慰めの言葉がパートナーを亡くした人を傷つけている!?
私の過剰反応かもしれないが、社会が死別者に向けるまなざしが私には痛かった。『没イチ』を上梓してから、幾度となく「夫が死んで、悲しんだ形跡がみられない」という声や、同じ死別体験をした方からも、「私は夫が死んで悲しくつらいのに、あなたはなぜ平然としているのか。ご主人がかわいそう」という言葉を投げかけられた。悲しい顔をせず、今までと変わりなく仕事に出かける私はひどい妻なのだろうか。
これは性格の問題だろうが、私は普段から、悲しい、つらいといった感情を見ず知らずの人や、親しいわけではない人に話すタイプではない。同じ体験をした人同士で、どっちが深く悲しんでいるのかを比較することに何の意味があるのか分からないが、夫が亡くなっても、講演や講義が入っていたのだから、私は自宅にひきこもるわけにはいかなかった。仕事に集中するには、思い出さないようにするしかなかった。なぜなら、私の専門は死生学で、葬送についての講演も多いからだ。「元気なうちにお葬式について家族と話し合っておくことは大切です」とか、「どういう終末医療を受けたいかを考え、家族と話し合いましょう」などという話を大勢の人の前でするには、「夫は突然亡くなったので、話し合う時間もなかった」などと思い出していては、冷静ではいられない。感情を心の奥底にしまうしかないのだ。
私の知人はがんの専門医で、妻が大腸がんで亡くなったが、病気が分かり、亡くなるまでの間、どんな気持ちで患者さんと接していたのだろうかと思う。平然と診療や手術をこなしていたように見えたかもしれないが、内心は気持ちが張り裂けそうだっただろう。気もそぞろでは仕事ができないので、診療中は妻のことを考えないようにしていたのかもしれない。
家族が亡くなって悲しそうに見えない、あるいは(知人がそういう批判を受けたのかは知らないが)妻が自宅で闘病しているのに、女の人とお店でお酒を飲んでいるなどと、人を批判するのは、間違っていると思う。夫を亡くしたばかりの女性は、街で買い物をするため、お化粧をして自宅近くのバス停でバスを待っていたら、「ご主人が亡くなったばかりなのに、お出かけするなんてねえ」と近所でうわさになり、それ以降、人の目が気になって出かけるのをためらうようになったという。
別の知人は、同居の舅のたばこの不始末で、就寝中の深夜に自宅が全焼し、向かいの家の人の助けを借りてパジャマで命からがら脱出したが、舅と姑は焼死した。近所からは「姑と舅を見殺しにした」と言われ、知人は二度とその土地には戻りたくないそうだ。夫が亡くなった後、この知人はひとりで姑や舅の世話をしてきたのに、だ。自宅も家族も一瞬にしてなくなり、茫然自失だっただろうし、どうすればいいのか不安な気持ちや悲しい気持ちでいっぱいだったろうに、近所の人たちから心無い言葉をかけられたのは、本人が泣いたり、意気消沈してみえなかったりしたせいかもしれない。知人自身も、「かわいくないと思われたのかも」と自己分析していたが、こんなことを言うような人たちと近所づきあいを続行するのは確かに無理だろう。
先ごろ亡くなられた上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン先生は、著書『心を癒す言葉の花束』(集英社新書)のなかで、死別を体験した人が聞きたくなかった言葉を9種類挙げている。それによれば、
- 「がんばろう」「がんばってください」
- 「泣いてはダメよ」
- 「早く元気になって」
- 「私にはあなたの苦しみがわかる」
- 「あなただけではない。もっとつらい人がいる」
- 「もう立ち直った?」
- 「時間が癒してくれるから大丈夫」
- 「先祖のたたり」「天罰だ」
- 「苦しまなくてよかったね」「楽になってよかったね」
だという。
一家心中で弟や母親を亡くした知人は、周りの人たちから死因や亡くなった時の状況を根掘り葉掘り聞かれることがつらかったそうだ。興味本位で聞かれていると思うと腹が立つだろう。
恋人を病気で亡くした友人や、新婚時代に夫と死別した知り合いは、「まだ若いからやり直せる」と口ぐちに言われたことで、深く傷ついたという。現在は二人とも新しい男性と人生を歩んでいるが、死別当時は、「新しい男性を早く見つけて」などという言葉を他人から一番言われたくなかったと思う。愛する人の代替えができるはずもないし、新しい人と幸せに暮らしている現在でも、亡くなった人のことを忘れることはないだろうから、「人生をやり直した」とは感じていないはずだ。
没イチの人の感情は不可解なんです
人によって傷つく言葉は違うだろうが、「しっかりね」「いつまでも泣かないで」「さびしいね」など、良かれと思ってかける安易な励ましや同調が、当人の救いになるどころか、ますます傷つけることになるということを私たちは知っておかねばならない。
私自身は、「かわいそうね」「さびしいでしょう」という言葉に反発したほか、ある人から「人生は分からないものですね」と言われたことにも傷ついた。なんとなく夫の死がバカにされたように感じたからだ。「(夫の異変に)もう少し早く気づいてあげられればねえ」「一緒に寝てたら、助かったのかも」という言葉も、私が見殺しにしてしまったのかとつらかったし、「子どもがいればよかったのにねえ」という、どうにもならないことを言われると、亡くなった夫が責められているように感じた。
もちろん、当の本人たちはそんなことを言ったことさえ覚えていないだろうし、ましてバカにしたつもりは一切なかっただろうが、心が狭いかもしれないが、私はいまだにこの人たちには気持ちを許すことができないでいる。普段なら何も気にならない言葉でも、死別という異常事態に直面した人には、心ない言葉に聞こえることがある。「『かわいそうね』と言ってムカつかれるなら、何て言えばいいのか分からない」と、人から何度か言われたことがあるが、同じ死別でも、亡くなり方や故人との関係性などによって、悲しみ方や受け止め方は人によって異なるので、こういう言葉をかけるべきというマニュアルはないのではないかと私は思う。
もちろん、誰かにかけられた言葉で救われたという人もいるだろうが、その場合であっても、最後は自分で悲しみやつらさに折り合いをつけて、前向きに歩きはじめるしかないのだ。私はいまだに、夫が亡くなったゴールデン・ウィークがやってくると、胸が苦しくなる。
さすがに今はもう、そんなことを思わなくなったが、死別後しばらくは、「定年退職したら……」という話をしている人に対し、「夫には退職後の人生なんてないのに」と、無性に腹が立った。「年金が少ない」と文句を言う人をみたら、「夫は20年以上も年金保険料を払っていたのに、一円ももらえない。払い損の夫に感謝して!」と勝手に怒りの感情がわいた。
一方、夫が生きていた時は、私の前をよたよた歩く高齢者がいれば、急いでいる時にはイライラしていたのに、死別してしばらくすると、「心臓が止まらずに何十年も動き続けているなんてすごい!」と、尊敬の気持ちをもつようになった。死別を経験した人の感情は本当に不可解だ。悲しくて涙がぽろぽろ出てしまう行為だけが死別者の特徴ではないし、悲しそうに見えないとか、悲しいと言わないからといって、悲しんでいないわけではない。
先日も、昨年に父親を亡くした友人から「悲しくなって、なんかくたびれた」というメッセージが来たので、一緒にご飯を食べたが、このように誰かに自分の気持ちを話したいという人ばかりではない。聞いてほしいと誰かにSOSを出すかどうかは、その人の性格にもよる。私は、その友人と違って、人に自分の気持ちを話したいタイプではないというだけだ。
夫を亡くした別の知人は、お葬式を終え、子どもや孫が自宅に帰っていった後、「お葬式よりも孫の世話が大変だったわ」と笑っていた。あっけらかんとしているが、悲しくないのではない。亡くなってまだ二週間足らずでは、お葬式や死後の手続きなどであわただしく毎日が過ぎていき、夫がいなくなった現実にまだ脳と気持ちがついていっていないからではないかと思う。
最高齢83歳!? コロナ禍のオンライン「没イチ会」がzoomでおしゃべりしていること
このように私が夫と死別して初めて感じた世間の視線に大きな違和感を持ったことも、同じ体験をした人たちで「没イチ会」を作ろうと思い立つきっかけになった。私は死別当時、第一生命経済研究所で研究員をしながら、2008年に立教大学が50歳以上の人たちを対象に、学びなおしなどを目的として創設した立教セカンドステージ大学で、死生学を教えていた。学生のなかには、夫婦で定年退職後の生活をエンジョイしている人たちも多いが、もちろん生涯シングルの人もいれば、離婚した人、死別した人、シニアで再婚した人など、さまざまな婚姻状況の人が集まっている。この立教セカンドステージ大学に通う死別した人たちだけで、2015年に没イチ会が誕生した。
ところで、大切な人と死別した人たちで、悲しみや体験を語り合う自助グループ「分かち合いの会」は、ずいぶん前からあちこちで開催されるようになってきた。
特に、周りの人たちに自死であることを言えずに孤立する遺族が少なくないことから、自死遺族を対象とする相談や支援窓口を設置する自治体も増えてきた。例えば北海道網走市では、市保健センターが主催するサポートグループがあり、分かち合いの会が毎月開催されているし、埼玉県所沢市や秩父市などでも保健センターや保健所が主体となって開催している。参加資格がある人は身近な人を自死で亡くした遺族のみだ。東京都内でも、全国自死遺族総合支援センターやNPOなどの協力で、港区、品川区、足立区、八王子市、日野市・多摩市、昭島市でも定期的に分かち合いの会が開かれている。匿名でも参加できるし、自分は発言せずに人の話を聞くだけでもよい。死別者といっても、自死遺族の会があることから、死因によっても遺族の感情や抱えている問題が異なることが分かるだろう。
こうした分かち合いの会と一線を画すのが「没イチ会」だ。分かち合いの会は自助グループではあるが、会を仕切る精神保健福祉士やカウンセラーなどがその場にいることが大切だ。私は死別体験がある死生学者だというだけで、心理学に精通しているわけでもカウンセラーでもないので、こうした会を主宰することは不可能だ。しかも前述したように、私自身は、会ったばかりの人に自分の気持ちを話すのは苦手だし、分かち合いの会に参加したいとも考えたことがなかった。悲しくつらい気持ちを分かち合うというよりは、そこから一歩前に進んだ人たちが、これからどう生きていくか考えるにあたって問題を共有したり、情報交換したりする会を作りたかった。だから会のサブタイトルは、「亡くなった配偶者の分も人生を楽しむ」だ。
コロナ禍で、これまで三か月に一度ほど開催していた没イチ会ができなくなったので、オンラインでみんなで話をすることにした。最高年齢は妻を亡くした83歳だ。彼は認知症の妻を看取った経験を持つが、地元の合唱サークルに入っている。zoomが使えるのかなどと心配したが、この男性はなんと、ここ数か月はオンラインで合唱の練習をしており、私よりもzoomをすでに使いこなしていたのだった。意欲的な生き方は今に始まったのではない。妻を10年近く介護し、看取って一か月後、たまたまテレビでみた没イチ会に興味を持ち、問い合わせたところ、立教セカンドステージ大学の関係者でないと参加資格がないことを知ったそうだ。するとこの男性、なんとその半年後に受験して、入学してきたのだ。没イチ会に入りたいために大学に入学したというのも変わった志望動機ではあるが、実際に入学してみると、30歳近く年下の同級生とニックネームで呼びあい、大学で新しい知識を得られるのが楽しいのだという。
いのちの電話の相談員になるために研修を受けている人もいれば、大学院を目指して受験勉強にいそしむ人もいる。みんな、配偶者との死別という悲しい経験を経て、前向きに生きようとしているのだ。だからといって、配偶者を忘れたわけでも、悲しくないわけでもない。
「今年のお盆はどうしますか」と質問してみると、「3月のお彼岸にお墓参りをしたからお盆はパス」と言った人がいるかと思えば、「オンラインで菩提寺のお坊さんにお経を読んでもらう」と決めている人もいる。「もう20年経ったから、法事はしないと決めた」という人もいれば、先の83歳の男性は、今年8月が妻の三周忌にあたるので、コロナが収まらない中、法事をどんな形ですればいいのか、思案中だ。
在宅が増え、みんなの家では食事はどうしているのかと誰かが質問すると、庭で家庭菜園を始めたという人や、食材を配達してくれるサービスを利用している人など、みんなで情報交換をする。子どもと同居する人もいるが、死別後、ひとり暮らしをしているメンバーも多い。またある人は、スーパーに行くのが気にならなくなってうれしいと話した。週末にスーパーに行くと夫婦や家族で買い物に来ている人たちが多く、その姿をみると、夫と死別した自分が惨めに思えて、週末はスーパーに行きたくないと前々から言っていた女性だ。コロナ禍で、家族の有無に関係なく、ひとりで買い物に来る人が増えたので、自分もひとりでも平気になったという。
在宅ワークで一日中自宅にいる夫がうっとうしいと、離婚を考える妻が増えているらしいというニュースの話題になると、「私たちには配偶者がもういないので、うっとうしいと思わずにすむね」と笑いあったり。何気ない話題のように思えるが、配偶者と死別し、ひとりになった者同士ならではの話題が多いのだ。
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小谷みどり
こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小谷みどり
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こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
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