小北駅を降りると、道行く人々の多くがアフリカ人だ。ここは、中国の広東省広州市。二〇〇〇年頃から中国に様々な商品を買い付けに向かうアフリカ系交易人達が急増し、広州市のこの辺りはアフリカ系の人口が多いため、チョコレート城の別名をもつ。
私は二〇〇〇年からタンザニアの零細商人の商慣行について研究している。現在は、香港中文大学に客員教員として所属し、中国に向かう交易人達が滞在する香港の重慶大厦(チョンキンマンション)で調査をしている。重慶大厦のアフリカンバーでタンザニア人の交易人達と話していると、ジョニー(仮名)が、今日の最終便で広州に行くので、君も広州に遊びにおいでよという。
広州にいる交易人達も友好的だ。スワヒリ語で話しかければ、すぐに親しくなる。ジョニーとの待ち合わせ場所で偶然に知り合ったタンザニア人夫婦に明日家にお昼を食べに来なと誘われた。一緒に食材を選ぼうと付近の市場に行くと、懐かしい匂いがする。タンザニアから直輸入したナマズの燻製だ。妻はいう。「中国の魚は養殖が多いのよ。でもこの魚はタンザニアの川で捕れた天然ものだから、おいしいわよ」。
彼らと別れると、ジョニーに再会し、ディナーに誘われる。彼は、二〇〇六年から頻繁に広州を訪れ、雑貨や電化製品をタンザニアに輸出している。彼の案内で向かった先は、「ボンゴ・ラウンジ」というカフェバーだ。「ボンゴ(頭脳)」とは、その時々の難局を知恵で切り抜ける人々の国「タンザニア」のニックネームだ。ジョニーはタンザニア料理に舌鼓を打つ人びとに「やあ、やあ」と挨拶して回り、厨房から出てきた女性と「少しやせたんじゃない?」「そりゃ生活が大変なせいだよ、なんてね。本当はジムに通い始めたんだ」と他愛もないやりとりをする。私は、ウガリ(メイズ粉の練り粥)とティラピアのトマト煮込み、タンザニアで最もポピュラーなメニューを選ぶ。値段は地元食堂の定食の二倍近くもするが、ジョニーは何てことはないと奢ってくれた。食事を済ますと、彼はこれからタンザニアの友人がサッカーの試合をするから見に行くんだと去っていった。
翌朝、地元のハラール食堂で中華粥を食べていると、アフリカ系女性の二人組が入ってきた。食堂を営む中国人女性を「ママ、ママ」と親しく呼び、片言の英語でやり取りしていた。運ばれてきたのは東アフリカのトマト煮込みだ。アフリカ人の常連客は誰もメニューをみない。食堂を経営する中国人も慣れたもので、簡単なものなら作ってくれるらしい。
『中国のアフリカ人』*を著した言語学者のアダムス・ボドモ氏は、広州にいるアフリカ人は異文化理解において中国との「橋渡し」機能を担っていると主張する。だが、彼らは基本的に保守的で、中国でも自国の料理を食べ、中国の文化に特に関心を持たず、ビジネス以外で中国人と関わらずに暮らしているようにみえる。「橋渡し」とはなんだろう?
ニュータウンの高層マンション群。その二十数階に夫婦は住んでいた。夫のリッチ(仮名)は、一〇年ものあいだ香港で様々な商売をし、一年半ほど前に中国本土に移住。いまは広州市でタンザニアへの輸送の手続きを担う倉庫を共同経営している。妻のアンジーは英語は流暢だが、中国語も広東語もほとんど話せない。だが特に不便はないし、ツボを押さえれば、中国での暮らしは自由で気楽なものだという。「お金のやりとり」では、当然油断ならないことがある。ちょっとした詐欺は日常茶飯事だ。だが彼女は、中国人は自分達の文化や生活に無関心だから暮らしやすいというのだ。
「郷に入れば郷に従え」。日本人の多くはこの言葉を実践しようと努力し、自国で暮らす外国人にも同じ努力を期待する。その期待が容易に抑圧的な同化主義に転化することにあまり敏感でないままに。そして互いの文化を深く理解しあえば、うまく付き合えるという「信念」を持ち、他者に対する無関心を「悪い」とみなしがちだ。だが、他者理解のハードルは高く、結局、他者との付き合い自体を敬遠してしまう。
中国のタンザニア人は、自分の都合で約束をすっぽかすが、偶然に予定があえば、知り合ったばかりの私を広州に誘い、ご馳走してくれる。彼らの歓待には無理がない。「無理」は、自身あるいは他者を理解しやすい対象としようとする時に起きる。互いに「理解」を過剰に課しあえば、他者をもてなす、他者にもてなされること自体が重荷になる。
彼らは自身を相手に深く理解させようとしないし、お互いに扱いやすい人間になることを期待しない。彼らの歓待は無条件で非設計的であり、それゆえに、誰に対してもどの機会にも開かれている。ただし、その歓待はその時々の「ツボ」を押さえて立ち回る機転とともにある。そのような彼らは、異文化「理解」を前提にしない方法で、確かに「橋渡し」しているのだ。
*Bodomo, A.(2012) Africans in China: A Sociocultural Study and Its
Implications for Africa-China Relations. Cambria Press.
(「考える人」2017年冬号掲載)
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小川さやか
立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。2011年に『都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』でサントリー学芸賞受賞。最新刊は『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)。(雑誌掲載当時のプロフィールです)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 小川さやか
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立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。2011年に『都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』でサントリー学芸賞受賞。最新刊は『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)。(雑誌掲載当時のプロフィールです)
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