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村井さんちの生活

 去年の夏は、「息子達の夏休みに合わせる形で仕事の調整を済ませていたこともあって、私自身も心に若干の余裕を持って夏を楽しむことができた」なんて涼しい顔で書いていたようだ。今年の夏休みは、去年とは打って変わって、琵琶湖で優雅に息子たちを泳がせるなんてことは一切できていない。息子たちの夏休みの宿題を見てあげることもままならない状態だ。夏休み? バケーション? 一体なんのことでしょうか?

 この夏の私は、ただひたすら、家事の分担で揉めるアメリカ人夫婦の葛藤の日々について訳し、国家の安全を脅かす下痢について調べ、人間をやめてヤギになろうと奮闘した男の物語を推敲している。子どもたちに声をかけられても、右から左に流れていってしまう。申し訳ないとは思いつつ、あまり手の込んだ食事も作ってあげることができていない。心にも時間にも余裕がない。ふと気づけば、子どもたちの夏休みも折り返し地点を過ぎた。どうしたらいいのだ。

 例年より若干長めに夏休みを取った夫が私の窮状に気づいたらしく、家事、育児をできる限り請け負うと言い出したのが八月上旬のことだ。先日私が家を留守にした二日間で、どうやら家事にハマったらしく、「今年の夏は俺にまかせろ」とついに立ち上がったのだ。当然、私は歓喜の声を上げた。これで仕事が進められる。あと少し頑張れば、長くて暗いトンネルから抜け出すことができる。これぞまさしく千年に一度の奇跡! 全米が泣いた! と褒めちぎったため、夫はますますやる気になったようだった。

 食事が済むと、夫はさっとテーブルから立ち上がり、皿を洗いはじめる。私なんて汚れた皿が何時間シンクにあろうと別に気にもならないが、夫はそうではないらしい。すべてきちっと洗って、ふきんで拭いて(!)、食器棚にすべて戻す。普段から私よりは主婦力が高いとは思っていたが、ここまでとは驚いた。それだけではない。夫は連日、朝早くから犬と子どもを連れて琵琶湖に行き、泳がせ、私がある程度静かな環境で仕事ができるように配慮してくれたのだ。そもそもアウトドアタイプの夫なので本人も楽しんでいるだろうが、なにより息子たちが喜んだ。「パパと遊ぶのは楽しいわ、だってママみたいに、あれやるな、これやるなって言わへんし」とご機嫌だった。

 しかし、夫の家事・育児全面請負宣言から数日経過した頃から、雰囲気は怪しくなっていった。夫がブツブツとなにやら言いはじめたのだ。

「ここの棚だけど、なんでもっと整理しないの? それからシンクの下だけど、これも効率悪いなあ…」

「冷蔵庫の中のソース類だけど、一箇所にまとめない? スペースが無駄になるし」

「野菜室に小麦粉? 意味がわからない」

 キーボードを叩く指がプルプル震えそうになるのを必死にこらえつつ、我慢した。だって夫は夏休みを返上して、家事をほぼ100%、負担してくれているのだ。それに去年訳した本には、夫が家事を手伝ってくれたら、妻は自分のやり方を押しつけず、まずは夫に自由にさせるのが吉だと書いてあったではないか。「仕事がある程度片付いたら、まとめてきれいにしていくから」と努めて明るく答えると、夫はまたかといった表情で「…俺がやった方が早いね」と言ったのだ。

(私の中のもう一人の私)「ダメよ、何も言っちゃだめ! だって彼は一生懸命手伝ってくれているんだもの!」 

(私)「大丈夫、わかっているわ。彼は家の中が効率的に動くように考えてくれてるのよね?」

(私の中のもう一人の私)「そう、その通りよ。だからあなたは仕事に集中するの。いい?」

(私)「うん、わかった…」

と、こんな会話が頭のなかを駆け巡り、私はなんとか我慢することができた。夫には笑顔で、「片付けしてくれてありがとう」と伝えた。いつもだったら猛獣のように反撃する場面だが、なんとか心を静めることができた。とにかく、今は仕事が先だ。なにより、夫は夏休みを返上して…(以下同文)。

 しかし、この翌日、とうとう私は夫に爆発した。きっかけは、夫がぽつりとつぶやいた、「きざみ(ねぎ)メガ盛り…? こんなの買うんだ?」という言葉だった。キーボードを打つ手がピタリと止まって、がばっと夫の方を振り返って、大きな声を出した。「買うよ! だって便利だもん! 葱をきざむのって面倒なんだよ! このきざみ葱で助けられている主婦が全国に何万人いるか、あんた知ってんの!?」 途中から自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。しかし、一旦出はじめた言葉は止まらない。夫は私の突然の反撃に驚きつつ、「商品名を言っただけなんだけど」と困っていた。その日は意識を失うまでチューハイを飲んだ。

 仕事のストレス、子どもとあまり過ごしてあげることができていないことへの罪悪感、その他いろいろがどっさりと両肩に乗っているような気分だ。それなのに、子どもたちは「今年の夏は、ダラダラしてていいなぁ~!」と上機嫌だ。「パパはうるさくないし、映画も見せてくれるし、最高や~!」と、いうことなのである。そうか、いや、そうなのかもしれない。今まで私が感じていた夏休みの子育てに関する焦りのようなものは、すべて杞憂だったのかもしれない。毎日せっせと遊ばなくても、彼らだってきっと、何もしない時間を過ごしたいのだ。なんだか急に気が楽になり、平常心に戻ることができた。今年の夏はすべて夫に任せた。時々出るつぶやきは気になるけれど、その仕事っぷりは素晴らしいものだ(キッチンも、子どもも、犬も、ピッカピカ)。

 さあ、仕事も残すところあと少しだ。最後まで走り抜くことができるだろうか。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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