シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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お坊さんらしく、ない。

 先般、『東洋経済』という経済誌から対談の依頼があった。

 「誰と対談するんですか?」

 すると編集者が、

 「いや、まず南さんに受けていただいて…」

 「はあ…」

 「で、対談したい人、いますか?」

 これまで、対談の仕事は何回かした。本になったものもいくつかある。その過去から正直に言うと、対談はなるべく分野の違う人の方が、当事者としては面白い。脳科学者、オリンピック選手、劇作家などは、特に自分が知らないことが多いジャンルなので、興味深かった。そこで、

 「そうですねえ、なるべく異なる分野の人がいいですねえ」

 「たとえば…」

 「いや、いま特に思いつきませんが」              

 その後しばらく連絡が途絶えたので、この話は立ち消えかと思っていた頃、突然電話が来た。

 「どうも、すみません。連絡が遅くなって。決まりました」

 「ほう。誰です」

 「宇宙飛行士です。どうです? ジャンル、違うでしょ」

 「!?」

 まったくの想定外。相手は、油井亀美也(ゆいきみや)さんという、JAXAの現役宇宙飛行士。2015年、国際宇宙ステーションに141日余り滞在したそうである。

 「その人に私のことを話したでしょうね?」

 「もちろんです」

 「よく受けましたねえ…」

 正直な気持ちであった。

 対談はオンライン。これも私は未経験である。躊躇はしたが、予定の日は偶々東京にいる日で、寺にいるより通信環境は安心である。それに、ウイルス禍のご時世、ものは試しだと思って、この申し入れも了承した。

 いよいよ当日、指示された通り、恐る恐るパソコンを接続すると、そこにJAXAの青い制服でバッチリ決めた、幕末の志士のごとき凛々しい姿が現れた。

 こっちは自室という油断から、ただの作務衣である。シマッタと思ったがもう遅い。まあ、雑誌だし、胸から上の写真なら…と気を取り直しかけたら、編集者が言った。

 「今日は、どうぞよろしくお願いします。この対談は当社のオンライン雑誌に掲載した上で、動画サイトに公開します」

 「ええっ!」

 「あれ、南さん、そうお知らせしたはずですが…」

 宇宙飛行士とオンラインで作務衣姿という、私としては前代未聞の対談が始まった。

 油井さんは、形の良い眉が切れ上がり、口元涼やかで、まさに眉目秀麗、笑顔がとても魅力的である。話してみると、気さくな人というより、度量のある人、心に暖かな奥行きを感じる人だった。それには、彼の経歴が影響しているかもしれない。

 油井さんは最初から一途に宇宙飛行士になろうとした人ではない。防衛大学校から自衛隊に入隊、戦闘機パイロットになる。そこから転身したのである。

 「最初は医者になりたかったんですけどね」

 つまり、紆余曲折や迷いもあっての、宇宙飛行士なのである。

 大学も自衛隊も、もう止めてしまおうかと思うこともあったが、節目節目で貴重な人との出会いがあり、思わぬチャンスが巡ってきたという。

 道は違えど、私も七転八倒の出家である。

 「思うんですけど、生き方を左右するような選択は、自分の力だけでできませんね。自分だけでできるなら、所詮、些事でしょう。そういう選択の時には、別の力が働く。それが自分に決心させるのだと思いますね。

 私がそういうと、油井さんは

 「それは、そうですねえ…」

 過去を振り返るような表情だった。

 対談の詳細をここで書くわけにはいかないが、非常に面白かった話を二つ。

 宇宙滞在での興味深い話をいくつか聞いて、私は今後の宇宙開発というか、人類の宇宙進出について、尋ねてみた。

 「思うんですが、人間が大気圏外に出て行くなんてことは、魚類が水を出て上陸するに匹敵する、進化の歴史から言っても、大事件ですよね」

 「そうだと思いますねえ」

 そこで、私は言った。

 もしそうだとすると、魚類は自らの身体を陸上の環境に適応するように変化させて、水中から離脱したが、人類の宇宙進出が、探索や研究の段階から、他の天体への居住や開発ということになれば、魚類とは逆に、環境に合わせて自分を変えるのではなく、環境を改造しようとするだろう。

 「それはもう、具体的な計画としてありますからね」

 「そうでしょう。しかし、たとえば地球上の環境を再現したドームの中に住むとすれば、活動は制約されますよね」

 「そうなりますね。空気ありませんから」

 もしそうだとすると、この制約を克服するために、いつか人類は魚類と同じ挙に出るかもしれない。つまり、環境に合わせて、自分の身体を改造する。しかもその改造は、生物としての進化ではなく、物理的・技術的な改造、すなわち、徹底的な人間のサイボーグ化である。

 「それ、私も思いました」

 「えっ! あなたも!」

 「たとえば、極端なところ、脳の電気信号を丸ごと電子チップに移して、意識をコピーした状態で宇宙に出るとか」

 「それ、いつ考えたんです? 訓練中ですか?」

 「いや、ステーションにいるときです」

 仰天してしまった。私はこれを永平寺時代、人間の欲望について考えている時に思いついたのである。同じことを、彼は宇宙で考えたという。

 「ビックリしました」

 「ステーションってね、確かに忙しいけど、できることは限られるんですね。仕事も生活も。すると、馴れるにつれて、結構時間ができるんですよ。すると、あれこれ考えるようになる。いろんな発想が湧くんです」

 これには思い当たるフシがある。修行道場も同じだ。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、衣食住、規則ずくめ、制約だらけである。ただその制約は、身についてしまえば気にならない。それどころか、ラクになる。すると、精神はより自由に動き出す。

 「ものを考えるとか、様々な発想ができるとか、精神的な自由は、むしろ生活や行動に制約がある時に、手に入るのかもしれませんね」

 私が言うと、油井さんは、

 「それは深いなあ」

 もう一つ。私が言った。

 「いま、コロナ禍で世界中大変ですよね。それで日本でも『不要不急』なことは自粛せよ、と言われるじゃないですか」

 「そうですね」

 「するとね、私がしている坐禅なんて不要不急の代表みたいなものです」

 油井さんは微笑した。次の私の言い分を予想したようだった。

 「でね、失礼ながら、油井さんのお仕事も、この状況だと、同じように思われやすいところがありますよね。いま宇宙に人材とお金と時間を費やしているばあいか、と。そういう声にどう対応しますか」

 それまで対談を楽しんでくれているように見えた彼の顔は、見る間に引き締まって、JAXA宇宙飛行士のサムライに戻った。

 「そういうご意見があるのは当然だと思います。しかし、私は人間の脳に秘められた力を、人間の可能性を信じています。宇宙への挑戦はその可能性と未来を切り開いていくことです。私は、そこに意義があると思いたいです」

 油井さんは、これから先、未来への人類の意志に賭けていた。

 「なるほど、そうか。すると、私とはベクトルが逆だな。私に言わせれば、仏教は不要不急から始まります」

 「要」や「急」などは所詮、人間の都合で決まるにすぎない。

 「そして、人間もそもそも不要不急の存在です。だれも目的や理由を知って生まれてこない。それは即ち、要も急も無いということです。私は、その不要不急の土台から、改めて時代の要と急を見直すべきだと思うのです」

 ここで編集者が割って入った。

 「すみません、時間です」

 「えっ、もう?」

 言われた禅僧は、あまりに短時間にしか感じられず、本当に驚いた。

 他方、画面のサムライは、再び柔和な笑顔に戻った。

 「いやあ、このコラボ、いいですねえ」

 コラボかあ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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