今年はじめに出版された訳書『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(きこ書房)の著者キャスリーン・フリンがアメリカから来日することとなり、記念イベントに出席するため、しばし琵琶湖に別れを告げて東京まで行ってきた。行く前は「ついに10年ぶりに上京!」とか、「とうとう自由を手に入れるのか!?」とか、大げさなことばかり言っていたのだが、いざ新幹線に乗ってみると、たった2時間半であっという間に東京駅に到着。新幹線の中で原稿を書こうとか、普段食べないようなお弁当を食べようなどウッキウキで計画していたのだが、コーヒーを一杯飲んで、車窓を流れる景色をぼんやりと眺めていたら、あっという間に東京駅に到着してしまった。東京はこんなにも近かったのかと拍子抜けした。まるで海外にでも行くぐらいの気構えだったのだけれど、到着してみたら、以前と変わらず、楽しくて忙しい東京が私を待っていてくれた。
改札で編集者と落ち合い、その足で著者の宿泊するホテルへ向かった。以前から連絡を取り合っていたため、ある程度気心知れた仲ではあったけれど、翻訳を担当した書籍の著者と実際に会うのははじめての経験だ。来日を迎えるまでの紆余曲折を考えれば、感動の対面になるはずで、涙が流れてもおかしくないシチュエーション。しかし実際のところは、感動で咽び泣く予定だった初対面は、互いの顔を見てアッハッハと笑い、がしっと握手して、あくまであっさり終了したのである。不思議なもので、著者と訳者の性格は似てしまうようだ。ワハハと笑いつつ、あっさりとした対面を果たした我々は、その日行われる予定のイベント会場へと、ズンズンと向かったのである。
一日目のイベントは、参加者が130人超と大変多く、挨拶させていただくだけであっという間に時間は過ぎていった。あまりの熱気に、最初の30分で化粧はすべて流れ落ちた。著者は、参加者のみなさんから手渡されたプレゼントや手紙に感動して、何度も涙を流した。そんな彼女の姿を少し離れた場所から眺めつつ、なんだかうそみたいだと思っていた。なにせ、当日早朝、滋賀県から東京に来たばかりの私にとっては、もうほとんど夢のなかの出来事のようだったのだ(今ならわかる。あの瞬間に立ち会えたのは、翻訳者冥利に尽きるできごとだった)。その他にも、季刊誌「考える人」の連載で挿絵を担当して下さったイラストレーターの風間勇人さんや、普段お世話になっている仕事関係者のみなさんにお礼を伝えることができたのも、とてもうれしかった。
二日目のイベントは、大変な熱気だった。参加者のみなさんとの距離が近く、より熱を帯びた、様々な感情の行き交うトークとなった。料理ができないことで人生に自信を失っていた女性たちが、勇敢な料理人へと成長するキャスリーンの物語を読み、登場人物の葛藤に、自らの料理に対する複雑な思いを重ね合わせた参加者の方が多かった。涙ぐみ、著者に感謝を伝えるみなさんの姿を見ながら、一冊の本の力を思い知らされたようだった。「私が本当にやりたかったのは、こういうことだったの。まさか日本で私の夢が叶うなんて」との、著者の言葉が印象的だ。私にも、「いままでずっと、読んでいました」、「うちにも同じぐらいの年の子どもがいるんです。連載、楽しみにしています」と、多くの方々が声をかけてくれた。自分の文章がこれだけの人に読まれ、そして支えられてきたことに驚き、感激した。一冊の本を作りあげるには、多くの人間の協力と熱意が必要だけれど、なにより、その本を手に取り、ページを開き、読んでくれる読者がいるからこそ、私たちはこうやって本を作り続けることができる。そんな読者のみなさんに会うことができて、直接感謝を伝えることができて、これ以上うれしいことはない。そんなことを思った二日間だった。
さて、私の留守中にわが家がどのような状態だったのかをお知らせしようと思う。帰りの新幹線の中で、家で待つ夫に「もしかして部屋が汚いんじゃないの!?」と冗談でメールを出した。すると、大まじめに「すごくきれいに片付いてるよ」と返ってきた。あら、めずらしい……と思いつつ、「子どもたちはちゃんと学校に行った? 忘れ物のチェックしてくれた?」と書くと、あっさりと「全部やった」と返事が。ふぅん、そうだったの……と、少し拍子抜け。やっと帰って来てくれたのか、助かった! というような返信が来るとばかり思っていたのに、なんだか様子がおかしい。
やっとのことでわが家に到着すると、なんと家の中が隅から隅までピッカピカに片付けられていた。キッチンシンクには、一枚の皿も残されていない。掃除機がきれいにかけられ、洗濯物が畳まれ、冷蔵庫の中はすっかり整理整頓されていた。全然できない人だと思い込んでいた夫は、やればできる子だったのである。しばらくして下校してきた息子たちに「ママがいない間、どうだった?」と聞くと、「たのしかった! パパがずっと遊んでくれたし、勉強も見てくれたし、映画大会もしたし、最高やったで!」との答え。ふぅん……。唯一私の帰宅を大いに喜んでくれたのは、愛犬のハリー号で、帰宅して以来ずっと、私の側を片時も離れようとしない。
わが家の男子は、なかなかどうして優秀だった。子どもたちを置いて東京に行くなんて絶対に無理だと思い込んでいたのは私だけで、彼らはもう、十分、育っていたのだ。いままで行きたくても行けなかった場所、やりたくてもできなかったこと、ゆっくりではあるけれど、挑戦しはじめようと思う。もう大丈夫、私はもっと自由に動き回ることができるはずだ。待っていて、東京。またすぐに戻るから。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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