日本でしかできないカンボジアの話
2019年11月9日はカンボジアの独立記念日。私は日本で講演の仕事があったので、10月末には帰国していた。
バンデス邸を引き払った後の引っ越し先を見つけてくれたり、私の定宿を提供してくれたりして、何かと力になってくれたバナリー一家が、独立記念日の連休を利用して、日本に2週間の旅行にやってくることになった。私は仕事がある日以外は、専属のガイドとして旅行に同行し、一家と同じ部屋に泊まり、たくさん話をした。
パン屋の話とはちょっと離れてしまうが、現在のカンボジアを知ってもらえる機会なので、大切な友人・バナリーにまつわる話を書こうと思う。
前にも書いたように、カンボジアでは言論の自由がない。
政府の方針に反対する意見をSNSにアップしたら、一般庶民であってもひどい目に遭う。内戦時代に、タイの難民キャンプから日本のNGOの支援で日本にやってきて、難民として30年以上日本で生活しているカンボジア人夫婦は、SNSを一切利用していない。
この夫婦と同じように日本で難民として暮らすきょうだいが、SNSにフン・センの悪口を書いたところ、カンボジアで町内会長をしている他のきょうだいのところに治安警察がやってきて、「お前のきょうだいのせいで、お前の身がどうなるか、分かっているだろうな」と脅してきたという。カンボジア国内に住んでいる自国民のSNSを監視するならわかるが、もう何十年も日本に住んでいるカンボジア人の言論の監視を政府がしているとは、びっくりだ。
この夫婦は、「カンボジアで生きていくために、フン・セン側の政権のなかで仕事をしている親戚もいるから、私たちは一切の発言を残さないようにしている」と言っていた。
この人たちに限らず、カンボジアでは、政治的なことや社会問題について自分の意見を発言しない人が多い。独裁政治や経済格差の問題などは、庶民が考えてもどうにもならないので、考えないようにしているのか、あるいは、密告されるかもしれないので、自分の意見は他人には公言しないようにしているのか。そんななかで、バナリー一家が日本に来てくれたことで、いろんな話を聞くことができた。
バナリーは自立心が高く、男尊女卑の意識が根強いカンボジアではとても珍しい女性だ。ちなみに世界銀行が2021年に発表した男女格差指数(Women, Business and the Law 2021)では、日本は80位だが、カンボジアは118位。日本では「職場」や「賃金」で男女の格差があるものの、「育児」「資産」「年金」では最高値の100点で、格差がないとされている。
一方のカンボジアでは、「育児」では20点の評価だ。もっとも、カンボジアでは「育児」で男女格差が大きいとはいっても、日本のように、専業主婦の母親が幼児と二人で一日過ごすという母親の孤立が問題になることはほとんどない。親族とのつながりが強いので、近所に住んでいるか、同居している親族みんなが子育てに関わるからだ。
例えば、フン・セン首相が解党した救国党の国会議員だったバンデスは、今でこそ、未婚の娘と妻との暮らしだが、車で数分以内のところに娘夫婦や息子家族が住んでおり、頻繁に家にやってくる。バンデスの弟家族や従兄弟なども、誰かの誕生会には必ずやってくる。
バナリーの家には、バナリーの父親、バナリーの弟家族も同居しており、バナリーの夫側のおじさんや甥っ子も住んでいる。カンボジアでは、自宅に一、二度訪問しただけでは把握しきれないほどの親族が一緒に住んでいるか、近居していることが多いので、日本の育児をする母親の孤立はもっと問題にされるべきだと思う。
考えることをやめてしまった女性たち
カンボジアでの男尊女卑は、女性よりも男性の方が知性において優れていると考えられている点に象徴される。例えばバンデスは、10歳以上年下で、中学を出たばかりの16歳の女性(今の妻)とお見合いで結婚したそうだが、40年ほど前のカンボジアでは、それが当たり前だったという。
バナリーの夫、コサルは40代だが、私が「日本には、年上の妻は金の草鞋を履いてでも探せということわざがある」と話すと、彼は「カンボジアでは、妻が年上なんてありえない!」と発言し、バナリーと私の怒りを買ったことがある。
コサルによれば、「カンボジアでは、女性が男性に向かって発言するなんておかしい。僕はそうは思わないから、例外だけど……」と、よく言う。夫の言うことを聞き、従うのが、妻の務めだという考えは、カンボジアの地方の農村ではいまだに強く強く根付いている。
バンデスの自宅で食事をごちそうになった時も、バンデスの娘たち女性陣は、客人である私とは同じテーブルにはつかない。(女性より)有能な男性に任せるべきという価値観を教育されているので、特に中年以上の女性は、日常生活のちょっとしたことでさえも、意思決定をしない。考えることもやめてしまったかのようにみえる女性が多い。
しかし最近、そんなカンボジアでも、外国の文化に触れ、カンボジアを俯瞰し、行動する女性たちが現れてきた。バナリーもその一人だ。彼女は、ポル・ポト政権やその後の内戦で壊滅的になった、伝統的なシルク産業を復興しようと奮闘している起業家だ。
カンボジアでは、1970年に軍のクーデターで王制が廃止されて以降、内戦が続き、1975年には内戦に勝利したクメール・ルージュによるポル・ポト政権が樹立すると、4年間にわたって数百万人もの国民が虐殺された。
1978年にベトナム軍が侵攻すると、ポル・ポト政権は崩壊したが、新たなヘン・サムリン政権は、ポル・ポト派など反ベトナム派との間で再び内戦となった。1991年にパリ和平協定が結ばれるまで、実に20年以上も内戦が行われてきたことになる。しかしこれで平和が訪れたわけではなかった。
国連カンボジア暫定行統治機構(UNTAC)下で実施された内戦後初の総選挙が1993年におこなわれたが、国連選挙監視支援としてカンボジアの選挙監理活動参加中に、国際連合ボランティアの中田厚仁さんが殺害されたことからも分かるように、この頃にもまだクメール・ルージュとカンボジア政府との衝突は続いていた。
しかも長い内戦の結果、カンボジアは世界有数の地雷や不発弾の被害国となり、2000年だけでも850人以上が地雷や不発弾の被害を受けている。1979年にカンボジアの片田舎の小さな村で生まれたバナリーは戦争と貧困のなかで育ち、物心がついたころから常にお腹をすかせていたという。
カンボジアでは、女性の幸せは、結婚し、子どもを産み、家族の世話をすることだと考えられており、両親は、バナリーが高校へ進学することにも反対していたので、バナリーが、プノンペンの大学で勉強したい(現在でも大学進学率は1割もないうえ、20年前には大学はプノンペンにしかなかった)と言い出した時には、猛反対したそうだ。
バナリーは、経済的援助を両親には一切求めないという約束で両親を説得し、プノンペンで働きながら、夜間大学で経営学と英語を学び、7年かかって卒業した。カンボジアが貧困から抜け出すには、教育こそが大事だという信念だけが、彼女を突き動かしていたという。
信念を貫いたバナリーは、服飾関係に就職して社会に出ると、貧困や格差にあえぐカンボジア社会に一石を投じる活動を展開することになる。
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小谷みどり
こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小谷みどり
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こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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