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安田菜津紀の写真日記

2020年1月14日 安田菜津紀の写真日記

生き延びるため、描き続ける 「イスラム国戦闘員」たちの刑務所から

著者: 安田菜津紀

独房で絵を描き続けるイラク出身の収容者。

 冷え切った鉄格子を押すと、ぎいっと鈍い音が薄暗い廊下に響いた。更に奥の鉄扉を開けようとすると、監視兵が私に改めて釘を刺した。「囚人たちにこの二点は絶対に言わないように。バグダディが殺害されたこと、トルコがここに攻めてきたこと」。外部から完全に遮断された環境で、バグダディ殺害の情報は囚人たちを刺激し、彼らを“管理”する側がトルコに攻撃されたことは彼らを勢いづかせるから、と。
 シリア北東部ハサカ県、ここはクルド人を主体とするSDF(シリア民主軍)が管理する刑務所だ。ここにはアジアから欧米まで、様々な国籍のIS戦闘員だったとみられる男性たちおよそ5000人が収容されている。
 鉄扉を開けた瞬間、すえた臭いが鼻をつく。汗や薬品、腐りかけた食事やトイレ、あらゆるものが混ざった、嗅いだことのない臭いだった。学校の体育館ほどの空間に、男性たちが所せましと横になったり、体を起こして空を見つめたりしている。うつろな目の者、うまく感情の読み取れない笑みを浮かべている者、諦めきった様子で下を向いている者、彼らの間に異様な静けさが漂っていた。この部屋は体調不良を訴える人々のためのもので、別棟の雑居房は更に過密を極めていた。恐らく全員が横になることさえ困難だろう。
 この雑居房から抜け出し、たった一人、独房での生活を許されている男性がいた。隣国イラク出身だという男性は、30代にしては白髪が目立ち、顔も老け込んで見えた。元々絵描きだったという彼は今、この刑務所の管理者であるSDFの「主張」を描き続けている。トルコに子どもたちが攻撃される様子、トルコが後ろ盾となった武装組織に殺害されたクルド人女性政治家や女性兵士の肖像。「この暗闇がISの思想です。手を伸ばしているのは私、そして闇から出るための鍵は、SDFです」。繊細に描かれた鉛筆画について、彼は静かに語った。生き延びたい一心で、まるで蜘蛛の糸をつかむような思いで描いたのかもしれない。
 彼は決して、自分が「戦闘員」だったとは言わない。他の収容者たちがそうであったように。飽くまで市民として生活を続けていたのだ、と。ただ、彼がイラクに送還されれば、簡易な手続きで死刑判決を受ける可能性は大いにある。彼が行く末は、あまりに脆いものに思えてならなかった。
 トランプ大統領は高らかに、ISに対する勝利を謳った。まるで全てが終わったかのように。そして送還の先行きも決まらないまま、多くの収容者たちがまた、置き去りになった。

彼が描いた一枚の絵。伸ばした手の先に、鍵が描いてある。
君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

安田菜津紀

2016/04/22発売

シリアからの残酷な映像ばかりが注目される中、その陰に隠れて見過ごされている難民たちの日常を現地取材。彼らのささやかな声に耳を澄まし、「置き去りにされた悲しみ」に寄り添いながら、その苦悩と希望を撮り、綴って伝える渾身のルポ。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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