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お坊さんらしく、ない。

 世には超有名寺院とでも言うべき寺もあれば、ほとんど馴染みの檀家しか来ないような寺もある。恐山と私が住職を務める寺のようなものである。

 ところが昨今、インターネットの普及に伴って、超有名ではないが、意外に人が集まる、昔なら「知る人ぞ知る」と言われたような、「プチ有名寺院」が見られるようになった。私が面識のあった老師は、そのような寺院の住職を引退した、人柄通りの気楽な身の上になった人である。

 引退したとは言え、筋金入りの修行を通した老師である。朝の坐禅とお勤めは1日も欠かさず、寺内外の清掃も自身ですることを信条としていて、現住職も顔負けの毎日だった。

 寺はどちらかというと寒冷な地方にあったのだが、老師は厳冬期でさえ、坐禅を終えた途端に本堂の扉を開け放ち、日没まで参拝の人々が自由に拝観できるようにしていたそうで、この慣習は頑として変えさせなかった。

 とある秋の日、住職も法事に出かけ、他の者も出払っていた夕方、書見に飽いた老師は、気分転換に坐禅をしようと本堂に出た。

 正面やや左奥に設けられた単(坐禅用の台)の上で心身を整え、老師は一気に深い三昧境に入る。吹き込む初秋の風が坐禅する老師の衣を微かに揺らしたかもしれない。

 と、そこへ、20人ばかりの参拝の人たちがやってきた。

 「ご自由に中に入り、ご参拝下さい」と大書された看板が、本堂の入り口にかかっている。そうかとばかり、一行は躊躇なく本堂に上がり込む。

 有名な本尊にお参りする者、写真を撮り合う者、手洗いを使う者、それぞれに散った時、誰かが声を挙げた。

 「見て! 人そっくりの仏像がある!!」

 「どこ、どこ?」

 「これよ、これ!」

 人が周囲に集まり始めた。

 「やだあ、生きてるみたい」

 「プラスティックかや?」

 「ホント、よくできてる」

 ついに誰かが老師の頭や顔を撫でまわし始めた。

 「おい、柔らけえぞ」

 と言った男の手の指が、いきなり老師の鼻の穴に入った。

 「ファーック、ショオオンッ!!!」

 集まった人々がどれほど驚いたかは、想像に難くない。

 坐禅は、完全に決まってしまうと、人の気配が消えてしまう。まるで置物のようにしか見えない。私も一度、「息、してるんですか?」と訊かれたことがある。

 当人は、寝ているわけではなく、気絶しているわけでもない。ちゃんと感覚はあるままで、刺激に反応しなくなるのである。

 さすがに顔をつつかれたり、衣の中に手を入れられたりが始まってからは、老師も意識を通常に戻したそうだが、せっかくお参りに来た人たちを驚かすには忍びなく、鼻に指が入るまでは、「ま、いいか」と思っていたそうである。

 永平寺で修行して10年ばかり経った頃、当時「何でも屋」状態だった私に電話が回ってきた。聞けば、視覚障碍のある学生さんの団体を案内してほしいと言うのである。

 「実は全く見えない子も、かなりいるんです。そこでお願いですが、差し支えない範囲で結構ですので、なるべく手で物に触れさせていただきたいのですが…」

 お寺参りが初めての生徒も何人かいて、永平寺に行くことをとても楽しみにしている…ここまで言われては、後に引けない。私は10年目の古参の威光をフル活用して、普段公開しないようなところまで案内し、これはと思うものに触れてもらう段取りをした。

 やって来た一行は、触れるとわかって、こちらの想像以上に大喜びした。

 丸柱に抱きつく者。大鍋のふちを触って、「でっかい!」と歓声を上げる者。大太鼓に触らせて、撥で叩かせたりした。ある仏像にこっそり触らせた時には、弱視の生徒が、「本当にいいんですか、罰が当たりませんか」と手を伸ばせずにいたから、その手を握って頬に触れさせ、

 「仏様は、あなた方が触ったくらいで罰を当てるような、ケチな方ではありません!」

 「本当にありがとうございました。心から感謝いたします。生徒も大喜びで、今度の旅の中でも、最高の思い出になったでしょう」

 引率の先生が、深々と頭を下げた。

 「それはよかったです!」

 私も生徒のウキウキした様子を見て、気分が晴々としていた。

 「で、恐縮ですが最後に一つ、お願いが…」

 小柄な先生が、いささか微妙な笑顔で私を見上げた。

 「僕にできることなら、何でも」

 ここまでの流れなら、私がこう言うのも無理もないだろう。すると、

 「あのですね、最後にその頭を触らせてもらえませんか!?」

 「え!?」

 先生の後ろには、「仏さまはケチではない」説を聞いた生徒がいる。

 「いいですよ、そんなこと」

 こうですか?と、頭を低くしたら、

 「すみません、もう少し低く…」

 「このくらい…」と私が膝を折ったら、先生が急に大声を出した。

 「みんな! 触っていいって!!」

 私は、生徒が順番に軽く一撫でする程度のことだと思っていたのだ。

 ところが! いったい何本の腕と手の内に落ちたのかしれないが、さほど大きくはない私の頭は、無数としか思われないような手で、猛烈な勢いで「触られた」、などと甘いものではなく、「しごかれた」。

 「みんな、ストーップ! ありがとうございましたあ!!」

 先生が止めた時には、私の毛のない頭はすでに過熱してヒリヒリしていた。

 生徒たちは、これで仕上げができたとでもいうように、ニコニコ笑いながら意気揚々と引き上げていった。

 「直哉さん、すごいサービスでしたねえ」

 たまたま後ろで見ていた後輩が大笑いしていた。

 それから何年も経ってから、新聞を読んでいると、全盲の大学教授の記事が出ていた。その人が曰く、

 「まだ高校生の頃、学校の旅行で永平寺に行きました。先生が頼んでくれて、私たちには色々なものに触らせてくれて、とても楽しかったです。そこで最後に、先生が案内してくれたお坊さんに、頭を触らせてほしいとお願いしたんです」

 私はまざまざと思い出した。

 「そのお坊さんは、すぐに身を低くして頭を出してくれました。僕たちは二度とないチャンスだと思って、我勝ちに手を突っ込むようにして、触りまくったんです」

 そうだったねえ…。

 「今でもよく覚えています。そのお坊さんは私たちに触られまくりながら、ニコニコしていました。修行をした人は違うんだな、あんなことされてもニコニコしているんだなと、みんなが感動しました」

 全盲の彼は、私の頭ではなく顔に触れたのだろうか。その時笑っていた記憶はまったくないし、修行の成果でもなかろうが、彼がそのような思い出にしていてくれたことは、私にはしみじみ嬉しかった。

 老師の「ま、いいか」も、私の「いいですよ、そんなこと」も、意外に人の記憶に長く残る出来事だったのかもしれない。

 「ま、いいか」「そんなこと」ですることは、人が人にできる、案外素敵なプレゼントになるかもしれない。

 老師が亡くなった時には、どこの誰か定かではない人達から、お悔やみの手紙や葉書が長く続いたそうである。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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