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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 長島は熊本から鹿児島にかけて連なる天草諸島のひとつで、島々のいちばん南にあって、天草と九州本土を橋でつなぐ島である。長島へは天草上島、下島と車で旅しながら南下し、下島の牛深港からカーフェリーで渡った。その日は一日あいにくの雨で、船を利用する人も少ないのか、乗降口を大きく開けて待っていた、最終便一本前のフェリーに乗り込む車は数えるほどだった。

若菜晃子「おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子」雨の海峡と赤巻(鹿児島)
雨の夕方のフェリーの船内は静けさと少しの緊張感が漂っていた。天草諸島と九州本土を結ぶ片道約40分の船便は地域交通の要諦でもある

 広い船室も空いていて、船尾を向いた展望席を選んで座ると、船はじきに橙色の灯りをぼんやりとともした桟橋を離れ、長島海峡へと入っていった。大きな窓から見える海原は灰色で荒れていて、時折どうんという鈍い音を立てて大波が船に当たってくる。大きく上下するその揺れは、今乗っているこの船が大波の上に乗り上げて、また下りているのだろうことを、じかに体で感じるほどのものだった。

 雨粒は海水と混じってひっきりなしに窓に当たっている。けれども不思議と水音はなく、どうんという大波が当たる音が響くだけである。座礁したりしないだろうね、まさかこの海峡を数え切れないほど往復して、海のどこになにがあるかを知り尽くしている船なのだから、これしきの悪天はなんでもないだろう。熊本と鹿児島が肥後と薩摩と呼ばれていた時代、いやおそらくその前から、人々が往来している航路なのだから。

 やがて船は荒波を逃れ、黒々と濡れそぼった木々に覆われた岬の間をゆっくりと航行し始めた。晴れていたら、夕暮れの光に満ちた穏やかな海の景色だったろうに、しかしこの光のない、さびしい灰色の霧の立つ光景が、かえって脳裏に染みつくようである。

東シナ海に通じる長島海峡を無事渡り、小島の浮かぶ静かな湾内に入ると、入り江に小さな蔵之元港が見えてきた

 乗客にもそれとわかるほど慎重に進んで、船はようやく蔵之元港に接岸した。再び口を開けた船内から地上に戻り、島の西岸を走っていく。雨はまだ降り続いている。宿は長島を黒之瀬戸大橋で抜けた出水(いずみ)にとっているので、島は通過するだけなのだが、それでは味気ないからと、海に面した道の駅に立ち寄った。

 ポテトハウスという名称からも察するに、長島はジャガイモの名産地のようで、ビニール袋に入ったさまざまな種類のジャガイモが山積みになっている。旅先でなかったら買いたいような珍しい品種も並んでいる。そんな無骨なジャガイモだらけの片隅に淡いピンク色をしたロールケーキが置いてあった。赤巻といって、あんを包んだカステラ巻の外側をピンク色の薄い求肥でくるんである。こしあんを巻き込んだカステラの姿が、愛媛松山の銘菓一六タルトに少しばかり似ているが、なんといってもピンク色の求肥巻が独特だ。天草の牛深から長島にかけて昔から作られているお菓子で、今でも島内で三軒ほどの菓子店が作っているそうだ。ひとりで店番をしていた若い人は、子どもの頃はあんまり好きでなくて食べませんでしたけど、今は食べられます、意外とおいしいですよと話してくれた。最近はさまざまな味ができて、回りの求肥が白で中がサツマイモのあんもある。

餅粉に砂糖と水を加えて練って伸した求肥でくるまれた赤巻。中の生地は甘さも固さもカステラとスポンジケーキの中間

 求肥が薄く、いちばん淡い色の赤巻を抱えて、降りしきる雨のなかを走って車に戻った。カステラもあんも控えめで、求肥のやわらかな食感がアクセントになって、洋風のロールケーキというよりは和風のカステラ巻だが、和洋折衷の加減がほどよく、九州北部に伝わる南蛮菓子の流れをどこか感じさせるお菓子である。

 特別な味というわけではないのだが、今でもときどき、天草のあの雨の日の海の灰色とともに、淡いピンク色のお菓子を思い出すのはなぜだろうか。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。今春『東京甘味食堂』を講談社より文庫化。

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  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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