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考える四季

2017年9月26日 考える四季

PTAは私にとって、いい修業の場でした

著者: 杉江松恋

 8:3。なるほどそうか、8対3なのか。
 これは何かというと、「読書メーター」における『ある日うっかりPTA』感想の男女比率なのである。
 読書メーターは本を読んだ人が自由に投稿できるサイトで、現時点では79の感想をいただいている(ありがとうございます)。性別不明の投稿者を除くと、女性が48で男性が19、だいたい8:3なのだ。これがそのまま読者の比率ではないだろうが、現実の分布と極端に違うこともないだろう。
 『ある日うっかりPTA』(KADOKAWA)は、私が今春に刊行した著書で、2008年から2011年にかけ、3期3年にわたって公立小学校のPTA会長を務めた体験記である。『うっかり』とついているのでおわかりかと思うが、私は理想に燃えて会長を引き受けたわけではない。フリーライターだから家にいるだろう、ということで頼まれ、根がおっちょこちょいだから無知なまま会長になってしまい、後から慌ててPTAについて勉強した、というのが実態だ。会長就任以前の私は、学童保育クラブの父母会にちょくちょく顔を出していて、保護者同士の交流を持っていた。そこは男女比がほぼ半々である。だからこそ驚いたのだが、PTAは完全に女性ばかりの組織だったのだ。帯に書いてもらったとおり、当時の私は「金髪、ヒゲ、サングラス」という外見だったから、そんなのがやってきて他の会員も驚いたことと思う。
 私にはバランスが大事という感覚があって、男女二つの性があるのに一方にばかり偏っているものを見ると是正したくなる。そこで会長時代は、男性の保護者に、一日だけでもいいからPTAを手伝って、と声を掛け続けてきた。PTAというのは恒常的に人手が足りない組織なのだけど、よく考えたらほとんど参加していない男性保護者の力を借りれば、一人当たりの負担は下がるはずなのである。そういう組織としての理由もあるし、何よりも女性ばかりが担い手になって男性はずっと蚊帳の外、という状態がもったいなく感じた。
 でもなあ、8:3なんだよなあ。
 『ある日うっかりPTA』に書いたことで反響が大きかったものの一つに、「がんばらない、をがんばろう」というスローガンがあった。言葉自体は鎌田實氏のご著書から借りたものである。限られた人数、1年という任期で出来ることは最初から知れている。がんばりすぎれば息切れする。能力以上にがんばらないことが大事なのだ、という考え方だ。
 twitterには「#PTAやめたの私だ」というハッシュタグがあるが、それをつけて投稿される内容はたいてい、いかにPTAが内向きで、形骸化しているか、というような告発である。その代表例が、PTAには入退会自由の法則が本来はあるのに周知しないことで旧体制を維持しようとしている、という批判だ。たしかにPTAという組織には情報公開を積極的にしてこなかった過去があり、批判もやむをえない面がある。上に書いたような「がんばりすぎ」あるいは「がんばらせすぎ」の結果、「もうたくさんだ」というわだかまりが生じているということも背景にはあるだろう。
 拙著の反響はけっこう大きくて、活字媒体以外のメディアからもPTAについての発言を求められる機会がいくつかあった。某ワイドショーのように「PTAのせいでこんなひどいことがあった」という暴露役を求めてくるのは論外だが(断った)、ほとんどは真面目なものである。それらの多くは基本的にPTA否定の立場で、世間の風がそちらに向けて吹いていることを感じたものである。
 しかし、PTAを今すぐなくすべきだ、という意見には賛成しかねる。たしかに弊害もあるが、地域社会の中で担っている役割もあると考えるからだ。最大のものは、家庭の窓の機能である。社会の最小単位である家庭は基本的に閉じていて、他者が中を覗くことはできない。反対に言えば、外の世界がどうなのか、内側から見えないということでもある。外気を入れるための窓は必要なのだ。PTAは本来、そのためにこそある組織だろう。
 フリーライターもどちらかといえば閉じた職業であり、私はPTAに参加するようになってだいぶ物の見方が変わった。そうした発見も、自分とはまったく違う人と交わったからこそできたのだ。なるほどそうか、世間にはいろいろな家庭があって、どこが正しいというわけでもないんだな。そう考えることで気が楽になったし、大きなことを言えば自分自身が成長できた。それこそがPTA活動をしたことの最大の収穫である。
 しかし世間の認知は反対で、PTAは家庭に余分な負荷をかけるものとして糾弾される。これは非常に不幸なことで、たしかに改めなければいけないところは多々あるが、PTAが存在することの意味も公平に評価したほうがいいのにな、と思うのである。
 PTAの最大の問題点は、何が起きているか外からは見えにくいことである。だから『ある日うっかりPTA』を書いた。これは私という一事例にすぎず、全国のPTAを代表するものではないが、多少の判断材料にはなるはずだ。
 でも本当のことを言えば、「窓」がすでにあるのなら、改めてPTAを選ぶ必要はないとも思うのである。たとえば町内会であったり、祭りの役員だったり、地域の野球チームだったり。既にあるつながりを大事にしたほうがいいし、さらに「がんばる」必要はないと思う。ただ、PTAのいいところは自分とまったく違った人がいる点で、おおげさに言えばカルチャーショックを受けることもある。私の場合、自分以外はほとんど女性、という環境に飛び込んだのが大きかった。そういう場所で自分の考えを伝えるためには、一つひとつ丁寧に話さなければいけないのである。なかなか修業になりますよ、と同性の読者には言いたいのだった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

杉江松恋
杉江松恋

1968年東京都生まれ。文芸評論家、書評家、作家。自ら落語会を主催する演芸ファン。著書に『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』、『路地裏の迷宮踏査』、『桃月庵白酒と落語十三夜』(聞き手)、『ある日うっかりPTA』など多数。


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