シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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村井さんちの生活

 夏の盛りの八月中旬、その日は突然訪れた。いつものように子どもたちを送り出し、締め切り迫る原稿を必死に書いていたそのとき、義母から入電したのである。しかし、その内容はまったく要領を得ないものだった。義父が倒れて、いま近くの病院にいるが、次にどこかに行くらしいと小さな声で義母。「どこかに行く」とはどういうことなのかと聞き直す前に、電話は唐突に切れた。義母の混乱と狼狽に、言い知れぬ不安で胸がいっぱいになった。

 これは何かがおかしい。義母の携帯電話を鳴らしても全く反応がない。しばらくすると再び義母から電話がかかり、状況をやっとのことで把握した。義父に軽い脳梗塞の症状がでて、たまたま家にいた人の助けを借りて病院に運び込み、そして救急車で別の大きな病院に搬送されたらしい。その病院で脳梗塞と診断されて、そのまま救急病棟で点滴を受けている。今は状態も安定して、本人は会話もできているし、元気だという。命に別状がないことを確認し、夫に病院に直行するように伝えると、私はとにかくやらなければならない仕事を片付けて、そして病院に向かった。

 義父の病状は深刻なものではなく、顔色もよかった。症状がでてすぐに病院に行ったことが功を奏したという話を主治医から聞かされた。本人は驚いた様子だったが、次第に落ち着きを取り戻して冷静に話もできるほどだった。その後も順調に回復を遂げ、小康状態となった今はリハビリ病院に転院して、日夜リハビリに励んでいる。そう遠くない未来、元気になって戻ってくるだろう。本人は前向きで明るく、しっかりとしたものである。不死身の八十三歳だ。心配なのはむしろ義母である。

 それまで、両親はどこへ行くのにもいつも一緒だった。一卵性夫婦と呼ばれるほど、二人は常に行動を共にしていた。その相棒とも言える義父が入院したことで、義母は途端に生きる力を失った様子だ。パワフルだった人が突然弱くなり、食が細くなった。ここしばらくはあまり食べることもできず、すっかり痩せた。行動的で外出が多かった人が、出不精になった。電話の声にも張りがない。お父さんがいなくてとても寂しいと、ことあるごとに言う。ダイニングテーブルに置かれていたメモ書きに、辛い気持ちが綴られていたのをうっかり見てしまった。途端に気の毒になり、わが家に来て宿泊しないかと聞いたが、慣れた家を離れたくないと決して納得しなかった(そういうところは相変わらず頑固だ)。

 私のことをよく知る友人たちにこの話をしたら、きっと驚くに違いない。「え、あのお姑さんがまさか!?」とびっくり仰天だろう。それほど義母は強烈なキャラを持つ人で、過去二十年にわたって私と数々のバトルを繰り広げてきた。そんな人が弱っているなんて、なにより私が一番信じられない。ここ数年は、私も、そして彼女も年を取り、お互いが上手に距離を取り合うことで関係は良好だったといえる。しかしそんな落ち着いた関係のなかで、少しずつだが認識のずれが生じてきたのがここ一年だった。そのずれは、口げんかや腹立たしさを生むものではなく、私に「あれ?」という違和感を与えるタイプのものだった。私はその原因を義母の老いと捉えていたが、それは間違ってはいなかったのだと、今になってつくづく思う。わかりきっていたことなのだけれど、子どもの成長と反比例するように、親は老いるのだ。

 老夫婦が望んでいるのは大げさなことではなく、元の静かな生活に戻りたい、それだけなのだと手に取るようにわかる。たったそれだけのことなのに、今の二人にとっては大きな課題である。簡単なものごとが人生最大の難関になるのが老いであり、病だ。今まで手中にあったものがあっという間にこぼれ落ち、二度と元には戻らない。それを目の前で見ていることしかできない。現実とはなんて残酷なものなのだろうと思わずにはいられない。それでも少しばかりは現実に抗って、戦わなくてはならないと両親も感じているだろう。ここ半月ぐらいは、病院から戻った義父が今まで通りとはいかなくても、それでも快適に暮らせるように、夫とともにさまざまな手続きに奔走する日々だ。いま、でっかい「人生」という文字が、私の頭上にドカンと落ちてきている。

 今まで苦労してきたあんなこともこんなことも、腹が立って仕方がなかったあの言葉も態度もすべて消え失せた。私の目の前にいる両親は、すっかり力を失い、誰かの助けが切実に必要になった二人の老人である。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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