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村井さんちの生活

 義父による謎の介護サービス拒否活動がはじまって早数か月。後期高齢者、そして認知症患者の介護について徐々に悟りつつある私が最近考えるのは、育児と介護は大変よく似ているということだ。

 本人のためと思い先回りして何もかも準備しすぎると、本人のためにならないばかりか、下手するとすべてがうまく立ちゆかなくなり、予想外の軋轢を生んでしまう。薄々わかっていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。わが家の後期高齢者介護はバランスを崩したまま、かろうじて継続されているような状態だ。

 具体的に何が失敗だったのかを考えてみると、一つ思い当たることがある。それは、私が完璧を目指し過ぎてしまったということだ。ケアマネさんと話合い、月曜から金曜まで、びっしりと予定を組んでもらっていた。週二回のデイサービス、ヘルパーさんや訪問看護士さんによる生活援助、身体介護、服薬管理など、平日は家族以外の誰かが必ず義理の両親に会い、会話をし、様子を確認してもらうようにしていた。

 なぜそのようにしたかというと、連日、誰かが二人に会ってくれれば、「私が」彼らの様子を見に行かなくてもよくなるからである。それなりに費用はかかるが、費用がかかったとしても、私は自分の時間を使わなくて済む。冷たく聞こえるかもしれないが、これが実の子でない人間による介護のリアルだと思う。そのうえ、プロに任せるのがベストであることは明らかだ。

 彼らにとっても、それが安全だと考えていた。様々な支援を受けることで、以前とほぼ変わらない生活を送ることができていた。実際に、数か月前までは、誰もがこれで完璧だと思える状況にまでなっていた。でも、その完璧過ぎるスケジュールが、いつしか彼らにとって(特に義父にとって)息の詰まるものになっていったようだ。完璧に埋められたスケジュールは、義父にとっては一切余白のない、気の抜けない日々の連続だったに違いない。

 特に、夏以降、転院して体調が劇的に良くなった義父は、徐々に自信を取り戻していった。三年前に脳梗塞で倒れる前の、矍鑠とした義父が戻ってきたのを私も感じていた。同時に、私が大嫌いだった義父のクセまで戻って来た。具体的に書くと、心配性なところ、しつこいところ、クレーマー気質なところ、道路工事への謎のこだわり(角栄チャイルドか?)、ネガティブな思考といった部分だ。

 義父が元気を取り戻したことは、大変喜ばしいことで、これ以上の幸運はないと思う。なにせ御年九十の後期高齢者が、毎日庭の掃除をし、ウォーキングに精を出し、調理をし、認知症の妻を助けることができているのだから! それほど幸運なことはないというのに、私もケアマネさんも、どうにもため息が止まらない。だって、義父がすべての介護サービスを、今現在も、すべてキャンセルしようと躍起になっているからだ。義父はいいとしよう。ケアマネさんもそう言っていた。「お義父さんがそう望むんだったら、もういいとしましょう。でも、お義母さんは絶対に支援が必要です。私は、その点だけは譲ることができないんです!」

 ケアマネさんのおっしゃるとおりなのである。義父はいい。しかし、義母はダメだ!

 ケアマネさんはため息交じりに「お会いしたばかりのころの、あの優しいお義父さんがいなくなってしまったみたいですよねえ…」と言っていた。確かに、脳梗塞で半年入院し、退院したばかりの義父はとても穏やかで、ケアマネさんにも大変丁寧だった。ヘルパーさんの働きに感謝し、買い物支援を喜び、これでどうにか元の生活に戻ることができると希望を抱いていたはずだ。

 「最初の頃はすごくうまくいっていたんですけどねえ~。元気になったから、最初の頃の気持ちを忘れちゃったんですかねえ…」と言う私に、ケアマネさんはこう答えた。

 「たぶんお義父さん、デイサービスに通ったり、ヘルパーの支援を受けたりすることで、お義母さんの認知症が治るって本気で思っていたんじゃないでしょうか。だって、私には『デイサービスに通っているのに、認知症は治らないやないか!』って、ひどく怒ってましたもん。それから、お義母さんに対する発言が、どんどんきつくなってますよ。あれじゃあ、本当にお義母さんがかわいそうです…」

 確かに、その通りだ。デイサービスに通うことで認知症の進行を緩やかにすることは出来ても、治ることは基本的にないのだと何度も説明を繰り返すが、それでも義父は「治る」と信じていたふしがあった。だから彼は苛立ちを募らせたのではないか!? 治ると信じていたのに治らないと気づいた瞬間、義父は我々全員に裏切られたと考えたのでは。だからこそ、介護サービス全体を疑い、毛嫌いするようになってしまった。そうとしか思えない。そして義母に対する態度も徐々に高圧的になってきているのは私も感じている。

 ケアマネさんは私に何度も、「理子さん、諦めないでくださいね!」と言っていた。なんという読みの鋭いケアマネさんだ、私が85%ぐらい諦めていることがすっかりバレている。なにせ、連日、義父によるありとあらゆる妨害工作により、サービスを受けることができない状況になり、ヘルパーステーションやデイサービスから「どうしましょう…」という困惑の電話がかかってくる状況なのだ。もう、やる気ゼロ。申し訳ないが、何をしたらいいかもわからない。

 「私は諦めません。お義父さんはまだしも、お義母さんには絶対に支援が必要です。私、こういうパターンは何度も経験しています。このままではお義母さんが針のむしろに座るような暮らしを強いられてしまいます。お義父さんに叱られてばかりの日常は気の毒です」

 わかっちゃいるけど…と考えつつ、実家にあまり顔を出すこともなくなった私にケアマネさんが提示してくれた次の一手は「介護メンバーの一部入れ替え」だった。ケアマネさん曰く、一人のヘルパーさんが長く通うことは、メリットもデメリットもあるという。今回のケースでは、ケアマネさんはヘルパーさんの配置換えが流れを変えると読んだようだ。小学校の席替えみたいなものだろうか。私はすぐに、お任せしますと返事をした。これがいい結果を生むといいが、さてどうなるだろう。

 ここのところ数週間、義母は少し混乱しているようで、夜になると電話がかかってくるようになった。固定電話が鳴ることもあるし、私の携帯に直接かけてくることも増えた。内容はいつも同じで、私が母の日にプレゼントしたシャツがとても気に入っているということだ。私は義母がお礼を言ってくれるたびに、初めて聞いたかのように対応しているが、受話器の向こうから義父の「もう何度も言ったやろ!」という声が聞こえてくるたびに、心に暗雲が立ちこめる。このままではダメだ。しかし、一体これ以上何をやれるというのだろう。まったく、やるせない。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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