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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 なにをどう頑張っても父の体重が増えない。むしろ少しずつ減っていく。これから梅雨がきて夏がきて、老人でなくとも体力が削がれがちになるというのに。

 体格を表す指標であるBMI値は、ついに20を少し下回ってしまった。18.5未満になると低体重とみなされ、低栄養状態が疑われる。老人は1年に2キロ以上体重が減るのはよろしくないと、どこかで読んだ記憶があるが、父はまさにこれ。

 なにがよろしくないかと言えば、こういう時に転倒でもしようものなら、脂肪も筋肉もないからすぐ骨折してしまうらしいのだ。そのまま寝たきりになる可能性もある。そんなの、目標の「精神的・肉体的に健やかなひとり暮らしを1日でも長く続ける」から程遠い結果ではないか。

 意気揚々と、さまざまなプランを編み出していた頃が懐かしい。あーあ、父も私もやる気にあふれていたのに。そして、おおむねその通りにやっているのに。

 何に関しても言えることだが、計画と実行は誰にでもできる。問題は、評価と改善だ。いわゆるPDCAというやつ。私はそこにもうひとつのCを加えたい。Continuationつまり継続。私は早くもタイムを取りたい気分だった。

 わかっている。頑張っているのは父なのだ。毎日ちゃんと、食事の写真を送ってきてくれているではないか。朝はメイバランスか甘酒。昼と夜は炭水化物の白米、たんぱく源の肉か魚、納豆などの豆類、サラダやおひたしなど野菜、お味噌汁には海藻。バランスはしっかりとれている。脂質が若干足りない気もするが、11200キロカロリーくらいは摂れているだろう。月に一度の外食では、ハンバーグステーキやシチューをペロリと平らげる。あれだけ食べられるなら、増えずとも減ることはないはずなのに。

 テストドライバーとメカニックにたとえるなら、整備しても整備しても、なかなかタイムが伸びない状態。たとえにたとえを重ねるのは悪手だが、私は出来の悪い子どもの受験勉強を眺めている気分だった。まるで幼い頃の私のよう。亡き母も、同じ徒労感を私に抱いていたのだろうか。これは、なんらかの贖罪行為なのだろうか。と、ここまで考え、私はいまだ、体重が減るのは父ひとりのせいだと思っていることに気付く。二人でひとつのプロジェクトに携わる姿勢を崩してはならぬのに。

 体重の減少に関しては、父も少し気に病んでいるようだった。健康診断をしても特に病気は見つからないから、単純に摂取カロリーが消費カロリーを下回っているのだろう。一歩も外に出ない日だってあるのに、それでも痩せていくなんて信じられない。不謹慎だが、羨ましいとすら思う。

 三大栄養素である糖質とたんぱく質と脂質。そのうち糖質とたんぱく質は、1グラム4キロカロリー。脂質は1グラム9キロカロリー。シンプルにカロリー増を目指すなら脂質を増やせばいいのだが、脂質は消化に時間がかかったり、腹持ちが良すぎて次の食事がちゃんと食べられなくなったりする。糖質を増やすのが順当だろう。おやつに糖質と脂質が合わさったもの、たとえばポテトチップスを食べてもらうのはどうだろう。ポテトチップスは、私が罪悪感を伴いながら食べる食品ランキングナンバーワン。できることなら代わってあげたい。娘のメタボを分けてあげたい。

 父の父、つまり私の祖父も晩年は痩せ型だったので、諸々の数値が悪化しない限り、これでもいいのかもしれない。だが、体重の減少が筋力低下を伴っているのは明らかで、墓参りに行くたびに歩みが覚束なくなっているのが気になって仕方がない。以前も同じようなことを書いた記憶があるが、再びそれを記すのは、当時と比べてさらに覚束なくなったからだ。

 歩みを見ていると、誕生日だか父の日だかにプレゼントした、ふくらはぎの筋肉を鍛える器具を使ってくれているとは思えない。だが、この手のことは尋ね方が難しい。「やってるの?」と聞けば、怒られるのが嫌だから「やってるよ」と言うに決まっている。つい先日、女友達と「矯正と禁止を男と子どもに押し付けても、陰に隠れてやられるだけ」という暴論をぶち上げ苦笑いしたばかりだったが、親もその枠に入れてしまいたくなった。

 とにかく、いまは体力をつけ、納得してワクチンを接種してもらう必要がある。1回目は無事に済んだが、2回目を前に父が駄々を捏ねだした。

2回目の接種のほうが、副反応が大きいっていうじゃない。1回目のあとはぐったりしてしまったし、あれよりひどいのは嫌だよ」

 父の言い分もわからなくもない。巷では、ちょうど二度目の接種が終わった人がちらほら出てきた時期だった。高熱が出たとか、腕が上がらなくなったとか、体重減少に悩む老人をひるませるには十分な情報が、日々メディアから流れてくる。健康体の私でさえ尻込みしてしまった。己の体調不良に人一倍敏感な父なら尚更のことだ。

 1回目のように険悪なムードになるのはこりごりだ。揮発性の高い怒りをぶつけたところで、根本的な問題が解決されることはなく、あとあとのやり取りがぎこちなくなるだけ。日々の食事を報告してもらうルーティンがあったので不穏な状態は長引かなかったが、それでも心がぐったりしてしまった。久しぶりに感情をぶつけ合っても、いいことはひとつもなかったのだ。

 2回目の接種までに少しだけ時間があったため、厳しいことはなにも言わず父の不安に寄りそうだけにして、様子を見ることにした。父がネガティブな情報を口にした時には、ポジティブな情報をそっと添える程度にとどめる。それが功を奏したのかはわからないが、接種予定日の2日前くらいになって、「必ず受けます」とLINEがきた。ホッと胸を撫で下ろす。

 あとは体重増加策を練るだけ、と思っていたところに、父から怒りの入電。なにかと思えば新しい家政婦さんが十分な仕事をしないので、もう来ないでほしいと言う。正直、またかとウンザリした気持ちになった。

 週に一度の家政婦さんをお願いするようになってからちょうど1年。なかなか担当が定着しないのが悩みの種だった。先方の業務上の都合で変わること数回。父からのNGも数回。紆余曲折ののち担当になった方がきめ細やかで、父との相性も抜群だった。これでしばらく安泰だと思っていた矢先、その方がご家族の都合で退社するとなったのが1か月前のことだった。

 その次に担当になった方が、父曰く「四角い部屋を丸く掃く」タイプだったようで、当初からブツブツとは言っていた。私は営業担当者と軽く連絡を取りつつ、父をなだめつつ、しばらく様子を見ようと思っていた。

 だが、電話の父は語気が荒く、まるで私がクレーム処理係かなにかのように文句を垂れ続けた。こりゃ先方にも乱暴なことを言ったに違いない。再びどっと疲れが押し寄せる。ワンマン社長だった記憶が、まだ抜けていないのだろうか。年老いてからの父はだいぶ丸くなり、他者を無暗に傷付けるようなことはしない。しかし、カッとなる時がまだ稀にある。

 父は自分の部下を怒鳴りつけるようなところがある人だった。だいたい、家政婦さんは自社の社員でもなんでもない。業務を発注し、代金を支払う関係だ。不満があれば改善を要求し、無理なら担当を変える。もちろん、自社の社員相手なら威張っていいわけでもなく、当時の行いだって間違いだったのだ。とにかくもうウンザリ。

 心を落ち着ける間もなく、私の口が勝手に動いた。

「お父さん、私もう疲れちゃったから。お父さんのクレーム処理係じゃないし、お金を払っているのは私だし、もう勘弁して。しばらく家政婦さん無しでやってください」

 おだやかに、しかし相手にひと言も口を挟ませぬよう、私は一気に言葉を吐いた。父はやや怯み、ならば営業担当者と俺が直接話すと言い出したが、それも制した。家に出入りしている人はほかにもいるのだし、あとは自力でどうにかしてくれという気持ちでいっぱい。一回目のワクチン接種で正面衝突したばかりだというのに、私はまた同じ態度に出てしまったというわけだ。

 父との電話を切ったあと、すぐに営業担当者に連絡する気にはなれなかった。大掃除から延々と世話になっているのに、ここで一時中断を申し入れるのが後ろめたかったのと、父が家政婦さんにひどいことを言ったか確かめる気力がなかったから。

 週が明け火曜日になって、ようやく気力が回復した。かくかくしかじかで、いまの方には外れてもらいたいこと。そのあと新しい方をすぐに見つけなくても良いこと。しばらく来ていただくのはお休みしたいこと。すべて伝え終わると、「実は、次回は私も同行しようと思っていたんです…」と営業担当者が口を開いた。やはりなにかあったのだ。

 曰く、掃除の仕方が気に入らないと父から文句を言われた家政婦さんが、言葉のキツさにショックを受けてしまったらしい。娘の私は散々やられてきたから慣れているが、他人様にしたら当然だ。私は心のなかでボヤく。お父さん、それ今ではハラスメントっていう迷惑行為なんだよ。父に代わって電話の向こう側に頭を下げながら、ウンザリが加速する。

「お父様がワクチン接種に出掛けられるのを、うちのスタッフが知らなかったので、その時点から気分を害してしまったようで…」

 ああ、なんということ。これは私のミスだ。二度目の接種を受けるために父が家を出る時間が、家政婦さんの業務時間終了より早いので、それを事前に伝えておいてくれと父から言付かっていたのを当日まで忘れていたのだ。私が営業担当者に電話をしたのは、家政婦さんが来訪してから数十分後。ボタンの掛け違えとは言え、そこから始まっていたとは。間違いなくメカニックである私のケアレスミスである。

 営業担当者にしてみれば難ありとはいえ顧客がひとり減るわけで、「ハイ、そうですか」と簡単に引き下がるわけにはいかない。良くも悪くも様々な角度から引き留められたが、私の意志は固かった。とりあえず、一旦休止させてくださいと伝えて電話を切る。

 あーあ、もう疲れちゃった。テストドライバーが痩せ細っていくミック・ジャガーだったなんて、想定外過ぎた。(つづく)

(「波」20218月号より転載) 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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