シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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お坊さんらしく、ない。

 恐山にいると、地元の学校などから、学習や行事に協力するよう求められることがある。

 先だっても、知り合いの先生から電話があって、

「〈総合学習〉の一環で、恐山を調べたいという生徒がいるんですが、協力してくれませんか」

 その日は恐山にいるので、境内を案内して質問に答えることくらいはできると言うと、当日、先生に引率されて10人くらいの生徒さんがやってきた。

 さすがは、「学習」で来ているので、下調べがしてあるらしく、案内する私の話を熱心に聞いてくれ、質問も的確で、感心してしまった。

 その案内が終わりに近づいた頃、それまで列の最後尾にいた先生が、いつの間にか追い付いてきて、肩が並んだ私に話しかけてきた。

「南さん、お忙しいところ申し訳ないが、最後に生徒たちに何か少し話をしてくれませんか。元気そうに見えても、やっぱり色々抱えている子も多いんです。家のこととか、友達関係とか。何か励ましと言うか、きっかけになる言葉をかけてくれませんか」

「だったら先生、話をぼくに全部任せますか? ぼくは夢だの希望だの、努力は報われるだの、前向きのことは一切言いませんよ。子供の頃、それこそ夢も希望も枯れ果てたような中年オヤジが、卒業式なんかで押しつけがましい訓示を垂れるのに、ホトホト辟易してきた自分です。本当にそうだと思ったことしか言いません。それでよいですか? その後どうなっても、僕は一切責任をとりませんよ」

 すると先生は即座に、

「それで結構です! 言いたいことを言ってください!」

「では、」と始めたのが以下の話である。

「生きているだけで大仕事」

 ぼくは、「生きていることは素晴らしい」なんてことは、決して言わない。そう思う人は誠に結構で、実際、楽しく嬉しく愉快な人生を送っている人は、実にめでたい。ただ、こういう人たちは、仏教などどうでもいいし、仏教の方も、彼らはどうでもいい。

 仏教が手を伸ばそうとするのは、苦しくて切なくて悲しい思いをしている人たちで、その人たちのためだけに、仏教はある。もちろん、今は楽しく愉快にやっている者も、いつか一転、苦しさに喘ぐこともあるかもしれない。その時は、仏教が役にたつこともあるはずだ。

 しかし、多くの人たちは、喜怒哀楽は様々でも、おそらくは、いろいろなことを背負って、愉快なことよりつらいことが多い日々を生きているだろうと、ぼくは思う。だったら、仏教もそれなりに広く、世の中に必要とされるかもしれない。

 そもそも、僕たちは誰も生まれようと決心して生まれてこない。生まれたい時に、生まれたいところに、気に入った親を選んで、生まれたいようには生まれてこない。

 問答無用でこの世界に投げ出され、一方的に体と名前を押し付けられて、「自分」にさせられる。まさに不本意なまま、既に予め人生は始まってしまっている。これが重荷でなくて何が重荷と言うのか。もう生き始めた最初から、すでに大仕事になっているのだ。

 その重荷を投げ出さず、今まで生きてきた事実だけで大したものだ。ぼくは君たちが生きてきて、恐山に来てくれたことに深く感謝する。そして敬意を表したいと思う。

「無駄な時間は大切だ」

 もう君たちの年頃でも、「しなければいけない」ことで時間はぎゅうぎゅう詰めになっている。今しなければいけないことは、次にしなければいけないことに追われて、いつも「時間がない」、そう思うだろう。

 違う。時間はある。「しなければならないこと」に塗り固められて、見えないだけだ。

 だいたい、事の初めに「しなければならない」ことなどない。我々は生きる意味や目的や理由を知らない。それを知らされて生まれてこない。それを納得して、生まれたいと思ったわけではない。そして、何かの役に立つために生まれてきたのでもない。生まれてきたら、役に立つこともあるにすぎない。ならば、最初に「生きなければならない」確かな意味も理由もあるわけがない。

 これを言い換えれば、我々の人生の土台にあるのは、意味ある時間ではなく、無駄な時間である。役に立たぬ、無駄な自分である。我々はその無駄を発見し、無駄な時間を作るべきなのだ。「〇〇のため」の時間を解凍して、すべての「ため」を流してしまう。そういう「無意味な」時間こそが、我々の「始め」にはあったのだ。

 私が尊いと思うのは、その「無駄」を敢えて受け容れる者である。受け容れて、意味を自前で作ろうとする人である。あるはずだと錯覚した「意味」でスケジュールを切り刻んで走り回る人ではなく、そうではなくて、無駄で当たり前だと承知の上で、その人生を持ちこたえるために、あえて意味を創作する人である。無駄を受け容れて、無駄の上に意味をおいて、謙虚に考える人に、僕は強く共感する。

「適当に生きよう」

 では、無駄な時間を大切に、どう生きたらよいのか。適当に生きればよいのだ。

 ただし、これは考えも無しに場当たりで生きて行けということではない。

「適当」は「適う」ことであり「当たる」ことである。ならば、何に「適い」「当たる」べきなのか。

 それは、各々の「生きるテーマ」である。「夢」でも「希望」でもない。「テーマ」。

 自分は何を大切に、誰を大事に思って生きるのか、それを見つけ出し、はっきりさせることが、「適当に生きる」第一歩だ。

 自分の「適当」が分かれば、それ以外の余分は切れる。それまで「しなければならない」と思い込んでいたことの大半は、捨てられる。本来の「無駄な時間」が還ってくる。その時間を安易に塗りつぶしてはならない。埋めることを急いではならない。

「『仕方がない』も決心のうち」

 適当に生きていようといまいと、この世には自分の力ではどうしようもないことがある。自分の責任ではないのに、行く道を阻む、どうにもならないことがある。だったら、それは「仕方がない」と思い切るのだ。

 ギブアップするのではない。逃げるのでもない。とりあえずやり過ごし、切り抜ければよいのだ。そのためには、「なぜこうなってしまったのか」と過去にこだわり過ぎてはいけない。また、なんとか解決しようと執着してもいけない。

「仕方がない」は、「過去」と「正解」を捨てる決意なのだ。我々は人生を自分で始めなかった。つまり、「仕方なく」生き始めたのだ。ならば、これからも「仕方なく」生きていけばよいし、「仕方がない」という決心は、我々が生きるための大事なテクニックだ。

 受け容れ難いものを受け容れなければならない時、「仕方がない」と呟いて生きよう。それも確かな「勇気」なのである。

 ……などということを調子に乗って喋っていたら、おしまいに先生から、

「それ、色紙に書いてください」

 え? 色紙? 今言ったこと、学校のどこかに貼るの!?
 今まで何度後悔したことか、口は禍いの元。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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