンガポールへ行って治療を受ける。バンデスの妻は三か月に一度、定期検診を受けにタイのバンコクへ通っているが、一人では行けないので、付き添いを含めた滞在費が負担なのだという。直前には息子が急性腎不全になり、一刻を争う状態の中、シンガポールへ渡り、手術を受けた。渡航費や治療費で日本円換算で500万円以上かかったそうだ。そんなこんなでお金がないのだという。
バンデスの家に引っ越す前、豪華な中華料理店で開催された30歳になる娘の誕生会になぜか私が誘われた時、「今日の娘のパーティを負担するお金がない」と言っていたので、私はバンデスのメンツをつぶさぬよう、娘たちに分からないよう、バンデス夫妻に300ドルを渡したこともあった。
バンデスが半ば強引に、私が友人から無償で貸してもらっていた店から引っ越すよう誘導してからは、「自分はお金がない」と頻繁に口にするようになった。カンボジアでは、大家は毎月税金を払う必要があり、それに従えばバンデスは私からの家賃1200ドルのうち、120ドルを払わなければならないのだが、弁護士に作ってもらった賃借書類には家賃は500ドルと記載されていた。国家公務員や国会議員をしていたバンデスが、こんなずるい方法で脱税していることを知り、私は彼に対して不信感が芽生え始めた。本当に貧しいのであればどうにかしてあげたいと思うが、バンデスにお金がないのはどう見ても見栄を張るからだ。
バンデスは、「賃借契約は2年。敷金は家賃1か月分」「賃借契約は1年。敷金は家賃2か月分」のどちらがいいか、決めるように私に言ってきた。しかし、そもそも私は貸してくれとは一度も言っていない。友人がキッチンを貸してくれていたので家賃を払わずにすんでいたのに、バンデスが「自分の家を特別に貸してあげる」と、引っ越しを強行しただけだ。私は思い切って、「バンデスにお金がないなら敷金として何か月分でも渡すけれど、私が出ていくときには全額返してほしい。友人とはギブ&テイクであるべきだ」と言った。
ともかく新しい場所に引っ越し、大きなオーブンや冷蔵庫を買ったうえに、給料を渡さなければならないスタッフも増えたので、私はやるしかない。日本での仕事が本業とはいえ、ほとんど出稼ぎに出ている気分だった。
なんか大変なことになったな、と頭の片隅で思うものの、ずっとカンボジアにいることができないのに、若者を支援したいと思った私が悪いのだし、右も左も分からない状況で、バンデスに頼ってしまったのも私の責任だ、と自分に言い聞かせていた。
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小谷みどり
こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小谷みどり
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こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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