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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

2021年8月27日 没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

24. われらオオサカベーカリー の「日本風菓子パン」納入奮闘記

著者: 小谷みどり

「甘いパン」のトラウマ

 ある日、私の友人バナリーが、「友人が経営しているカフェに、オオサカベーカリーの菓子パンを置いてくれるかも」と連絡をくれた。経営者は30代後半のカンボジア人だ。世界中から観光客がやってくるアンコールワット遺跡があるシェムリアップにはすでに何店舗もカフェを展開しており、満を持してプノンペンに開店するとのことだった。

 早速、カフェの経営者に会うと、ほかのカフェチェーン店と差別化するために、日本の菓子パンを置きたいとのことだった。そこで、改めて「日本の菓子パンって何だろうか」と考えてみた。真っ先に思い浮かんだのは、あんパンやクリームパンだ。

 実は私は甘いものが中に入ったパンがあまり好きではなく、日本でも菓子パンを買う機会はそれほどない。子供の頃、給食で出される大きな甘めのコッペパンに、くどいマーガリンや甘ったるいイチゴジャムをつけて食べるのが苦痛だった。当時の公立学校では、生徒には給食を完食することが強制されていたが、そもそも背がとても小さく、食が細かった私にとって、自分の顔の長さほどもあるコッペパン(しかも、口中の水分が持っていかれそうなほど、ぱさぱさだった記憶がある)を完食するのは至難の業だった。食べ残したことがクラスメイトにバレないよう、私はパンやマーガリンをランドセルにこっそり押し込んで、何日も持ち歩いていた。ランドセルの底には、教科書やノートで押しつぶされ、カチカチになったパンが敷き詰められていた。

 ある日、クラスの男子が私のランドセルにパンが詰め込んであるのをたまたま発見し、私の「犯罪行為」が露呈してしまい、その日の学級会の議題にかけられたことがあった。忘れもしない、小学校3年生の時だ。「給食を食べ残しちゃいけないのに、小谷は何度も食べ残している」というのが、公開裁判の理由だ。いまだに甘い何かが中に入っているパンが好きではないのは、この時のトラウマが原因に違いないと思っている。

 話を戻すと、「ビジュアルが異なる日本のパンを10種類ほど提案してほしい」という依頼に応えるべく、まずは、日本のパン屋さんで売られている菓子パンの種類を思いだしてみた。しかし、そもそもパン自体が日本発祥の食べ物ではないので、日本オリジナルの菓子パンは、メロンパン、揚げパン以外では、中にカスタードクリームやチョコレートクリーム、あんこなどを詰めたパンぐらいしか思いつかない。雑誌やテレビ番組で紹介されるようなおしゃれなベーカリーで売っているクロワッサンやデニッシュは、バターや砂糖がたっぷり入り、私も大好きだが、これらは日本の菓子パンとは言えないだろう。

私が日本に帰ってもスタッフだけで作れる菓子パンを試行錯誤

 カフェの経営者が、カフェに置く菓子パンのコンセプトに「日本」を選んでくれたのはありがたいが、形が異なり、日本風で、甘い、安いという条件を満たすパンを10種類も考えるのは、なかなかの難題だった。食事用の調理パンや食パンのアレンジならば、たくさん思いつくが、日本の菓子パンとなるとおのずと限られる。しかもカフェは、カンボジアの若者をターゲットにしているので、パンは150円以下で卸してほしいとのことだった。

 私は、利潤を追求することを目的にベーカリーを運営しているわけではなく、若者たちに製パンの技術を身につけてもらいたいと思ってはじめたので、いろんなパンを作るチャンスはとてもありがたかった。うちは、授業料がいらないどころか、生徒にとっては、給料と住む場所が提供されるパン教室というイメージだからだ。

 利益がないのに商売をするなんて正気の沙汰ではないことはわかっているが、スタッフの給料や家賃、光熱費などは、いずれにせよ私が負担するものの、私自身、お金儲けには無頓着だし、向いていないということもある。いくら考えても、形がそれぞれ異なり、日本風の、しかも安いパンを10種類というリクエストは、無理難題にも思えた。しかし、スタッフを遊ばせておくわけにはいかないので、やるしかなかった。

 しかも私がカンボジアにいる間に、なんとか目途をつけないと、スタッフとは言葉が通じないうえに、日本の菓子パンだと写真とレシピを示しても、食べたことも見たこともないだろうから、遠隔操作では、作れるはずがない。

 とはいえ、私にとってはこのシチュエーションはかなりプレッシャーだった。私自身、手先が不器用で、工作が得意ではないうえに、スタッフが練習すればできるレベルの造形パンでなければならないのだ。

 抹茶やココアを練りこんだパンを作ってみたが、菓子パンと呼ぶにはクリームをはさむなどしなければならない。チョコレートを巻き込んだ渦巻きパンだと、スタッフの技術では形や大きさがバラバラで、半分ぐらいが売り物になればいいところだ。しかもチョコレートは輸入品ゆえに高額で、倍の量を作らなければならないとすれば、かなりのロスが出てしまう。そもそも菓子パンは、砂糖やフィリングを多用するので、原材料が意外にかさむのだ。パンの大きさを一口サイズにするわけにもいかないし、クリームパンやあんパンのフィリングをケチって、中身がほとんど入っていないパンを作るのは私のプライドが許さない。もはや赤字覚悟。そもそも工場で大量生産でもしなければ、50円で菓子パンを売るということはありえないと思った。

スタッフが焼いた試作パン。

次なる課題は朝5時半の配達、そしてパンの乾燥対策

 そんなこんなで、黒字にはならないけれど、スタッフにはいい経験になるし、作ったパンは無駄になることはないという判断で、なんとかプノンペンの店舗のオープン初日に5種類の菓子パンからスタートすることになった。あんパン、抹茶クリームパン、チョコレートスネイル(渦巻きパン)、レーズンクリームパン、きな粉パンの5種類。新しい店に引っ越すタイミングで出戻ってきたスタッフのボニーははきはき自分の意見を言う子で、きな粉を食べると、「おいしくない! カンボジア人はこれ、嫌い」と言ったが、なにせオーダーは日本風の菓子パンなんだから仕方がない。本当は作り手がおいしいと思う物を出すのが筋だとは思うが、カフェのオーナーが何度も試食し、ゴーサインを出しているのだ。

 しかしここで新たな問題が発生した。店の開店は朝6時ということで、朝5時半にはパンを配達してほしいとお願いされたのだ。前述したように、パンはケーキや焼き菓子と異なり、すぐに完成するわけではない。5時半に配達するには、遅くとも朝2時には作業を開始しなければならない。はっきり言って、これは不可能だ。

 スタッフのうち、2人は夜間の大学に通っており、チャンティは店に住んでいるとはいえ、帰宅するのは夜9時をまわっている。夜勤を交代でまわすとしても、5種類ものパンを1人で4時間足らずで焼くことはできない。どうシフトを組んで作るかはおいおい考えるとして、とりあえずは夕方に焼いたパンを、翌朝に配達することにした。

 日本語を話せるからという理由で店に顔を出してくれていたビボルが、配達を担当してくれた。車で30分近くかかる自宅から朝5時前に店へやってきて、スタッフのチャンティからパンを受けとって、20分かけてカフェに配達に行くというスケジュールだ。

 こんな日課がいつまで続くか不安だったが、なんとかチャンティもビボルもがんばっていた。ところが数日後、パンが硬いとカフェから苦情が入った。ビボルと一緒にカフェに謝りに行くと、私たちが配達したパンは、カフェのカウンターのなかに無造作に置かれ、冷房が効く店内では乾燥してしまっていた。しかもカフェの営業時間は朝6時から夜10時までで、売れ残ったパンは翌朝、ビボルが配達にいったときに返されることになっていた。ビニールにもくるまずに二晩を超えたパンが乾燥するのは当たり前だと思われたが、こちらが解決策を考えなければならない。パン生地を仕込むときに使う水分量を増やし、時間をかけて発酵させるなど、作業の見直しをする必要があった。また市場へ行って、パンを一つずつビニール袋でくるみ、パウチする中国製の機械も買ってきた。

 そんな頃、私は、カフェがパンを買い取ってくれるわけではなく、店頭で売れたパンだけを50円で買ってもらえる仕組みであったという事実に気づいた。カフェは店頭ではお客さんに80円で売っているので、カフェは、私たちのパンを置くことにまったくリスクがない。私がきちんと事前に確認していなかったとはいえ、そんなことを思いもしなかったので、想定外のことにさすがの私はびっくりした。その一方で、まだ30代のカンボジア人オーナーはビジネスを成功させているだけあって、自分が絶対に損をしないような方法を考えるだけのセンスがあることに感心した。

 そして、「私にとっては金銭的には何のメリットもないけれど、カフェが大きくなるなら、そこにパンを置いてもらっていることは、スタッフの自信になるかもしれない」と、私は辛うじて思うことにしたのだった。

カフェの店頭に並ぶパン(上段)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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