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私、元タカラジェンヌです。

2021年10月26日 私、元タカラジェンヌです。

第5回 風馬翔(前篇) 踊りは生き様――誰かの心を動かす踊りがしたい

著者: 早花まこ

「魂のダンサー」その素顔

 人にはそれぞれ、苦しい時に向かう場所がある。海を見に行くか、賑やかな街へ出るか、行きつけの店か、話を聞いてくれる友人の家か。晴れやかな喜びの時だけではない、どん底にいる自分をも受け止めてくれる場所。

「人生で一番苦しかった時、私はお稽古場に行きました」

 公演の開演前、そして終演後も、彼女はダンスのレッスンに通った。

 休日だけではなく公演のある日もレッスンへ足繁く通う、彼女のような人は滅多にいなかった。珍しがられるのが嫌で、人目を避けてこっそりとダンススタジオへ足を運んだ。疲れているからといって、公演中もレッスンをやめることはなかった。舞台に立つためのウォーミングアップ、公演後のクールダウンも、リラックスタイムでさえ彼女に必要だったのは「ダンス」だった。

「悲しいことがあった時も、鏡の前で踊ると心が救われました」

 どんなに心が打ちのめされていても、ステップをひとつ踏み出すだけで、彼女は踊りの世界に入っていくことができた。踊れば、いつも魂が震えた。

「私にとって踊りは、喜びであり悲しみでした。お稽古場は私を強くしてくれる、優しくしてくれる場所です」

 踊りは、彼女にとって、あらゆる感情の表現だった。踊りなしでは生きられないというほど、なくてはならないものになっていた。

 広い世界をまだ知らなかった10代の頃、すでに彼女は「踊り」に生きることを決意していた。それ以来、ひとときもダンスから離れたことはない。

 どうしてそんなに、踊りを信じられるのか。踊りに人生の全てを注ぐことができるのは、なぜか。

 その理由を語り出した彼女は、「魂のダンサー」という厳しく張り詰めた糸のようなイメージとはかけ離れていた。柔和な笑顔と、親愛の情に満ちた佇まいは、たちまち周囲をほっこりとしたムードで包んでしまう。なにしろ彼女は、驚異的に親しみやすい人物なのだ。

 (ふう)()(かける)さん。あんなさん、かける先生などの呼び名を持つ彼女は、京都府長岡京市の出身だ。在団中は常に優秀な成績を保ち、(そら)(ぐみ)の実力派男役として活躍した。表現力豊かでパワフルなダンスだけではなく、歌や演技でものびやかな個性を発揮して、舞台で存在感を示した。

 2018年に宝塚歌劇団を卒業した後は、ダンスのインストラクターや、数多くの舞台で振付や振付助手を務めるなど幅広く活動している。

自分を追い込み、有言実行

「私は目標を決めると、周りの人たちに宣言してしまうんです。それも、かなりたくさんの人たちに」

 その目標を叶えた時、思いがけないほど多くの人から「あの時言っていたことを達成したんだね」と祝福されて驚く。本人は周囲に宣言したことなどすっかり忘れているので、

「なんで知ってるんですか!?って。いやいや! 自分で喋ったから、みんなが見守ってくれてたのにね」

 笑いを収めると、少し真剣な顔で彼女は言った。「みんなに宣言して逃げ場をなくすことで、目標達成に邁進できるのかもしれない」と。

 そんなふうに夢へ突き進む勢いは、宝塚受験を決めた少女の頃から変わらないのだと、風馬さんは懐かしそうに振り返る。

 元月組のトップスターである(だい)()()()さんの大ファンだった母の影響を受け、幼い頃から宝塚を観劇していた。「宝塚に入れば、歌と踊りだけをやって暮らせる」という母の言葉に魅力を感じた彼女は、勉強よりも芸事に興味を持っていった。

 宝塚歌劇団に入団するためには、合格の平均倍率が約25倍という難関を突破して、宝塚音楽学校に合格しなくてはならない。小学校1年生の時からバレエを習っていた風馬さんは、中学生になると宝塚受験を見据えてジャズダンスのスタジオにも通い始めた。他の受験生と一緒にレッスンを受けたものの、ライバル感情剥き出しの女の子たちの雰囲気が怖くて仕方がなかった。それに、受験のためのレッスンでも「踊る喜び」がより先走る風馬さんは、

「先生からは、『野原の中、裸足で踊ってるんじゃないのよ!』ってよく叱られました」

 マイペース過ぎる彼女の姿が、目に浮かぶようなお小言だ。

 子供の頃から、兄二人と競い合うように大盛りのご飯を平らげていた風馬さんは、学校の友人たちに特大のお弁当箱を笑われていたそうだ。よく食べたおかげで172センチメートルという長身に恵まれたが、自分は娘役になれると信じ込んでいたという。

 宝塚では、身長の高さによって男役か娘役かが決定する。

「私、ドレス着れるやろ!って思っていたんですが、全然違いましたね……」

 あっさりと娘役を諦めた風馬さんはひたむきにレッスンに励み、初めての受験で見事に合格を勝ち取った。

 2年間の音楽学校での授業や寮生活を通して、生徒は芸事と上下関係の厳しさを叩き込まれる。慣れない団体生活に戸惑いながらも舞台に立つ日を夢見て、毎日を必死で過ごすものだ。しかし風馬さんは、宝塚音楽学校生としては極めて稀な転機を迎える。

そのダンスには「宇宙」があった

 宝塚音楽学校では1年目の生徒を予科生、2年目の生徒を本科生と呼ぶ。予科生の時に見学した本科生のダンスの発表会で、とあるシーンに彼女は心奪われた。その時のことを語る風馬さんは、「うまく言えないのですが」と幾度も口にした。言葉にはできない、それは彼女の心の中に起きた奇跡だった。

 そのダンスシーンには、「振付師の先生が生み出した宇宙がある」ように感じたという。彼女にとって、まさに雷に打たれたような衝撃だった。

 この日以来、風馬さんの目標は、「スポットライトを浴びるスターになる」ではなくなった。

「私は、踊りで生きていく。それも、尊敬する師匠についていくんだと決めました」

 目標を決めたときの風馬さんほど強いものはない。師匠に認めてもらえるダンサーになるためならば、彼女はどんな努力も惜しまなかった。師匠を尊敬するあまり、毎朝音楽学校の窓から外を見つめ、師匠が出勤してきたらすぐに入り口に駆けつけドアを開けていたらしい。猪突猛進ゆえの、想像のはるか斜め上をいく行動には思わず笑ってしまった。

 2年間の学校生活を終えた風馬さんは、2008年に94期生として宝塚歌劇団に入団した。具体的な夢を見つけて2年間レッスンに励んだ彼女は、上から9番目という好成績だった。本人曰く「生まれ変わったように、真面目な努力家になった」姿には、ご両親も驚いたという。

 月組「ME AND MYGIRL」で初舞台を踏んだのちに、宙組に配属された。ここで彼女は、思いがけない壁にぶち当たることとなった。いよいよ挑んだ男役の踊りは、想像以上に難しかったのだ。

 女性が男性を演じるためには、立ち方や歩き方などあらゆる所作に、多くの訓練が必要だ。その上、男性らしい体型に見える衣装を着こみ、完璧な美を見せなくてはならない。ただがむしゃらに踊るだけでは、男役の姿勢も重心も崩れてしまう。舞台でスマートに踊る男役には、ひとつひとつの動きやポーズを計算し尽くすことが必要だと気がついた。

 それまでの風馬さんはいつも全力で踊っていただけに、それはとても不自由な動きに感じられたそうだ。憧れていたはずの男役のダンスを踊っても、彼女は「目一杯身体を動かせるラインダンスだけ、踊りたい」と思ったという。

「それに、当時の宙組で活躍していたのは、きらきらした王子様っぽい男役さんたち。私には似合わん! 入る組を間違えた……と思ったんです」

 お腹を抱えて笑いながら、途方に暮れた思い出を語ってくれた。

 私をはじめ、観客の記憶にあるのは、どんなダンスも踊りこなす男役・風馬翔だ。あのダンスからは想像もつかない過去だが、それから彼女はどのように変化したのだろうか。

それは動作ではない、生き様だ

 2009年に上演された博多座公演のショー作品「Apasionado(アパショナード) !!II」、風馬さんは研2(研究科2年のことで、宝塚では生徒の在団年数を「研究科○年」と表す)という若さで黒燕尾のダンスシーンに参加した。

 劇場全体が緊張感に昂る中、黒燕尾を着た男役たちが一斉に踊る。宝塚のレビューのフィナーレには、不可欠な場面だ。

 これには風馬さんが苦手だと感じた「不自由な踊り方」が多く必要なのだが、その振付を受けた彼女はまたしても雷に打たれるほどの衝撃を受けてしまった。

 公演の最下級生としてたくさんの雑務を担っているにもかかわらず、黒燕尾の場面の振付が終わった後2時間あまり、彼女は放心状態だったという。周囲の上級生は、さぞかし驚いたことだろう。

「全然できない。だから、面白い! これこそが人生だと思いました」

 それが、風馬さんの感想だった。

「たとえば『手を出す』という振り。それはただの『動作』ではなくて、踊る人自身の全てがそこに出る。『足を高く上げる』だけじゃなくて、それは生き様なんです。私はそれまで、そんな踊りをしたことがなかった」

 なんとかして伝えたいと、風馬さんはもどかしそうに言葉を選んで説明してくれた。彼女の身体と心にある感覚を他者に伝えるのは、とても難しいだろう。それでも、理解したい。そんなふうに魂を震わせる何かに、私も出会ってみたいと思ったからだ。

 男役として、どう踊るのか。博多座公演での体験をきっかけに、猛烈な勢いで研究を始めた彼女だったが、またしても苦心することになる。

 宝塚の魅力のひとつが、一糸乱れぬ群舞である。ダンスの技術があるだけでは、うまくいかない。それどころか、飛び抜けてダンスがうまい人は、全体の波を壊してしまうこともあるのだ。

 下級生の時は周りと揃って踊ることができず、よく叱られていたと彼女はため息をつく。背が高い上に人並外れた跳躍力を持っていたため、ジャンプする振りでは一人だけ遅れているように見えてしまった。しかし、そこで諦める風馬さんではなかった。

「高く跳んでも、着地のタイミングを必ずみんなと合わせる。踊りの波を揃えながら、いかに自分らしく踊るか、いつも考えていました」

 宙組にはすらりと背の高い男役さんが多く、ダンスの群舞もとてもダイナミックだ。長身の風馬さんでも上級生についていくのに必死だったのだが、

「背の高い人たちの中で埋もれないようにと頑張るうちに、自然と大きく踊れるようになったんです」

 自分は宙組に合わないのではと思っていた彼女が、いつの間にか、宙組でしか会得できない多くのことを学んでいた。宙組のスケールの大きさ、どんなことでものびのび挑戦させてくれる雰囲気が大好きになっていた、と語る。

ここが舞台のセンター

 風馬さんのお話を伺っていて、少し不思議に感じることがあった。

 多くのタカラジェンヌが抱く「目指した役や立場に到達できない悔しさ」……そういうことを、彼女は一言も口にしないのだ。

 それほどダンスに打ち込んでいたならば、一列でも前、目立つポジションで踊りたいと願ってもおかしくない。だが風馬さんに、そんな拘りはなかった。

「どこにいても、私にとっては自分の踊る場所が舞台の真ん中だったんです。だから、踊るポジションが気になったことはなかった」

 それは決して「自分が主役」というプライドではなく、むしろ正反対に、彼女はこう考えていた。

 1列目の端は、全体の額縁。前列にいる時は力みすぎずに。後列からは前に向かってエネルギーを押し出す。トップスターの近くでは、より呼吸を感じて……。どんな場面でも、彼女は自らの役割を理解して舞台に立っていた。

「宙組の出演者とお客様と、思いが通じ合っているなと感じられる時。そういう舞台は心地良いし、やりがいがありました」

 ファンの方からの「格好良い」という褒め言葉には、正直戸惑ってしまったという風馬さん。彼女が嬉しかったのは「楽しかったです」「笑顔になった」「舞台から伝わってくるものがありました」という言葉が聞こえた時だった。

「私は、誰かの心が動くのが好きだったのかも。お芝居も歌も、何をしても、観ている人に楽しんで欲しいなって、いつも思っていました」

「踊り脳」とは?

「踊りが得意な男役」と言われた自分は、決して身体的に恵まれたダンサーでも、はじめから飛び抜けた技術があったわけでもないと、風馬さんは言い切る。

「それに、精神的にも打たれ弱かった。緊張しやすいし、すぐ泣くし、失敗ばかり。よくぞ私はこの芸名をつけたなあって。風馬(かける)、本当に欠けてるよ。欠けまくりだわ!」

 コンプレックスを真剣に、でもおどけながら語る彼女に、取材の場は笑いに包まれた。自らも大笑いしながら、風馬さんは目を細めた。

「だからね、物凄くたくさんお稽古をしました。今もそうです。いつまでたっても私はできないことがあるし、その分勉強したいことがあるから」

 表舞台から制作する側に回った今、その思いはより強くなった。

「不器用だったから、踊りがうまくできない人の気持ちがめっちゃ分かるんです。こんな私だから、伝えられることがあると思っています」

 そして、自分は「踊り脳」だと、彼女は語る。心と身体から自然に湧き上がってくる表現が、風馬さんにとっては踊りだった。演技や歌に取り組むと緊張してしまうが、「これがダンスならどう踊るか」と置き換えてみるとうまくいく。たとえば、お芝居が好きな人は、振付を「お芝居ならばこう動きたい」と考えて練習すると表現しやすいということだ。

「私にとって踊りは呼吸、生きることですから!」

 そう語る彼女は、まさしく、今にも踊り出しそうな喜びを(たた)えていた。「呼吸」、「生きること」、それは比喩ではないのだ。息をするように踊る風馬さんが「育てて貰った場所」、それこそが宝塚の舞台であった。

後篇はこちら

風馬翔(ふうま・かける)
京都府長岡京市出身。元宝塚歌劇団男役スター。
宝塚卒業後は、ジャンルにとらわれない様々なダンスに挑戦し、振付師・振付助手として活躍。日本各地でダンスのワークショップを開催するなど、指導者としても精力的に活動している。
インスタグラム @kakeru_anna_dance

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana


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