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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

寄付のために見せ物になる孤児たちに涙腺崩壊

 初めてのカンボジアに5日間の滞在中、孤児院にも行ってみた。一人10ドル以上の寄付をすることを条件に、子どもたちがカンボジアの踊りや音楽を披露してくれる。その後、つたない英語で、自分が好きな食べ物や年齢など、一人一人自己紹介もしてくれた。その子どもたちの姿を見て、私は涙が止まらなかった。感動したのではない。なんだか気の毒になってしまったのだ。孤児が一生懸命に踊る姿を観光客に見せることが、寄付を集める手段に思えたからだ。
 カンボジアには孤児院がたくさんあるが、たいがいの孤児院では、子どもたちが訪問客に踊りを見せてくれる。しかし、カンボジアでストリートチルドレンたちに英語や調理を教え、美味しいレストランを運営するNGOのメンバーであるオランダ人男性の知人によれば、カンボジアの孤児院で暮らす子どもの大半は、いまや、内戦で両親を殺された孤児ではなく、片親か、両親に養育する経済力がない家庭の子どもだという。確かに、私が訪問した孤児院のスタッフも、ほとんどの子どもには親がいると話していた。
 彼のNGOでは、欧米の若者たちに、「カンボジアの孤児は見せ物ではないし、観光資源ではない」という呼びかけをしているが、孤児に仕立てられた子どもたちが住む施設は、世界中から集客や集金ができるのも確かで、そこがカンボジアの闇の部分でもある。私が訪問した孤児院では、寄付でもらったバイクや自転車が全員の子どもにいきわたっていたし、新入学生には、誰かのお古ではなく、真新しい制服が支給されていた。
 日本を含め、先進国からやってきた若者たちは、世界遺産のアンコールワット訪問だけでなく、せっかくカンボジアに来たのだからと、孤児院を訪問し、数日間から数か月のボランティア活動を通じて、子どもたちと交流したがる。私の同級生が教員をしている公立高校でも、数年前から、夏休みにカンボジアの孤児院へのスタディツアーを開催し、希望する学生を教員が引率している。こうしたスタディツアーやボランティアは参加が無料ではない。かわいそうな境遇の子どもたちのため、お金を出してまでも施設でボランティアをしたいという優しい気持ちの人たちが世界にはたくさんいる。これをボランツーリズムという。
 私もそうだったが、若いうちのこうした経験は、自分がいかに恵まれているのかを再認識する大きなきっかけとなる。しかし子どもたちからすれば、親が生きているのに一緒には暮らせず、施設では、遊んでくれる人や英語を教えてくれる素人のボランティアが毎日のように変わるのだから、ストレスにもなるだろう。
 インドに初めて行ったとき、道端で女性が赤ん坊を抱き、物乞いをしている姿をたびたび見かけ、心を痛めた。しかしある日、同じ場所を連日通ったら、前日見た女性が抱いていた赤ん坊が変わっていることに気づき、ショックを受けた。後でレンタルチャイルドなる闇ビジネスがあることを知った。見かけだけでは年齢は判断できないものの、皺だらけの女性が赤ん坊を抱いていること自体が、おかしいと言えばおかしいのだが、赤ん坊を抱えた女性が物乞いをしている姿をみると、多くの外国人はかわいそうにと、寄付をするのだろう。赤ん坊がいるのといないのとでは、寄付の金額に大きな差が出るらしい。
 これまで漠然と、アジアの貧しい家庭の子どもたちに教育を受けさせてあげたい、人生の夢を持たせ、夢を応援してあげたいと思ってきたが、プノンペンで訪問した孤児院で、いろんな新しい気づきを得ることとなった。

私が稼いだお金を、私が支援したい人に届けるには?

 孤児院訪問で、私は、自分のお金でできる範囲のことをしようと改めて思った。そもそも私がアジアの子どもたちを応援したいというのは、私の自己満足からくる発想だからだ。また「日本にも経済的な理由で進学できない子どもがたくさんいるのに、なぜアジアの子どもたちに目を向けるのか」という批判も受けたことがある。私が国民の税金を使って、外国の子どもたちを支援しようというなら批判は分かるが、私がこれまで稼いだお金で何をしようと、なぜ批判されるのか、私には理解できない。
 学生時代から10年間ほど、私は、途上国の子どもたちを支援する国際NGOに毎月、子ども一人当たり5000円の寄付に参加していた。そのNGOでは、スポンサーになった子どもと手紙のやりとりができた。私がスポンサーになったのは、エジプトの男の子とインドの女の子。年に二度ほど送られてくる手紙には英訳がついていて、感謝の気持ちや、勉強を頑張っていることが書かれていた。たまに子どもが描いた絵も同封されてきた。
 社会人になると、私は、その団体で手紙を翻訳するボランティアを始めた。日本人スポンサーが書いた日本語の手紙を英訳し、外国の子どもから送られてきた手紙の英訳を日本語にするというのが、活動の内容だった。会ったことのない子どもに対する温かい気持ちが日本人の手紙の文面から伝わったのに対し、向こうの子どもたちから来る手紙は、村のコーディネーターが書かせたのか、ほぼ同じ内容の文章が多かった。母国語→英語→日本語に翻訳されていくことへのもどかしさもあるが、途上国の子どもたちの未来のために寄付をし、手紙を書いているスポンサーの気持ちが、子どもたちにどれほど届いているだろうか、寄付金のうちいくらが、支援する子どもの教育のために使われているのだろうか、と疑問に思った。
 当たり前だが、NGOの職員の給料も捻出しなければならないので、寄付した5000円すべてが、スポンサーになっている子どもに使われるわけではない。しかし、同じ国の子どもから送られてくる手紙がどれもこれも同じ内容なのを知ると、私は興ざめしてしまった。受け取るスポンサー側は知る由もないのだが。
 その経験から、将来、自分で稼いだお金を直接、私が支援したい誰かに届けたいと思うようになった。私もこれまで死生学者として活動してきた経験上、一人の力で社会問題を解決できるとは思わないが、一人が小さなことからはじめれば、それが波及し、社会問題の解決の糸口につながる道筋をつけることはできるはずだ。
 さらに、お金をもらうビジネスモデルならきちんとプランをたてなければならないが、私は寄付をする側だ。人からみれば効率が悪く、お金をどぶに捨てているようなものだと思われるかもしれないが、自分のお金をギャンブルやブランド物に使おうと、誰かにあげようと、自分が満足しているならそれでいいではないか、と思うと、考えるより行動しようと、猪突猛進することに気が楽になった。

そうだ、パン屋をやろう! とその前に、カンボジアの食について

 最初の訪問で、フランスや韓国、シンガポールのチェーンのパン屋さんがあちこちにあることに気づいた。入ってみると、日本の街のパン屋さんと同じぐらいの値段で、菓子パンや総菜パンが売られていたが、一個300円(3ドル弱)するチョコレートクロワッサンを売る、在住外国人に人気があるおしゃれなブーランジェリーもある。でも市場の食堂では、菓子パン一個の値段で、スープ付きのチャーシューご飯が食べられ、おつりがくるほどだ。そう、パン屋さんで買うパンは庶民にとっては、ぜいたく品なのだ。
 一方、フランスパンに豚の内臓やパテ、酢漬けのパパイヤなどをはさみ、チリソースをかけた「ヌンパン」というサンドイッチを売る屋台はあちこちにあって、こちらはチャーシューご飯よりは若干高く、菓子パンと同じぐらいの金額で買える。おしゃれなカフェではもちろん、数百円するヌンパンを売っているが、腹持ちを考えるなら、チャーシューご飯か、屋台ヌンパンに軍配があがるだろう。
 ちなみに、ちょっとお金持ちのカンボジア人の話では、市場の安い食堂や屋台で出される肉は売れ残りの廃棄処分のものを使っているそうだ。カンボジアに限らないが、東南アジアの市場では冷蔵設備もない状態で、肉や魚が売られている。ハエがたかっているし、衛生状態が良いとはお世辞にも言えない環境だが、安い食堂では、どうやらそこで販売されている売れ残りを安く買い、食材として使用しているというのだ。私の行きつけの食堂で出されるチャーシューは、あまじょっぱい濃い味付けで、炭火でよく焼かれており、とても美味しい。市場では豚肉が100グラム60円近くで売られているので、値段と量を考えると、食堂では廃棄処分の肉を使っているのかもしれないが、私を含め、これまでお連れした日本からの来訪者は誰も、おなかを壊したことはない。
 余談だが、カンボジア人は肉を買ってきたら、必ず水洗いをしてから調理する。初めて見た時にはびっくりしたが、お客さんは自由にベタベタと素手で肉を触って、どれを買うかを決める。ただでさえ冷蔵保存されていない状態で売られているのに、誰が触ったかも分からない肉を売るなんて、日本ではちょっと考えられない。

市場の肉屋さん。お客さんは勝手に商品を触る
日本と変わらない値段で売られている菓子パン
私の行きつけの市場の食堂。卵付きチャーシューご飯、漬物、スープのセットが120円で、ほぼ1ドル

 食べ物といえば、カンボジア人は昆虫をよく食べる。コオロギは、市場でも屋台でもどこでも簡単に手に入るし、ガムシ(ゲンゴロウに似ている)、カイコのさなぎ、バッタなど、さまざまな種類の昆虫を食する。現地の人には昆虫は貴重なたんぱく源で、屋台で売られているものはピリ辛に炒めてあったり、素揚げされていたり、ビールのおつまみにはぴったりだ。
 プノンペンやアンコールワットのあるシェムリアップには、おしゃれな昆虫料理を出す外国人観光客向けのレストランもある。
 そもそもカンボジア人が昆虫やクモを食べるようになったのは、1970年代のポル・ポト政権下で、深刻な食糧難に見舞われたことがきっかけだとされている。今では、貧しい人の食料というよりは、スナック感覚で食べることが多い。タランチュラにいたってはむしろ高級品だ。プノンペンの高級店では下の写真にあるような昆虫料理は前菜の位置づけだし、タランチュラのから揚げは市場で買っても一匹1ドルほどする。前述したように1ドルあればご飯が食べられるので、いかにタランチュラが高級食材かがよくわかるだろう。20年ほど前までは、タランチュラはもっと気軽に手に入ったが、最近では森林伐採や乱獲の影響で、タランチュラの数が激減し、価格が高騰しているそうだ。

昆虫屋台
プノンペンのレストランで。手前はタランチュラのから揚げ(約600円)。向こうは、葉っぱに包まれたコオロギの炒め物、水牛の干し肉、カエルの足の盛り合わせ(約700円)

 カンボジアではカエルもよく売られているが、タランチュラと同様、高級品だ。市場では炭火で焼いたカエルの姿焼きがやはり一匹1ドルで売られている。食べるところは少ないし、骨が小さくて食べにくいが、鶏肉のような食感で、香ばしさもあり、私の好物だ。私の店のスタッフにとっては高くて自分では買えないが、私がカンボジアに来た時だけ食することができる御馳走だ。プノンペンには、カエルのおかゆ専門店があちこちにある。私がかつて住んでいたシンガポールでも、カエルはおかゆにするのが定番だった。
 地方に行くと、自宅の庭でカエルを養殖している家をちょくちょく見かける。バスタブのようなものの中で飼育しているが、結構いい商売になるそうだ。

市場で買ったカエルの炭火焼き

 カンボジアでは雨季になると、激しいスコールが降る。プノンペンに店を構えてしばらくしたある日、スコールが止んで、店の敷地にあるプールをふと見たら、びっくりするほどの数のおたまじゃくしを発見した。いつの間にか、カエルがプールに卵を産み付けたのだろう。普段、プールの水は抜かれてわずかな水たまりが残る程度だったが、激しい雨で水位が数センチほどになっていた。うじゃうじゃいるプール一面のおたまじゃくしを想像してみてほしい。びっくりして、私は「ギャアー!」と声を上げたところ、中からスタッフが出てきた。
「これ、掃除して!」と頼むと、なんとスタッフの一人が「カエルになるまで待ってはどうか」と提案してきた。「カエルのさばき方は知っているから」と、みんなが口々に言う。田舎の出身であれば、ほとんどの人はカエルを調理できるらしい。いやいや今、それは大事なことじゃないのだがと思っていると、「なぜおたまじゃくしを殺すのか。雨の恵みで産まれただけじゃないか」と言うスタッフまで現れる。
 そんな正論を言われると、「おたまじゃくしを処分してほしいと頼んでいる私は悪人なのだろうか」という自己嫌悪に陥りそうな気分になった。
 店の立地は、東京で言えば赤坂か六本木のような場所。そんなところで大量のおたまじゃくしを飼育するわけにはいかないことを説明し、みんなに納得してもらうのに、私は心がとても痛んだ。労せず高級食材が手に入ったのに、このチャンスをみすみす手放さなければならないという残念な気持ちも分かるが、なによりも、大量のおたまじゃくしの命を殺すのかと問われたことは、後味が悪かった。
 カンボジア人は昆虫を食べるからなのか、仏教徒で殺生をしないからなのかは分からないが、ゴキブリを怖がらない人が多い。ゴキブリを見つけて私がギャーと叫ぶと、みんなに鼻で笑われる。かわいい女の子が、手で捕まえて家の外へ放す姿をみると、こっちが卒倒しそうになる。田舎ではネズミも当たり前に食べるので、プノンペンの街中でネズミが走っていても、なんとも感じない人が多いようだ。
 カンボジアには1970年代のクメール・ルージュによる虐殺など、数十年に及ぶ内戦で今でも国内には地雷が多く埋まっており、この40年間で地雷や不発弾による死者は2万人近く、けが人は4万人以上もいるという。この地雷探知用に、アフリカから連れてきたネズミが活躍している事実もあり、カンボジアでは、ネズミのイメージが日本人と違って悪くないのかもしれない。
 わたしはかつて、仕事でラオスに何度か滞在したことがあるが、現地の人たちと飲食を共にしていたので、リスやネズミ、シロアリが日常食だった。郷に入れば郷に従う習性が身についている私は、「リスよりネズミの方が美味しい!」と感じるまでになっていた。とはいえ、食べ物を作る仕事をする以上は、ゴキブリやネズミは食料ではなく、駆除しなければならない。おたまじゃくし事件と同じで、「食べないのになぜ殺すのか」と仏教的な質問をされるといかにも業が深いみたいで困るのだが、食品衛生管理上放っておくわけにはいかない。そもそも衛生観念のないスタッフに、清潔とは何か、から教えなければならず、納得してもらうのは至難の業だった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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