たしかそのときも広島の山間部で買ったのだが、焼き米という加工食品を数年前にカナダでキャンプ生活をした際に食べたことがある。むろん現地でも食材は手に入るのだが、そこは山屋の用心深さで、手もとにある乾燥食品をいくつか持っていった。行き先の国立公園内にはひととおりの店が揃った小さな町があったので、数日に一度は山から町に出て、雑貨店で野菜や缶詰などを調達し、手持ちの食材と合わせてしみじみとキャンプしていた。
焼き米を使うのはそのときが初めてで、昔の干し飯、今のフリーズドライと同じようなものだろうとある日の朝ごはんのおじやにしてみた。買うときに店のおばさんが「お湯にひたしてもどった頃に塩をかけて食べるんです」と言っていたのだ。おばさんは焼き米が好きらしく、香ばしくておいしいから食べてみてと力説していた。お湯で戻すだけでは味気ないからと、お茶漬けのもとにつっこんだのだが、出来上がったそれを期待もせずに食べてみると、香ばしくておいしい。まるで焼きおにぎりのおじやを食べているみたいで、フリーズドライのお米よりもずっとおいしい。焼き米は餅米だから、焼き餅の香ばしさなのだ。その懐かしい味に、いきなり冬の日のお昼によく食べた海苔巻のお餅を思い出す。カナダの山奥で初めて食べた日本の山里の焼き米は強烈な印象を残した。
それで、先日広島の庄原で焼き米に再び遭遇したときは即座に購入してしまった。都会住まいでは、地方物産館の片隅にはあるかもしれないが、なかなかお目にかかれない貴重品なのだ。焼き米自体は古くから各地で作られていたが、作業に手間と時間がかかり、次第に作られなくなっている。作り方は完熟する前の青い餅稲を刈って、釜や鍋で炒り、臼で搗いて籾殻を取って精米するのが一般的で、焼き米というが炒り米と呼ぶのがより正確ではないだろうか。今は炒る前に一度蒸す場合もある。おやつがわりにそのまま食べたり、以前教わったように、お湯やお茶をかけてふやかし、塩や砂糖をふって食べる。
そして同じく庄原で出会ったのが、ほとぎである。ぱっと見は米菓子のおこしのようだが、中に赤や黄色のあられや黒豆、ピーナッツなどが混じっている。青のりがついているものもある。聞くとこの地域ではひと月遅れの桃の節句の時期に作られているお菓子で、餅米を蒸して油で揚げてひなあられや黒豆を加えたものに、砂糖と水飴と生姜汁を混ぜた飴をからめて作るという。四角や丸など形もまちまちで、いかにも手作りの味わいである。「ひなあられがお店に出ると買ってきて作るんです。このあたりの農家はたいてい餅米も作っていますので。でも結構手間がかかるので、今では孫に食べさせたいとおばあちゃんが作るくらいですかね」とお店の人は言う。ちなみにここでいうひなあられとは、お餅で作った餅あられのことである。
食べてみると、餅米の味がよくして、さくっとしているが、水飴で固めているせいか全体にねばりがあるのが特徴で、生姜味がポイントにもなっている。市販のひなあられをかさ増しするために作るのかななどと思ったが、むしろ餅米の軽さと飴の甘さが後を引く。白い砂糖衣のひなあられとは趣が異なるが、これもおいしい。お店では、おじいさんが懐かしがっていくつも買っていくとも言っていた。
その古めかしい名が示すように、米どころである広島県北部の各地域で昔から作られているひな菓子で、もとは餅米の玄米を炒ってはぜたものに餅あられや黒豆を混ぜ、砂糖や麦芽飴をからめていた。ほとぎの名は、古くは釜や鍋をほとぎと呼んだことが由来ではないだろうか。今は精米された餅米を使うので全体に白いが、昔は黒いお菓子だったはずだ。商品には黒い玄米ほとぎもあった。
そして色以上に大きな違いは、昔は餅米をそのまま炒って作ったが、今は餅米を蒸して軽く干してから油で揚げる点である。昔は油は貴重品だったし、餅米もくず米などを使ったが、今は炒るよりも揚げた方が手軽で、うまみがあって軽く食べやすいために変化したのだろう。生姜汁を混ぜるのも最近になってからのようだ。
さらに家庭によっては、くだんの焼き米を油で揚げて作るという。これはおそらく、餅米を蒸して干す手間が省け、味も昔の炒り米、焼き餅の風味に近くなるからではないだろうか。炒った餅米の味はどこか郷愁を帯びていて、人の記憶を瞬時に呼び覚ます味だということは、私もカナダで実証済みである。幸い手もとには焼き米があるので、少しだけ揚げて砂糖がけするのもわるくないかなあとか、いややっぱり、ふやかして塩入りおじやにしようかなあとか、考えて楽しんでいる(実は今も二、三粒つまみながらこの原稿を書いている)。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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